なつこのくんくん日記

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2005年07月17日 ガンバレについてカンガエル。 (カテゴリー: なつコラム

患者にとって「ガンバッテ」は救われる言葉なのだろうか?いろいろ考えてみた☆彡

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 悪性リンパ腫になる前の私にとって「ガンバル」という言葉は、やる気のない
自分を奮い立たせ、能力を伸ばす一種の呪文のような効き目があった。
学生時代には、ガンバロウと一生懸命唱えれば、
縄跳びやバレーのラリーなどでは、自分達の目標回数まで続けられたし、
テストの一夜漬けもクリアーできた。
働きだしてからも、何か悩み事を吐露したときの結びは、
「がんばらなくちゃ」だった。

 しかし、私は自分のガンバリだけではどうしようもできないことを知った。
今回の悪性リンパ腫の治療である。
治療をしても必ず治る保証もなく、最善の策を尽くした後、再発しないかどうかは、
運に任せるしかないのだ。

最初のうちは「ガンバレ」を心の中で唱えていたのかもしれない。
「何かいいことあるよ、ガンバロウ」
しかし、知らされる検査結果は私が望む良い知らせではなく、
深刻さを増していった。
がんばったって、一体私に何ができる?何もできないじゃないか!

私はいつしかガンバルことに疲れ、その言葉を避けるようになった。
リンパ腫だとわかり始めた頃は、この病気のことを自分から親しい友人に
言いたくなかった。
深刻なリアクションをされることで余計落ち込むのが怖かったことと、
もう一つは私を勇気づけるために発せられるかもしれない
「ガンバッテ」
という言葉を聞きたくなかったからだ。

「ガンバル」という言葉は、よく使われているが、その意味をよく考えてみると、
いまある自分よりステップアップしよう、という気持ちが
込められてはいないだろうか。

小学生の夏休みの課題などで、カエルのハンコを先生に押してもらった。
「たいへんよくできました」がカエル、「がんばりましょう」がおたまじゃくしだった。
おたまじゃくしの「がんばりましょう」から評価がよくなるにつれ、
カエルの顔をしたおたまじゃくし→おたまじゃくしの尻尾がついたカエル→カエル
だったように記憶している。
つまり、おたまじゃくしの評価は
「まだまだ未熟で、もっとアナタは能力を伸ばせるだろう、だからガンバレ」
なのである。

そのハンコの刷り込みからか、私にはガンバルという言葉に優劣の「劣」を
感じてしまう。まるで「アナタには努力が足りない」と言われているようだ。
これからの治療への心配、今までの生活態度への後悔、
生きられるかどうかという不安を押し殺しながら、日々の生活を重ね、
リンパ腫について知識も増えていく患者にとって
「ガンバッテ」
という言葉は、これ以上何をどうがんばらなくてはいけないのか、と疲れさせる。
タイミングによってはナイフのような言葉にもなる。
ガン告知をされて、治療方針が具体的に固まるまでの間、私の心はパンパンに
張り詰めた風船のようだった。もし
「ガンバッテ」
といわれたら、私はその言葉の針で、一気に破裂してしまったかもしれない。

その後、鬱病の人に「ガンバッテ」という言葉がけをしたら、自殺してしまったという
話を何度か耳にした。
その自殺してしまった鬱病の人も私と同じ気持ちだったのだろうか・・・。
しかし、大好きな人が苦しみに立ち向かおうとしているとき、何か励まそうとして
適切な言葉を使いたい気持ちはよくわかる。
闘病から長い時間を経たいま、励まされていた私は、逆に励ます立場に
かわってきている。
では、ガンバッテ以外で、患者がほっとする温かい言葉は何だろう!?
心も身体も弱っているときにビシッと決まる、
なんとかここは乗り切って欲しいという気持ちを一言で表せる言葉・・・。

私にとって最善のメッセージはこの一言だった。
「アナタは絶対大丈夫!」
 これから治療に耐えなければならないときや、再発の恐怖で怯えているとき、
とても救われた言葉だった。医師や医療スタッフは、立場上、
「大丈夫」という言葉を患者にかけない。
特に私の場合、タチの悪いタイプのガンだったので、余計その言葉はウソになる
可能性が高かったのだろう。
しかし、生きていて欲しい、と心から願ってくれているであろう、親族や親友など

心が通じてる人にこう言われたら、とても勇気付けられるのだ。
力強く“大丈夫”と言われると、その言葉の中にあるその人の願いまでも
感じとることができる。
それこそが生きていく自信へとつながった。

では、なぜしょげている人をみると“ガンバッテ”と言いたくなってしまうのだろうか。

思えば日本はがんばってきた。私の祖父が若かった頃は、戦争のため
何もモノがなかったようだ。
でもそこから立ち上がって、がんばってガンバって身を粉にして働いた分、
実になったのだ、という話を小さいころよく聞かされた。
父の世代もまたそれを引き継ぎ、生活をより豊かにしてきたのだろう。

だからなっちゃんも努力した分報われるのだから、勉強もピアノ練習も
ガンバッテ、がんばって・・・
そんな風に祖父母や両親の期待と共に“ガンバッテ”は私にとって日常に
溶け込んだ言葉だったようだ。
ならば、“ガンバッテ”を少しだけ変化させたら相手の受け取り方はどうなるだろう。

「ガンバロウよ」
その言葉をかけた人がそばにいてくれるような気持ちになれる。一人じゃない。
ガンバッテと言われると、「私には関係ないことだけど、アナタはたいへんね」
という風にも聞こえて孤独だが、ガンバロウには、共に同じ目標に向かおう
という意味を感じる。

「ガンバリマシタネ」という言葉もタイミングによってはホッとする。
この場合、「今まであなたは、ガンバッテいた。でも、もうこれからは
がんばらなくてもいいんだよ」という評価と解放を意味する言葉のような気がする。

どうやら、ガンバッテという励ましの言葉は対象人物の受けとり方や、
シチュエーション、タイミングで変化するようだ。
私は、自分の体験から、ガンバッテという言葉をなるべく使わないように
心がけているが、治療から7年が過ぎた今は、誰かに「ガンバッテ」と
声をかけられたなら、その期待にそえるようにがんばりたいと
自然に思えるようになった。

そんな風に気持ちが変化してきたある日、友人はこう言った。
「人が言葉で傷つくときは、その人を攻撃してやろう、傷つけようと発せられた
言葉のみだよ」

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