2005年09月23日 切ないくちなし (カテゴリー: くんくん )
初秋に初夏の話題ですみません。ちょっと季節がズレますが、ご辛抱を!?
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くちなしの花は、びっくりするほど甘い匂いがします。しっかりとした枝と
深い緑色の葉に対し、真っ白な花を咲かせますが、
その花びらの一つ一つは肉厚です。その丈夫そうな外見とはウラハラに
あっという間に枯れて、白い花が茶色になってしまいます。
私はくちなしの花をみていると、奥床しいけど芯のしっかりした、
それでいて儚い昔の日本女性をイメージします。
それは一度も会えなかったひいおばあさんのイメージなのかもしれません。

私がまだ悪性リンパ腫を発症するなどみじんも思っていなかった
小学生の初夏の頃、近所の遊歩道を母と歩いていました。
「なっちゃん、この花とってもいい匂いがするのよ」
鼻を近づけて嗅いでみると、誰にでもわかるはっきりとした甘い匂いの中に、
凛とした品のある匂いがしました。
「この匂い、ずっと嗅いでいたい!」
私はすっかりくちなしの虜になりました。
ちょうどその頃ポプリが流行っていたので、私はその花を瓶に詰めていつまでも
香りを楽しみたいと思いました。
「でも、お母さんにとっては悲しい花なのよ。それはね、ひいおばあさんが
亡くなったときにひいおばあさんの友達がお棺に入れてくれた花なの。
たくさんのくちなしの花に囲まれたおばあちゃんはとてもキレイだったし、
いい匂いだったわよ。だから、この匂いを嗅ぐとあのときのことを思い出しちゃう」
ひいおばあさんは、母が小学校六年生のときに亡くなりました。
母からみれば祖母です。私は大のおばあちゃん子だったので、
そんなに早く祖母と別れなければならなかった母を可哀想に思いました。
その日からくちなしの花は私にとっても、憂いを含んだ甘く切ない花になりました。
そんなくちなしのエピソードも忘れかけた、二〇〇二年、私は出版した闘病記の
PRに大忙しでした。一人でも多くの人に読んでもらい、何かの役に立てたら・・・。
その一心で、私は朝日新聞の横浜版に自らのガン闘病記「ガンと向き合って」を
連載していた上野創さんに、自作『へこんでも』を送りました。
年齢が近いこともあり共感するところが多いこと、自らの闘病を世に出す心情を
綴った手紙を添えて。
すると、上野さんから横浜で、ある患者会の集まりがあるから遊びに来ませんか、
とメールをいただいたのです。
それは、「神奈川骨髄移植を考える会」という、骨髄移植を応援する会でした。
私は「患者会」に今まで縁がなかったため、ドキドキしながら横浜の
ワシントンホテルの扉を押しました。
そこでは、今まで私が体験したことのない共感を得ることができました。
今までは病気、治療という未知の世界への理解を示すという感想が
多かったのですが、私の話しを真剣に聞いてくださるみなさんは、
似たような体験をしている人ばかりなので、現実のこととして共感してくれます。
若くして重複ガン(甲状腺ガンと悪性リンパ腫)を体験すること自体少数派ですが、
病気の種類も「稀」「見たことがない」などと言われ、共感を求めることすら
あきらめていました。しかし、つらい治療を体験した人は一人じゃないんだ!
いろいろな人と話をしているうちに、また一つ視界が開けたように思えました。
会合が終わって、最寄の駅に会の数人で向かう途中、前方を歩いていた
上野さんが突然立ち止まりました。
誰かを探しているのかと私は歩き続けていたら、患者会の方々も次々と
立ち止まり始めました。
「ほんといい匂いね!」
「くちなしの花、もうそんな時期なんですね」
みんなの鼻の先には、誇らしげに咲くくちなしの花がありました。
それを上野さんはいち早く気づいて、愛でていたのです。
大好きなくちなしの花がそこにありながら、私は気がつきませんでした。
同じような体験を持つ方の中で、私だけがこの匂いを共感できない・・・。

私は、このとき、嗅覚を失った孤独感を初めて味わいました。
あれから三年。くちなしの花は毎年変わらず美しく咲き誇りますが、
私にとってはやっぱり、ちょっと切ない花なのです。
