2005年12月04日 研究者の役割(第一ラウンド) (カテゴリー: 住民参加 )
「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」へは、元河川局長や、八ッ場ダムの元担当者も聴衆として来ていました。それは後で知った(前者は終わり頃に出て行かれるのをパネリスト席から発見。後者は帰りの新幹線でバッタリ)ことですが、、そのパネルディスカッションで私が訴えたことは、ここ最近傍聴している「社会資本整備審議会・河川分科会・河川整備基本方針検討小委員会」(以下、「審議会」と言います)で「学識経験者」が果たしていない役割です。
河川法で導入されたはずの「住民参加」の実態として表出している「流域委員会」の事例(研究者や学生が半年かけて調査してきた結果)と、自分が傍聴してきた「審議会」における学識経験者の「参画度」の軽重を比べ、制度の形骸化(制度が機能していない)を感じたからです。
ですから、同じパネリストで、審議会の委員を務める学識経験者に、ここ1ヶ月で感じてきた疑問を歯に衣着せずぶつけました。2回だけ発言の機会がありました。まずは自分の発言内容をまとめておきます。
Round 1
●去年の今頃、量的な進展のなさを指摘しました。
97年改正河川法以来、7年も8年も経つのに、経過措置中のまま「環境保全」と「住民参加」を盛り込んで策定されるはずが、
河川整備基本方針 策定済みはわずか
一級河川 29水系/109水系(04年9月現在)
二級河川 225水系/2700水系(03年11月現在)
河川整備計画 策定済みはわずか
一級河川 11水系/109水系(04年9月現在)
二級河川 107水系/2700水系(03年11月現在)
●今年は、うって変わって、審議会にて、一級水系で河川整備基本方針策定ラッシュです。
河川整備基本方針の今後の策定見込み等について(PDF)
にあるように、
・ 平成17年度は、109水系の50%以上の水系で策定。
・ 平成19年度までに基本的にすべて策定。
と平成17年4月15日に、発表され、
去年まで (「方針」が策定された水系の数)
年度 H11 H12 H13 H14 H15 H16
策定数 6 4 3 4 7 6
今年から(「方針」が策定された水系の数)
年度 H17 H18 H19
策定数 25~30 35~40 10~20
その審議会で、学識経験者は、国交省事務局が出してくる「河川整備基本方針(案)」をパンパンと通すスタンプ台と化しています。
●昨年、私が提示したキーワードには
「河川整備基本方針は国交省の密室で決まる」
「特に基本高水」がそうです。「密室」には審議会も含まれます。
というのも、旧法で定められた工事実施基本計画を中身の議論をせずに、そのまま踏襲しているのが審議会です。その具体例が利根川の基本高水です。
●今年の懸念、利根川治水計画
利根川の基本高水は、1935年以来1万m3/s → 1949年1万7000m3/s
→ 1980年2万2000m3/s と変化してきましたが、最終的に、1947年のカスリン台風を契機に2万2千トンという基本高水が決まりました。これはこのとき、
1) 利根川の堤防が切れたために、正確なデータがなく、
2) 建設省内で推定を行って二つの数字が出てきた、
3) どちらを採用するか決まらなかった、
4) どうしましょうかと関係知事に聞いた、
5) 関係知事らは「大きめがいい」と言った、
6) 建設省内で出した二つの数字よりもさらに大きな1万7千トンという数字が採用された。
7) 200年に1度と引き延ばして2万2千トンとなった。
その「2万2千トン」がいかに過大であるかは、上記のグラフ(水源開発問題全国連絡会・嶋津暉之氏作成)でみるとよく分かります。
このように審議会に参加している専門家は、専門家でありながら、「どう基本高水が決まったか」を科学的に検証することもなく、参加している。専門家としての役割をまったく果たせていないのではないか。しかも、今年から始まったような1週間に1本通すようなスピードで、お墨付きを与えていくのは、無責任ではないかと思う。「審議委員の虫明功臣先生、どう思われるかというのを質問したい」(第一ラウンドで提起したことの一部をここでは省略)
【虫明先生の第一声】
「おっしゃる通りの状態で進んでいる。言い訳をするしかない」
そして、言い訳の内容として(要旨のみ)
・基本高水は工事実施基本計画で定められてきたが、改正法に従って「方針」と「計画」を早く策定しなければならない。計画の継続性を考え踏襲してきている。利根川の17000トンという数字は「氾濫戻し」(まさの解説:「氾濫戻し」とは「堤防が切れて正確な流量が分からないので、堤防の外に氾濫した量を後で推計をした」ということです)をした数字だと理解している。それを200分の1確率に治水安全度をグレードアップしたので2万2千になった。だが、過大と言われるものではない。治水については昔の計画を引きずっているのは事実。
【この件に関する私の意図と感想】
この質問の背景には、いくつかのことがあります。
・法制度上、「基本高水」を決定するのは国土交通省であり、その際、唯一、専門家の立場の方々に意見を聞くのが「審議会」であること。本来、それを科学的に検証すべき立場にいるのが、研究者であること。
・一方、法制度上、基本高水について「住民参加」はできない。しかし、今、河川を巡る紛争の元を辿るとほとんどすべて「基本高水」にある。だから、そこに市民参加が必要だと考え、それができないので、人々は苛立っている。
・「参加」できる専門家に頑張ってもらわねばならないのに、その役割を全く話していないどころか、追認しているだけという状態にあることで、さらに苛立ちを覚えている。
このことをまずは、提起したかった。
その苛立ちは伝わったと思うが、実はとれていない。今後の課題を抱えて帰ってきたと思います。
審議会で、しっかりと基本高水の議論がなされない限り、日本の河川行政は、環境保全とか住民参加と言ってもお題目だけで、変わらない、という実態があります。
それ以上に、防災から減災(災害が起きた場合に、被害を最小限に抑えていくための考え方)へという考え方が生まれてきているときに、いつまでも、防災を「基本高水」任せにしていていいのか、ということも訴えました。
河川局のみなさん、そして、布村明彦河川計画課長(名指しで恐縮ですが)、考えてみてください。
まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
ViVa!(ビバ!)はこちら
読ませていただきました。
専門家・研究者の役割を、委員が果たしていないのが現状でしょうか。
とんでもない現状だと思います。
その上で、一歩ずつ前進と言われても...
渓谷を破壊する八ツ場ダムの建設を容認・見過ごすしかない、と言うことでしょうか?
>次の世代の研究者が今の偉い人よりも少しはましな研究者に...
川が壊されると、元に戻すのは大変です。
Posted by: みゅー : 2005年12月08日 00:12川村さん、お久しぶりです。
今日もまたこの審議会(小委員会)を取材してきました。何故だか、いつもよりも審議委員の発言が多かった(質は変わらない)です。「審議会検証」みたいな横断的な検証が必要ですかねぇ。。。
ワケあって、半年以上、紙メディアへの営業活動をサボっていましたが、私もそろそろリセットを始めています。
まさのさん、久しぶりです。
審議会批判、本当にその通りだと思います。
私も研究者の資質だとかスタンスの問題ではなく、審議会という制度が問題なのだと思います。専門性に基づくちゃんとした検証が必要な仕事ならば、第三者機関に調査委託をすべきであり、現状の審議会の制度ではできないはずです。調査の基準と結果を審議会に相当するような組織が公開で検証するというのはありなのかもしれませんが。
研究者は、審議会のような形式的には権限があるが、それを責任もって果たせる体制(お金、時間も含め)のない機関に入るときに「どうせ誰かがやるから自分がやった方がまし」などの理由をつけてしまいがちですが、それはとても無責任だと思います。「審議会の責任の重さを考えれば、今の体制、運営の状況では無責任となる」として制度を変えるよう求めるべきなのでしょう。ただ、結局、そうなると「肩書きだけあればいいので、後は行政にまかせる」という「悪貨が良貨」を駆逐することになります。これを避けるためには、「無責任なことをすれば、社会的な名誉が無くなる」という状況を作るのが、運動論的には正解なのでしょうね。そうすれば、研究者も真剣に「この体制では責任がとれない」と言わざるを得なくなるでしょう。
とりあえず、出版などを通じた問題提起から始めるのがいいのかも。
審議会の問題については、私も一貫して似たような立場でささやかながら発言してきました。人権擁護推進審議会について書いたものが少し古いですが、ここにあります。
http://220.16.64.30/pages/writing/1999/wrNHRIadCouncil.html
外務省のODA総合戦略会議等についての批判は、こちらに。
http://220.16.64.30/pages/writing/2004/oda_policy_process.html
また、なんか一緒にできればいいですね。
川村暁雄
Posted by: 川村暁雄 : 2005年12月05日 17:43まさのさん、お久しぶりです。
利根川について、ご参考になるかもしれないことがあるのでお知らせします。
ご承知の通り、利根川の工事実施計画では、基本高水2万2千トン、「上流ダム群」で6千トンを調節して八斗島地点で1万6千トンという計画になっています。ところが実は、計画されている「上流ダム群」には6千トンを調節する能力がありません。これは工事実施計画にも明記されています。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai/shakai/051012/pdf/ref2-1.pdf
の21ページ、「しかし、これらのダム群ではまだ計画上洪水調節のために必要な用量は確保されておらず」云々のところ
さらに、ここでは計画に盛り込まれている戸倉ダムが、その後中止になっています。
つまり、現在の利根川の工事実施計画は、本当に2万2千トンの流量が発生したら安全に流すことができず、洪水になってしまう計画なのです(それを「計画」と呼べるかどうかは別問題として)。もし、国土交通省が基本高水2万2千トン、「上流ダム群」で6千トン調節というのにこだわるのなら、それぞれのダムが何トンずつ調節するつもりなのか、不足する分(少なくとも戸倉ダムで予定されていた670トンは不足するはず)をどうするつもりなのか明らかにする責任があると思います。
戸倉ダムが中止になった時点で、基本高水2万2千トンを見直すべきだったと思います。戸倉ダムがなくても洪水がおきないのなら、戸倉ダムは最初から(工事実施計画の上で)要らないダムだったということになります。残念ながらそういう議論にはなりませんでしたが・・・
Posted by: 吉田(農工大) : 2005年12月04日 23:40ついていけません。
まさのさんが「研究者の役割について、オールオアナッシングであるというご意見でした。」とのことですが、意味が分かりません。どなたか解説してください。「しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。」も分かりません。
まさのさん
パネラーとしてご参加いただきありがとうございました。
とても深刻な顔をしていらしたので、他のパネラーの発言に対して思うところがたくさんあるのだろうなと思いつつ司会をさせていただきました。司会の進行にまずいところもあったかもしれません。そうであればお詫びします。
私としては、あと30分いただき、あのメンバーでいくつか議論しておきたいテーマがあったのですが、会場の都合で時間切れとなってしまいとても残念でした。
またの機会にしたいと思います。
一つだけ、まさのさんのご発言に対してコメントさせてください。
研究者の役割について、オールオアナッシングであるというご意見でした。そのお気持ちはよくわかりますが、しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。そして、それが社会の健全なあり方なのかというと、私はそうは思いません。
日弁連のシンポジウムを聞いていても思うのですが、弁護士集団といえども、研究者がするようなデータの分析やそれに基づく考察、提言ができるレベルには到底達していないのです。
住民、市民は、計画や管理に参加、参画の機会が与えられれば与えられるほど、研究者を必要とするのではないかと私は思います。問題は、現在の研究者のあり方が、市民、住民が必要とするあり方とは異なっているといいうことです。オールオアナッシングを突きつけるのではなく、研究者が少しずつ変わっていき、20%くらいの研究者がオールを選択するような社会に徐々に移行していくことが必要であり、それには具体的に何をすればよいのかを考える必要があるのではないでしょうか。
まさのさんのご指摘はとても偉い先生には当てはまるのかもれません。しかしとても偉い先生の下には無数に中堅や若手の研究者がいることも忘れてはなりません。次の世代の研究者が今の偉い人よりも少しはましな研究者に変わっていくにはどうすればよいかを考えることが必要ではないでしょうか。
取り急ぎ思いついたことを書きました。このテーマについて、できれば長時間かけて議論する機会があるといいなと思っています。
「青の革命と水のガバナンス」研究グループ長 蔵治光一郎
