2006年01月29日 前身「ダム日記」との関係 (カテゴリー: 遊び )
この「ダム日記2~河川法を改正しようョ」には、「2」というからには元祖「ダム日記」があるのですが、それは「現在のブログとはどういった関係になりますか?」「河川法を変えたいと考えたきっかけは?」などの質問が来ました。確かに、私を古くからご存知の方でなければ、分からないと思うので、その方にお返事したことをこちらに自己転載します。
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「80円で川を救おう」は1995年2月からです。徳島県木頭村(現在は市町村合併により那賀町)に計画されていた細川内ダムに反対する村民の運動を応援するために始めたのが「ダム日記」です。友人がこちらにそのほとんどを載せてくれています。(最後の方に100~200回分ぐらい欠番がありますが)村のダム反対運動は成功し、1997年に一時休止、2000年8月に完全中止となり、ダム日記も外側からの応援の役割を終えたと判断し、一度は終わりました。(以上、ふり仮名は「きとうそん」「なかちょう」「ほそごうち」ダム)
ダム計画を止めるためには、法律自体を変えなければいけないと思い、(潜りで大学院で)法律の変え方を勉強しているうちに、ちょうど運よく、政府から、河川法改正の動きが始まりました。1996年暮れです。
そこで、政府側から出てきた法案に対する「対案」を1997年、野党側から議員立法で出してもらうことになりました。
それが一つのきっかけになり、1998年から国会議員の秘書→政策秘書になって他の分野の法律作り(市民立法のお手伝い)にも関わるようなっていったのですが、それはさておき。
長くなりすみません。政策秘書となってからは「河川法」のことだけをやっていればいいわけにはいかなくなり、限られた時間の中となって、改正されたあとのフォローができなくなりました。
しかし、1997年の河川法改正では、政府案がそのまま通りましたので、改正以前からあった問題はそのまま温存されていることが、ずっと気になっていました。その後、国会のお仕事を退き(一度、退いて再び別の法律の改正のために、もう一度乗り込んだので、1998~2003年の間に計2人の議員のもとで、合計4年間、秘書でした)、個人的に不妊治療に約1年を費やし(失敗談を本にもし)、やるだけやって気がすんだので、1997年からの宿題といいますか、ライフワークの一つである河川法の再改正を目指し始めました。
しかし、今度は、国会の外から、政治的にではなく、一般の人々に問題を訴えて世の中を動かしてみるという試みです。(うまくいくかどうかは分かりませんが、何事もやってみなくては^^;と)
そんなわけで、正式タイトルは「ダム日記2~河川法を改正しようヨ」としました。
前回は何度も何度も、「この日記は細川内ダムの反対運動をやっている木頭村の応援のために書いています」と日記の中で繰り返しましたので、その手間をはぶき、サブタイトル的に「河川法を改正しようヨ」とつけて、なんのための日記なのかを表しています。
それと、ありがたいことに1995年以来のダム日記読者との関係も続いていましたので、「遠回りをしたけれど、帰ってきたよ!」の意味も込めています。
「河川法を変えたいと考えたきっかけは」について。
簡単に言うと、川のあり方や川との付き合い方を、地元住民の話を聞かずに国が頭ごなしに決めてしまうやり方が許せない、と思ったこと。ダムの必要性や川との付き合い方が、客観的に議論される場もなく決められる現在の河川法は改められるべきだと考えました。
「NPO 等の団体でなく、個人で活動されているのでしょうか」ということについて。
NPOや市民団体、住民団体ともちろん密に連携・協力はしますが、むしろ、取材者という立場で、その「拡声器」の役割を果たしたいと思っています。
==自己転載ここまで==
(ここからはつけたし)
ただし、「取材者であること」は「目的」ではなく、「世の中を変える手段」ですので、取材者=第三者というスタンスにとどまらず、当事者として行動する人でありたいと思います。それが元祖「ダム日記」だったことを、最近、思い出したばかりです。自分ではなく議員が動くように仕組んだり見せかけたりする邪悪な政策秘書時代(笑)が濃密すぎて、思い出すのに時間がかかりました。その後遺症からようやく回復した今日この頃です。
今となっては、妊娠、出産、結婚、不妊から社会復帰した女性(男性)たちよ、頑張ろうぜ、とも言いたい(笑)。やっぱり、社会に戻って、身の処し方を取り戻すまでに、エネルギーが相当かかりますj(笑)。 くじける自分に負けずに頑張りましょう。
まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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