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ダム日記2 河川法を改正しようヨ by まさのあつこ

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2005年12月30日 孤軍奮闘の人々II (カテゴリー: 集会・イベント

孤軍奮闘の人々も、横につながれば大群。一滴一滴の水はいつか岩を穿ち、目に見えない風は砂漠に波紋を作る。誰かが休んでいても、誰かがシャカリキで頑張っている。時代は変わらざるをえない。
 今日はダム編の孤軍奮闘の一部。

【石川県金沢市からの一滴】
 石川県というお国柄なのか、私が知る人は皆、飄々としている方が多い。その一人、ナギの会の渡辺さんは「情報公開ものがたり日誌」で、強制収用を視野に入れて動き始めた石川県営の辰巳(たつみ)ダム計画について発信中。
 私が尊敬するエンジニアの中登史紀さんが書いている「辰巳ダム日誌」も必読です。2005年11月25日に行われた石川県による辰巳ダム事業説明会に参加した模様も、飄々と書かれています。
今週は、辰巳ダムの根拠である想定洪水量についての「住民監査請求」を県に提出したそうです。

【栃木県鹿沼市からの一滴】
「ダム反対鹿沼市民協議会のホームページ」に、元河川局長が12月3日に大阪で発した発言「住民は責任をとるのか」に反論する コメントがアップされました。

【熊本からの一滴】
2005年8月末に、熊本県の収用委員会が川辺川ダムの本体着工のために国交省が行っていた漁業権の強制収用採決申請に対し「取下げ勧告」を出したことはお伝えしましたが、その直後の9月15日、国交省はこの勧告に従って取り下げました。

これで、もう強制収用ができません。川辺川ダムを作る正当な理由であるはずの農業用水が宙に浮いたままでは、一歩も進めない。

では治水はどうかと言えば、たとえば、堤防を点検して強化しましょうという時代に、川辺川ダムによる治水の対象地になっている熊本県八代市で予定されていた球磨川(川辺川が合流する本流)の萩原堤防を補強する計画を、今になって白紙に戻したり、治水計画そのものが、糸の切れたタコ、いや骨すらバラバラになった状態で浮遊している。

国交省は今更やめたと言える柔軟性を持っていないので、ここは一発、熊本県知事が、「利水・治水共に、道理を失ったダム計画に、県税は使えない」と言うべきだ。もちろん、公明党の北側大臣も歴史に名前を刻む功名心からでもなんでもいいから、「もう止めましょう」と英断を下すべきときだ。
 ポール・マッカートニーが「誰だって、自分からParty’s overとは言いたくないさ」とビートルズを辞めたときに言ったけれど、今必要なのは、「川辺川ダムは終わった」と本当のことを言う政治家なんでしょうね。
 読売新聞によれば、熊本県議会には8人からなる超党派の会「ダムによらない治水・利水を考える県議の会」が結成されたそうです。それが、政治決断への一歩につながるといいですね。

 けんかをした後、「ごめんなさい」が言えない子どもじゃないんだから。「ごめんなさい。ダムが要らなくなりました」って認めて、償うべきを償えば、誰も責めたりしない。時代が変わってしまったんだから。

【本日のオマケ】
リバーポリシーネットワークからいただいた情報で、アウトドア服で有名なPatagonia が販売している「アクティビスト・アスリート・Tシャツ」の売り上げの一部が以下の団体に寄付されることになったそうです。
 *北海道自然保護連合・沙流川を守る会(北海道)、
 *サンル川を守る会(北海道)
 *八ツ場ダムを考える会(群馬県)
 *徳山ダム建設中止を求める会(岐阜県)

さらなるオマケで内閣官房・総務省発表の【天下り情報】
2005年12月26日 
独立行政法人
認可法人、公益法人

さて、今年中に、なんとか利根川の河川整備基本方針についてまとめたいと思っています。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月28日 孤軍奮闘の人々 (カテゴリー: 集会・イベント

 ダムに限らず、あっちこっちから悲鳴が上がるのですが、能力的に追いつきませんので孤軍奮闘ダイジェストにします。

【広島市福山市からの悲鳴】
福山市には、知る人ぞ知るのですが、「鞆の浦(とものうら)」という日韓の歴史にとって有意義な場所があります。ここは米国の「世界文化遺産財団」が人類遺産「ワールド・モニュメント・ウオッチ(WMW)」に選定したところそうです。

ここに港湾事業として計画されている道路事業がそれを台無しになると、NPO法人鞆まちづくり工房など9つの住民団体が応援を呼びかけています。応援できる方はこちらへ。

港湾事業は全国ですべて赤字。しかも道路は非収益事業ですから止めるべき。

【石垣市からの悲鳴】
「国土交通省は12月19日、新石垣空港の設置を許可。翌20日内示された来年度予算の財務省原案で、その用地買収費約40億円が計上されました」と白保メール。報道されないと悲鳴。この空港は、一度は、政府与党の判断で中止された事業。しかし、ジェット機が止まる滑走路が欲しい、と復活。国はもう新設空港は作らないと扇国土交通大臣の時代に発表している。しかし、離島は例外という抜け穴で進んでいます。

【静岡からの悲鳴】
新規空港は建設しない、の国の方針の前に、事業が動き出していた静岡県事業の静岡空港。東京と大阪に挟まれ、しかも中部国際空港もできて赤字必死なのに、静岡県は強制収用による土地取得を目指し、強制測量を終了。県議さんが粘り強く取り組んでいます。

港湾も空港も真っかっかな赤字。限られた予算の中で、納税者は何を選ぶのかと、選ばせることを制度化しないと。土建業者が選んだ現在の議員が地方財政と未来世代をダメにする。

【今年出会った最大の孤軍奮闘者】
もう一つオマケで、患者のために内部告発をした産婦人科医で孤軍奮闘をしている人が金沢大学の付属病院にいて、この人の応援団となるべく(私は私で森をニンシンさせようとしているときに、人を応援している場合じゃないんだが、これもご縁)、今まで読んだこともない「薬事法」なんぞを読んでいます。どうなりますことやら。

【孤軍ではないがオマケ】
2006年1月13日は報告会「~アジア版オーフス条約の実現とその可能性を探る~」があります。

オーフス条約は欧州の環境条約で、アジア版を作ろうという話がテーマですが、メインの講師の他にも、実は、欧州の国が途上国に対して持つダブルスタンダードの問題もあるということで、そんなお話をしてくれる飛び入り参加もありそうです。

というわけで、ダム以外の悲鳴編でした。

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2005年12月28日 人口減少 (カテゴリー: 法律・制度

 始まりましたね。人口減少。少子化を政府が騒ぐのは、「税収」が減るからですが、エネルギーや環境面から言えば、決して悪いことではない。問題は、人口が減り、税収が減ることが分かっていたのに、財政支出を絞ってこなかったことだ。
 これ以上のハコモノへの投資は、未来世代へツケを残す犯罪だと思う。

 特別会計の規模412兆円のうち、会計間のやり取り(207兆円)を差し引いた205兆円が本来の特別会計予算の規模。
 そして、国債償還や利払い(89兆円)、財政融資資金への繰入れ(31兆円)などを差し引いて、たったの「17兆円」が予算精査の出発点だと財務省の審議会は結論(特別会計の見直しについて-制度の再点検と改革の方向性(PDF))を出している。

 一般会計予算80兆円のうち、半分が借金(国債)。
 特別会計予算、実質205兆円のうち、半分(89兆円)が借金(国債)返済。しかも、第二の国家予算とも言われる「財政投融資」を資金に貸す「財投債」の発行額が31兆円。
 
 これも借金だから、一般会計で40兆、特別会計で31兆円、合計71兆円の借金を、せっせと平成17年度でこしらえた計算だ。

 予算要求している側の各省庁や出先機関や、特別会計予算が流れている先の自治体、そして、たとえば、河川整備基本方針検討小委員会のような審議会も、「特別会計」改革にはまったく無頓着だ。だが、頓着して現実に目を見開いてもらわないと、改革にはならない。
 
 先日、「ダム予算は治水特別会計から出ていますよね」というと、「さぁ、ちょっとその辺は分かりません」と言った人が国交省の出先機関にいた。強いメマイを覚えた。政策と税収が長い間、乖離し続けていることを、予算執行している現場の人間がまだ気づいていない。さぁ、どうします?

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2005年12月14日 元河川局長が公にした裏話 (カテゴリー: 法律・制度

 背骨で発作的に後先を考えず書いているので、「研究者の役割」について書いたときに、「全研究者を敵に回すような書き方にならないよう慎重に」と忠告をいただいた。そのつもりはなく、それどころか、研究者は世の中をよい方向へ変えていく上で、必要不可欠だと考えている。ただ、審議会の御用学者(「サイレント・マジョリティ」の反対で「サイレント・メイジャー」とでも言おうか)のようにはならないで欲しい、という意味で、全研究者に対する挑戦と取ってもらっても構わないかなと思う。
 だって、政策形成過程に組み込まれていることの幸運を駆使しないなんて、組み込まれていない人から見たら、どれだけ口惜しいことか。

 さて、12月3日に行われた日弁連、近弁連、大弁連主催の「河川管理と住民参加」のシンポジウムの報告の最後です。自分にとって意味があったと思う論点だけを自分のためにまとめてメモしただけなので、これがシンポジウムの全容だとは受け取らないようお願いします。

大熊孝・新潟大学工学部教授の論点
・俯瞰して基本高水を考えるのではなく、虫の目で今ある川はどうなのかと考えるべき。一般論でなく個々の川の話であるべき。
・97年河川法改正で、第3条の河川管理施設に「樹林帯」という言葉が入ったときに僕は河川行政は変わったなと思った。人口密集値で破壊的な被害を出してはいけない。堤防を低くしてオーバーフローさせる治水を考えるべきだ。

元河川局長・竹村公太郎氏の論点
・(基本高水などを)住民が決定していいと言うが、被害が出た場合、訴訟はどこへいくか?法的な責任はどこが負うか。多摩川水害訴訟で国は負けた。敗訴の理由は固定堰を放置したということだった。

 (ここで私まさのは思いました。な~んだ、吉野川第十堰の撤去・可動堰建築という念願も、すべての川で基本高水を過大なままにしておくことも、「放置をしているわけではない、計画の途中である、意図はあるのである」と訴えられたときに責任逃れをするためなのか、と。)

・97年の河川法改正で「住民参加」を入れようとしたときに、各省から反対があるならわかるが、法の番人である(内閣)法制局がもっとも強く反対した。反対の理由は、今まで、住民参加を認めたのは、私権を制限するときだけで、関係住民に意見を聞くのはスタンダードな手続きではない、と言われた。

・河川局は孤立無援だった。それをどうクリアしたのかは言わない。無理してでもクリアしたわけだが、無理な業務を後輩たちにやらせているが、少しづつ歩んでいくのかなと。

(ここで私まさのは考える。竹村さんは「これまでに関係住民の意見を求めたのは、3つの法律しかない」とパワーポイントで以下を指し示したけれど・・・・

===============
河川法(河川整備計画)第十六条の二
 河川管理者は、前項に規定する場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない。

都市計画法(公聴会の開催等)第十六条  
都道府県又は市町村は、次項の規定による場合を除くのほか、都市計画の案を作成しようとする場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。

土地収用法(公聴会)第二十三条
 国土交通大臣又は都道府県知事は、事業の認定に関する処分を行おうとする場合において、当該事業の認定について利害関係を有する者から次条第二項の縦覧期間内に国土交通省令で定めるところにより公聴会を開催すべき旨の請求があつたときその他必要があると認めるときは、公聴会を開いて一般の意見を求めなければならない。
===============

・・・・実際には、この同じ97年(前年の96年から)に、同じ内閣法制局で、環境影響評価法の策定作業が行われていた。そこには、生身の人間の参加とは若干違うけれど、私権を持つものや関係住民どころか、「環境の保全の見地からの意見を有する者」(第8条)が意見書を提出できることになった。

全世界の誰もが意見を言えるとする法律が、日本で同時期に成立したことを忘れてもらっては困るなぁと思った。

===============
環境影響評価法 (方法書についての意見書の提出) 第八条
 方法書について環境の保全の見地からの意見を有する者は、前条の公告の日から、同条の縦覧期間満了の日の翌日から起算して二週間を経過する日までの間に、事業者に対し、意見書の提出により、これを述べることができる。
==============

 シンポジウム終了後、竹村元局長のところへ、ススススと行って「あと、1、2分、内閣法制局の話を聞かせてください」と言ったら、「オフレコです」という。
「もう今日、言ってしまったではないですか」
「まさのさんには言わない」
「え。私のこと知っているんですか」(ま、そうか)
「まさのさんに余計なことしゃべったら、後輩たちに何言ったんだってしかられる。国交省研修では言っているんだけどね」
「じゃ、いいじゃないですか」
「オフレコ」
というわけで、国交省研修を受けた若者官僚からのチクリを募集します(笑)。

 それにしても、住民参加のことを「無理な業務」と言い、「無理な業務を後輩たちにやらせている」という発想はなんとも、いやはや、な発想だ。元河川局長が気にしているのは国交省の後輩たちのことであって、先陣を切って「住民参加」を導入した河川行政で、日本国民がどう日本の川を考えるようになったかではないのだ。

 他にも、多くの面白い論点がありましたが、また、機会と時間があるときに!

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2005年12月14日 基本方針と整備計画の関係の「確認」 (カテゴリー: 法律・制度

 今回の12月3日日弁連シンポジウム「河川管理と住民参加」の最大の成果は、以下のやり取りだと思います。シンポジウム実行委員会事務局長の赤津加奈美弁護士が、おっとりした関西弁で、布村明彦・国交省河川局河川計画課長でも竹村公太郎・元河川局長でも「どなたでもよろしいんですが、お答えいただければ」と2度3度と諦めずに同じ質問を繰り返し、逃げられないと観念して、やっと竹村元河川局長が応じた答えです。

∞ ∞ ∞

赤津加奈美弁護士の質問
「97年の河川法改正の国会審議のときに、当時の尾田河川局長が、「基本方針で定めた中ではこの整備計画がどうしてもできないということになれば、またこの基本方針のあり方についても再度検討をする」と答弁をされています。それについてはどうですか? 」

竹村公太郎・元河川局長
「私は当時の課長だった。これはね、なんでもあると思う。ダムがだめなら次の代替案はある」

∞ ∞ ∞

 このやり取りは、今、各地で問題になっていることと関係します。
 赤津弁護士の質問は、住民参加で整備計画を策定する際に、基本方針に遡って反映されるということがありえる仕組みですね、という確認です。
 そして、竹村さんは、当然ながら、当時の尾田栄章河川局長の国会答弁を肯定し、「ダムがだめなら次の代替案はある」と答えた。
 つまり、ダムを作る作らないは、河川整備基本方針の中で基本高水を定めると同時に、ほぼ自動的に決まってしまいますが、住民参加で整備計画を作った段階で、それと方針とが会わない場合は、方針のほうを変えることがありえる(=なんでもある)ということ。

 シンポジウムの中で、長野県砥川流域協議会座長の宮坂正彦氏は、「住民はダムによらない川づくりをしたいのに、基本高水(基本方針の中でだけで定められる)が住民参加の足かせになっていた。流域の7~8割がダムなしを望んでいたのに最初から国が決めた基本高水をもとにしか提言ができず、基本高水をのまないと、流域住民が必要とする河川整備に着手してもらえず、改修が後回しになった。現在は、基本高水協議会ができた」と報告を行った。
 まさに、尾田・元河川局長が答弁したことの現在進行形。
 住民参加が方針の再検討をさせる道にたどり着いたことを意味します。

 そして、河川整備基本方針は、策定されてしまったけれど、吉野川の流域住民が、整備計画策定においてこれから取り組もうとしている課題そのもの。

 それだけではない、全国の河川にとっても意味を持つので、当時の国会質問と答弁、非常に意味深いので、そのまま、議事録から引用します。質問者は、増田敏男議員は、自民党の議員だった人です。

∞∞∞
衆議院 建設委員会 平成09年05月07日

増田敏男
○今回の改正の眼目の一つとして、地域の声を河川行政に反映していこうというようなことが実は掲げてあります。住民の意見聴取手続を義務づけたのは河川整備計画のみであって、河川整備基本方針は従来どおり河川審議会の意見を聞いて策定するということにされております。
 各河川の長期かつ基本的な方針は、今後行われる具体の河川整備の出発点であり、基本方針にも地域の意向が十分反映されていかなければならない、このように考えます。担当としてはどう考えておりますか。見解を伺いたい。

尾田栄章・建設省河川局長 
○ただいま先生御指摘の河川整備基本方針に関して住民意見の反映をする手続が定めておらないということに関しまして、御批判をいただいておるのは重々承知をいたしておるところでございますが、私どもとしては、この河川整備基本方針と定める事項と申しますのは、全国的なバランスを考えた上で、いわゆる河川の流域が持っております社会環境、自然環境から科学的、技術的に決まってくるような基本高水流量、計画高水流量というような、ある意味では抽象概念でございます、そういうものを定めるという作業が河川整備基本方針でございます。

 そして、この河川基本方針というのは、そういう意味合いで、まさに科学的、技術的に決められるべき、水系一貫をして上流から下流まで、上流に降った雨が下流まで、同じような雨の降り方の場合は下流まで安全に流し得る、上流で降った雨を途中で流域の中に入れるというようなことになれば、まさに人工災害という批判も受けるわけでございまして、そういう水系を一貫をして流量計画をつくる、そしてまたその計画自体が全国の同種、同規模の河川は同じような安全度を持つ、そういう視点に立って調整をすべき事項であるという観点について、その手続を定めておるところでございます。

 そして、この河川整備基本方針に従いまして、ダムをどこにつくるか、どこに堤防をつくるか、そういう個別の事項につきましては、すべて河川整備計画の中で定めます。この河川整備計画については、まさに住民の皆さんの御意見、地方の御意見が反映できるように、そういう形で整備計画の案の段階でお諮りをして議論をいただくということを考えておるわけでございます。

 そういう意味合いで、基本方針で定めた中ではこの整備計画がどうしてもできないということになれば、またこの基本方針のあり方についても再度検討をする、そういう仕組みを考えておるわけでございまして、この河川整備基本方針に住民意見の反映の手続がないということをもって住民意見の反映がされていないという御批判は当たらないと私は考えておるところでございます。
∞ ∞ ∞

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月09日 判例の積み重ね(米国のお話) (カテゴリー: 法律・制度

 12月3日に行われた日弁連、近弁連、大弁連主催の「河川管理と住民参加」のシンポは圧巻でした。2つの日本の最新の訴訟に関連づけて、まずは、米国から来日したディビッド・L・ウェグナー氏(以前は内務省開墾局のエンジニアだった方)に聞いた話などを続けてレポートできればと思います。「アメリカにおける環境法の進化とその日本への適用」という題目での特別報告でしたが、ここでは米環境法史についてはすっ飛ばし、私が学んだポイントを3つ整理します。
 以下、太字はウェグナー氏の論点、それ以外は私の意見・解釈です。

1.米国では、環境訴訟は二つ面から行われるようになった
 プロセス違反(手順や手続)
 テクニカル違反(適切な科学にもとづいているかどうか)

日本では、「プロセス違反」については、川辺川利水訴訟や永源寺第二2ダムのように当然の判決が出始めた。が、テクニカルな違法性という側面からは、常に「政策判断の範囲」などとして門前払いを食ってきた歴史が長く、小田急線連続立体交差事業のような「テクニカル違反」の範疇に入るもので勝てたのは、ほとんど初めてではないでしょうか?

2.米国の環境訴訟にとっても重要な意味を持つ法律が2つできた
・NEPA(National Environmental Policy Act 1969)とそれを補足する州法
・種の保存法(Endangered Species Act 1973)

 NEPA(国家環境政策法)は、日本で言えば約30年遅れてできた環境アセスメント法を含む法律ですが、大きく違うのは、日本は事業を前提として行うものであるのに対し、米国のNEPAでは、事業をやらない選択肢も入れた環境影響評価が行われます。

 「以前は政府だけが、事業の決定に関わることができた。しかし、1969年のNEPAの成立によって、誰もが参加することができるようになった」とウェグナー氏は言いました。
 
 日本でも、環境、社会、経済的な側面も考慮に入れた選択肢を評価できる制度に改正していかねばなりませんね。大きな課題です。

3.次々と成立し、進化した環境法を使って、今次々とLegal Review(法的な精査=つまり環境訴訟)を行っている。例えば、グレンキャニオン保護法ができ、1996年に、それに加えてNEPA、種の保存法によって精査して裁判に持ち込み、政府の意に反して、グレンキャニオンダム撤去につながった。

グレンキャニオン他3つの事例を上げてこのことを説明されました。Legal Review(法的な精査)というのが、イマイチ、講演では理解できなかったので、休憩時間に、さささっと近寄っていって、「法的な精査って誰がどうやってやっているんですか?」と聞きました。

ウェグナー「環境弁護士だよ。彼らが法廷に持ち込むんだ」
まさの「でもどうやったら、彼らは原告適格を得るの?」
ウェグナー「まず、弁護士資格を取る」
まさの「(うっ、と思いつつ)はいはい。それから?原告適格が必要でしょう?どうやって原告適格を確立するの?」
ウェグナー「種の保存法やNEPAとにらめっこ(詳しく読む)するんだよ。何が適用できるかと」
まさの「はぁ。でも、古いプロジェクトに対して、新しい法律が適用されるの?」
ウェグナー「イェース!」
まさの「日本じゃ考えられない!」
ウェグナー「今日も講演した通り、米国だって長い歴史があったのさ。一晩でできたわけじゃないって言ったでしょう?」
まさの「日本では、原告適格を確保したつもりで、裁判に持ち込むことができても、すぐに棄却されたりするけど、米国ではどう?」
ウェグナー「米国でも最初はそうだったよ。判例を重ねて重ねてここまで来たのさ」
まさの「今日は4つの事例を挙げられていたけど、それで全部ですか?」
ウェグナー「もっともっとやっているよ。今日挙げたのは日本の人が関心を持つかと思ったほんの一部さ」

ということで、海外の事例報告は、制度があまりに違い過ぎるので、普通はあまり期待せず、この報告に対しても内心、最初はまったく期待していませんでした。でも、ウェグナー氏が講演した中で、この3つが自分の頭の中で整理できたことによって、日本で今後、こと「環境法」を考えた場合に、何をしなければならないかということが、すっきりと見えてきたので、たいへん、たいへん、有意義でした。

これは、このシンポジウムのほんのさわりです。
さて、本日から週末にかけて時間が取れないので、この続きは来週になるかもしれません。

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2005年12月09日 司法による行政チェック(その2 永源寺第2ダム) (カテゴリー: 法律・制度

大阪高等裁判所はまだ、情報提供の質・量・スピードが最高裁には追い付いていませんね。でも、数年前と比べると大進歩。前は、過去の判決文が欲しいとなると、裁判所に電話をしても「分からない」と言われたものです。事件を扱った弁護士さんを見つけて・・とたいへんな遠回りが必要でした。今は、過去のものについては、下級裁主要判決情報の検索ページが出来ています。
 頑張れ裁判所!

 というわけで、その2は2005年12月8日 
 農水省が、滋賀県の愛知川で土地改良事業として計画していた「永源寺第2ダム」の事業計画決定の取り消しを求められた訴訟。大阪高裁が、「ダムの規模を誤って設計した重大な瑕疵」として、事業計画の決定の「取消しを免れない」としました。

 これは、川辺川の土地改良事業の利水裁判で、死者に同意のハンコを押させて、違法だと判決を受けて、国もぐうの音もでなかったのに続き、農水省の大チョンボですね。問題外というか、特にコメントありません(^^;)。
 原告のみなさんが訴えたからこその結果であり、原告と弁護士のみなさんにただただ敬意を表します。

 以下、ご参考まで(弁護士さんにいただいたものの転載です)。

=========
裁判要旨(骨子)
1 原判決主文第1,2項は相当であって、これに関する控訴を棄却すべきであり、同第3,4項は基本的に相当であるところ、一部相当でない点があるので、その点を変更し、同第5項は、控訴人目録3の控訴人溝上君江の夫の溝上捨吉、控訴人野田清司及び同野田哲夫宛の異議についての各決定の取消しを求める同控訴人らの請求は理由があるから、同各決定を取り消す。

2 すなわち、本件事業計画決定には、決定の時点で、ダムの規模を誤って設計した重大な瑕疵がある。この瑕疵は、ダムの貯水容量を算定し、また、ダムの規模を設計するために被控訴人側が定めた通達等所定の地形調査の一部やボーリング調査等の地下地質調査の一部を実施せず、事業計画の決定の際に把握すべきであった建設予定地の地形や地質が正確に把握されなかったことにより生じたものである。そのため、少なくとも、通達による投資効率の算定値基準を充足しない可能性が生じる結果となり、結局、経済性の要件についての適正な審査がされずに、その点が看過されたまま本件決定がされたというべきである。その点が看過されると、国や地方自治体の多額の公金を含む多額の費用の投入が予定されている大規模な国営の土地改良事業である本件事業について、法及び令が国民経済的な観点から規定した経済性の基本的な用件が無意味になってしまいかねないというべきである。

3 そして、土地改良法は、本件事業計画の決定が専門的知識を有する技術者の調査・報告に基づいてされなければならないとしているところ、本件事業についての調査・報告は、上記の諸点に基づく瑕疵について調査された形跡がなく、またその旨の報告もなく、不十分であり、土地改良法の趣旨に反するものといわざるを得ず、本件決定は、実質的に専門的知識を有する技術者の調査・報告に基づいたものともいえない。

4 このように、本件事業計画の決定には、極めて重大な瑕疵があり、それは適正手続に反するもので、その決定が専門的知識を有する技術者の調査や報告に基づかなければならないものと定めた土地改良法の趣旨に反し、いずれの観点からも違法であって、本件事業計画の決定は取消しを免れず、控訴人目録3の各控訴人の関係で異議申し立てについての上記の各決定は、取消しを免れない。
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まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月09日 司法による行政チェック(その1小田急) (カテゴリー: 法律・制度

 2日立て続けに、司法による行政チェックの機能を広げる判決が出ていて喜ばしい。最高裁も最近、情報提供が進んでいます。このページから見ることができます。 一つは、原告適格の拡大。
 

2005年12月7日 
大法廷判決 小田急線連続立体交差事業認可処分取消,事業認可処分取消請求事件

=============
判決の要旨:(最高裁ウェブサイトよりそのまま)
 1 都市計画事業の事業地の周辺に居住する住民のうち事業が実施されることにより騒音,振動等による健康又は生活環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれのある者は同事業の認可の取消しを求める訴訟の原告適格を有する
 2 鉄道の連続立体交差化を内容とする都市計画事業認可の取消訴訟において事業地の周辺に居住する住民が原告適格を有するとされた事例
 3 鉄道の連続立体交差化に当たり付属街路を設置することを内容とする都市計画事業認可の取消訴訟において事業地の周辺に居住する住民が原告適格を有しないとされた事例
=============

ポイントは、「行政が絡む事業において、裁判を起こすことができる人の幅」が広がったこと。

これまでは、民間の事業であれば、「地権者」がNOと言えば、裁判を起こすまでもなくできなかった。ところが、この小田急線の事業のように行政が絡んだ都市計画事業や、その他のすべての公共事業では、「地権者」や「周辺住民」がNOと言ってもゴリ押しができて、それを誰も止めることができなかった。

ことに、裁判となると、「地権者」つまり、その事業が行われる場所に「私権」を持っていなければ、裁判すら起こせなかった。

それが覆されて、それ以外の「周辺住民」にも、裁判を起こすことができるようになったこと。

この判例によって、まず確かなことは、「東京都の環境影響評価の対象地域内に住む人、37人」にも、その資格が認められたことです。

ということは、国や自治体でできた環境アセスメント制度がようやく、司法の中でも市民権を得たということではないでしょうか?(違っていたらご指摘ください)

ということは、原告適格という資格の幅もさることながら、事業が進んでしまうよりも早い段階で、裁判が起こせるようになったとも言えるのではないでしょうか?

そしてそれこそが、行政をチェックする司法の機能としてより重要なのではないかと考えます。

国のレベルで環境アセス法ができたのは、くしくも河川法改正と同じ1997年です。

真綿で首を絞めるように、地域住民をいじめてきた公共事業ですが、今度はその逆で、司法を使うことができるようになった地域住民が、異論を持つ公共事業の首を絞めることができる足がかりができたということになります。

今後の行方に、行政から司法へ無言のプレッシャーがあるのではないかと思いますが、最高裁判事の方々は、良識にもとづいて歴史の新しいページをめくっていただきたいと考えます。

司法による行政チェック「その2」と、それらに関連して、12月3日の日弁連などのシンポで米国からきたスピーカー・ディビッド・ウェグナー氏に聞いた話などを続けてレポートできればと思います。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月05日 オールor ナッシングの解説 (カテゴリー: 住民参加

 第一ラウンドについて、蔵治先生からコメントをいただきました(感謝!)。第二ラウンド で、研究者に対して「私が望みたいのは、All or Nothingです。関わるなら、一生懸命かかわって欲しい。それができないなら関わらないで欲しい」と発言をすることを見越して先回りでコメントをくださいました(さすが!)。とてもありがたいです!時間がなくて言葉足らずだったので。

 蔵治先生に続いて、高橋さんから「All or Nothingって何のことか解説してください!」というコメントもありましたので、解説します。まずは、蔵治先生の「そのお気持ちはよくわかりますが、しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。そして、それが社会の健全なあり方なのかというと、私はそうは思いません」に、100%賛成です。
 
 蔵治先生の研究会に出入りさせてもらうようになって一番嬉しいのは、さまざまな研究者がさまざまな研究に取り組んでいるのだということを知ったことです。
 ただし、「研究者」が研究として関わることと、たとえば河川法にもとづく河川整備基本方針の「意思形成過程」に組み込まれることに報酬を受けて依頼を受け、引き受けることでは、問われる「責任」が違うと思うのです。

 能力以上のことをしろとはいいません。誰も彼も100%関わって欲しいともそうできるとも思いません。市民が行政手続に関与していく中で、研究者に20%でも10%でも関わってもらえたらとありがたいと思うことは数多くありますし、必要です。でも、意思決定過程に組み込まれることを選択し、その場に参加している以上、事務局が出してくる原案に無検証、無批判で、シャンシャンと通していくのは無責任だと思うのです

 無責任と感じた場面を、利根川のケースではすでにパネルディスカッションの中で出しましたので、あと2ケース報告します。

●11月30日に私が傍聴した淀川河川整備基本方針の策定の小委員会では、3人の委員が、「資料が膨大で中身を理解していない」と発言しました。たいへん勇気ある、正直かつ重要な発言だと思います(それが議事録に残るかどうか、注目をします)。実際には他にも「理解していない」にも関わらず、そのことすら伝えずに、座っているだけの委員が多いのではないでしょうか。中身を理解していない委員がそのままにして「方針」をもしも通したとしたら(おそらくそうなるのではないかと危惧しています)、この方々は、一体、なんの役割で、この審議会にいるのでしょう。自問自答して欲しいのです。

●吉野川河川整備基本方針の策定の小委員会では(これも傍聴しました)、日弁連のシンポジウムで姫野雅義さんが言ったように、「4年も5年もかけて、住民が議論されたにも関わらず」、また、与党政府によっても「第十堰改築事業は白紙」と結論が出たにも関わらず、また審議委員に対し、流域の住民から、緑のダムの効果について、「研究者」の協力を得て、住民その他の寄付金と徳島市からの予算で検証をした結果を検証して欲しい、「私たちの意見を聞いてくれ」とリクエストをされているにも関わらず、きちんと応えない、専門家としての意見を言わない、誠意を見せないのは、研究者として、いかがなものでしょうか。その好奇心のなさをとても情けないと思ったのです。ALL(100%)というのは他人との比較や能力において、誰々は100%という種類の100%ではなく、一人の専門家として、その人自身の能力の限界と良心と熱意と誠意においての100%を注いで欲しいと言う意味です。

100%(ALL)と言っても、多くを望んでいるわけではありません。良識の範囲で、研究者なりの対応の仕方というものが、利根川の場合も、淀川の場合も、吉野川の場合もあると思うのです。この3つはたまたま私が傍聴することができた川です。でも、109水系すべてにおいて、毎度、同じ20数名の委員で、この調子でやるとしたら、それは、適正な政策形成プロセスと言えるだろうか?そうは思えないんです。

「住民、市民は、計画や管理に参加、参画の機会が与えられれば与えられるほど、研究者を必要とするのではないかと私は思います」ということにも、100%その通りだと思います。

だから、また、その逆に、参加、参画できない住民・市民から、意思決定機関に組み込まれている「審議委員」に向けられた問いかけや疑問にはきちんと向き直って謙虚に耳を傾けてもらいたいと願うわけです。

審議会の進め方に疑問があるなら、あると、しっかりと、公言し、改革を求め、責任ある審議会のあり方はなんなのか、あるいは、審議会以外の意思形成過程のあり方を日本は目指すべきではないのかということを(オフレコ発言している方は、河川分科会に限らず、複数いますので)公言して、行政の意思決定のやり方でマズイところを変えていくことに寄与して欲しいのです。

そのカギを、国や政府自治体の「審議会」などに組み込まれている研究者なら、与えられている。その幸運を、人々のために使って欲しいと思っているのです。

2日のパネルでは、審議委員であられる虫明先生に、私のその思いを一気に覆い被せたような感じだったのに、虫明先生は真摯に応えてくださり、とても感謝しています。私はこうして直接にお話する機会がある。でも、多くの一般の方々は、それすらできない。私は自分の幸運を使う責務があると気負い(ジャーナリストとしての責務かと)、極論ですが、極論だという言葉を節約して、All or Nothing と申し上げました。

でも、繰り返すように、審議委員になるということは、責任を伴うのであり、単に大学や研究室でのお勉強の延長と思ってもらっては困る。その「意思決定」によって、影響を受ける人がいる。人生が左右される人が必ずいるということに、思いを馳せて真剣に対応してもらいたい、という意味です。(この言葉はモノを書く私自身にもそのまま返ってくるわけですが)

このテーマは本当に深いと思います。一期一会で、そのとき、そのときにできる精一杯のことを、関わることができたものが言動・行動を繰り返すことが重要なんだと思います。

★吉田先生も、第一ラウンドへのコメントありがとうございます。「計画されている「上流ダム群」には6千トンを調節する能力がありません」とのご指摘の点、その通りです。第一ラウンドでは、実は私自身、その点を述べました(端折りましたが、またじっくり解説したいと思います。少しだけ数字が今回変わっているところもあり)。また、3日の日弁連シンポジウムでは、嶋津暉之さんもそのことをご指摘されました。というか、私は嶋津さんにその点を教えていただいたのですが。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月05日 研究者の役割(第二ラウンド) (カテゴリー: 住民参加

 さらなる続きです。第二ラウンドは今回の研究会「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」のサブタイトルである「研究会の役割」はなんでしょう?という司会の蔵治先生からの質問でした。
 私からの提起は「住民が意思決定をするためのアドバイサーの役割に過ぎないのではないでしょうか?」ということです。しかし、それが今は自他ともに過大評価されている。

 流域委員会でも審議会でも鎮座ましましておられるが、実際は今の社会資本整備審議会河川分科会河川整備基本方針検討小委員会のように、とてもではないが、責任を持って審議できないようなスピードで科学的検証もなく通していく。
 私が望みたいのは、All or Nothingです。関わるなら、一生懸命かかわって欲しい。それができないなら関わらないで欲しい。

 将来的な理想は、あくまで、意思決定(合意形成)の主役は住民で、住民が必要な専門知識を、ここが分からない、あそこが分からないとなったときに提供する役割を研究者が果たすこと。でも、現状では、過大な役割を負わされているのが現状。しかし、負う限りは命がけで関わって欲しい。
 利根川の例のように、基本高水の科学的な検証ができないのに関わるのは無責任だ。

 もう一つ望みたいのは、研究者が外部から、第三者として、肱川流域委員会の事例研究のように分析の結果、おかしければ、おかしいと、また良い事例があれば良い例を分析して、ドンドン情報として出していって欲しい。それによってよりよい河川行政(合意形成のあり方と言った方が良かったかな)を実現することにもつながるのではないでしょうか。

 そんなことをお話しました。
 
 ちなみに、「審議会」でも「流域委員会」でも、学識経験者からは、ほとんど発言もなく、発言をするとしても、事務局である国交省への質問や確認や感想が一言三言であること、また、「専門家」は自分の専門の狭い範囲でしか、発言をしないことなど、その関わりの問題点が、さまざまな発言者によって共有されました。

 研究会終了後、「事例発表はなんだか悪い事例の方が注目を浴びてしまいましたねぇ」「この研究会の目的は、合意形成を上手くやっている流域委員会を見つけて褒めて、広めていこうということだったんだけどね」と、学生さんたちとボソボソ話しながら、懇親会に向かいました。
 
まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 情報スッポンポン(第二ラウンドの前提) (カテゴリー: 住民参加

 続きです。研究者がそれぞれの知見を共有することで、研究会中に、面白い発見がありました。基調講演を行った東工大の桑子敏雄先生は、淀川流域委員会の、「木津川上流住民対話集会」で、住民意見反映のための集会の設計と運営をされた貴重な経験を持つ。合意形成マネジメント協会の理事長でもある。
日頃から、いかに従来の日本の「キーパーソンの根回し型合意形成」から「不特定多数の合意形成」へと変化していかなければならないか考えておられる。

 「淀川流域委員会は、『情報を小出しにすると、まだ何かあるのではないか。隠しているのではないかと疑われる、だから表現は下品だが、情報スッポンポン、パンツまで脱ぐ』と国交省が言って始まったんです」と笑いを取って講演が始まった。

3つの立場
 その桑子先生の的を射た整理の仕方で最も興味深かったのが、3つの立場の合意について。3つの立場とは、「学識経験者」「関係住民」「都道府県長/市町村長」。
 河川整備計画策定の際、その3者の意見を聞くようになったことは、とても意味がある(下記参照)。なぜなら、学識経験者と、住民と、代議制によって選ばれた人々の意見は常に同じとは限らない。代議制で選ばれた人は個々の事業のスタンスだけで選ばれたわけではない。個別の事業について関係住民が意見を述べる場が確保されていることは大きな意味を持つ、というお話だ。

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(河川整備計画) 第十六条の二
3  河川管理者は、河川整備計画の案を作成しようとする場合において必要があると認めるときは、河川に関し学識経験を有する者の意見を聴かなければならない。
4  河川管理者は、前項に規定する場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない。
5  河川管理者は、河川整備計画を定めようとするときは、あらかじめ、政令で定めるところにより、関係都道府県知事又は関係市町村長の意見を聴かなければならない。
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 逆に「河川整備基本方針」では、この3つの立場の合意は前提になく、河川整備計画の策定の仕方と比べるとアンバランスであると言う。
 
===============
(河川整備基本方針) 第十六
3  国土交通大臣は、河川整備基本方針を定めようとするときは、あらかじめ、社会資本整備審議会の意見を聴かなければならない。
===============
 
 ここで、私の意見を加えると、社会資本整備審議会での河川整備基本方針を決める場には、必ず、関係首長(ほとんどその代理)が呼ばれているので、住民以外の2者は確実に、意思決定過程に組み込まれている。

肘川流域委員会ケース
 さて、一方、愛媛県の肘川流域委員会を事例研究に取り上げた大学院生の途中経過によれば、肱川水系流域委員会の規約では、その設置の根拠は「第十六条の二の3」(上記参照)だと言う。ところが、流域委員会のメンバーは14名中7名が流域自治体の首長。しかし、首長たちは「第十六条の二の5」(上記参照)で意見をいうことができる。流域委員会のメンバーに首長が入るのはおかしいのではないかと指摘。

 とても適正でスルドイ指摘だと思いました。(他にも興味深い考察がありました)

 このお二人の話と最近、私が傍聴している社会資本整備審議会の模様を思い浮かべて考え合わせると、確かに、河川整備基本方針・整備計画を策定する上で、最も重用されているのは「学識経験者」で、また、首長も実質的にその双方に関わっている。それぞれ、2つの場での関与が確保されている。
 一方、「第十六条の二の4」(上記参照)では、「必要があると認めるときは」となっているので、住民はゼロ~1回しか、関与することができない。

 そして、パネルディスカッションの第二ラウンドへと進んでいきました。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 研究者の役割(第一ラウンド) (カテゴリー: 住民参加

利根川の基本高水.jpg 「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」へは、元河川局長や、八ッ場ダムの元担当者も聴衆として来ていました。それは後で知った(前者は終わり頃に出て行かれるのをパネリスト席から発見。後者は帰りの新幹線でバッタリ)ことですが、、そのパネルディスカッションで私が訴えたことは、ここ最近傍聴している「社会資本整備審議会・河川分科会・河川整備基本方針検討小委員会」(以下、「審議会」と言います)で「学識経験者」が果たしていない役割です。

河川法で導入されたはずの「住民参加」の実態として表出している「流域委員会」の事例(研究者や学生が半年かけて調査してきた結果)と、自分が傍聴してきた「審議会」における学識経験者の「参画度」の軽重を比べ、制度の形骸化(制度が機能していない)を感じたからです。

ですから、同じパネリストで、審議会の委員を務める学識経験者に、ここ1ヶ月で感じてきた疑問を歯に衣着せずぶつけました。2回だけ発言の機会がありました。まずは自分の発言内容をまとめておきます。

Round 1
●去年の今頃、量的な進展のなさを指摘しました。
97年改正河川法以来、7年も8年も経つのに、経過措置中のまま「環境保全」と「住民参加」を盛り込んで策定されるはずが、
 河川整備基本方針 策定済みはわずか 
  一級河川 29水系/109水系(04年9月現在)
  二級河川 225水系/2700水系(03年11月現在)
 河川整備計画 策定済みはわずか
  一級河川 11水系/109水系(04年9月現在)
  二級河川 107水系/2700水系(03年11月現在)

●今年は、うって変わって、審議会にて、一級水系で河川整備基本方針策定ラッシュです。
河川整備基本方針の今後の策定見込み等について(PDF)
にあるように、
・ 平成17年度は、109水系の50%以上の水系で策定。
・ 平成19年度までに基本的にすべて策定。
と平成17年4月15日に、発表され、

去年まで (「方針」が策定された水系の数)
年度  H11 H12 H13 H14 H15 H16
策定数 6   4  3   4  7  6 

今年から(「方針」が策定された水系の数)
年度  H17     H18     H19
策定数 25~30  35~40  10~20

その審議会で、学識経験者は、国交省事務局が出してくる「河川整備基本方針(案)」をパンパンと通すスタンプ台と化しています。

●昨年、私が提示したキーワードには
「河川整備基本方針は国交省の密室で決まる」
「特に基本高水」がそうです。「密室」には審議会も含まれます。
というのも、旧法で定められた工事実施基本計画を中身の議論をせずに、そのまま踏襲しているのが審議会です。その具体例が利根川の基本高水です。

●今年の懸念、利根川治水計画
利根川の基本高水は、1935年以来1万m3/s  → 1949年1万7000m3/s
→ 1980年2万2000m3/s と変化してきましたが、最終的に、1947年のカスリン台風を契機に2万2千トンという基本高水が決まりました。これはこのとき、
1) 利根川の堤防が切れたために、正確なデータがなく、
2) 建設省内で推定を行って二つの数字が出てきた、
3) どちらを採用するか決まらなかった、
4) どうしましょうかと関係知事に聞いた、
5) 関係知事らは「大きめがいい」と言った、
6) 建設省内で出した二つの数字よりもさらに大きな1万7千トンという数字が採用された。
7) 200年に1度と引き延ばして2万2千トンとなった。
その「2万2千トン」がいかに過大であるかは、上記のグラフ(水源開発問題全国連絡会・嶋津暉之氏作成)でみるとよく分かります。

このように審議会に参加している専門家は、専門家でありながら、「どう基本高水が決まったか」を科学的に検証することもなく、参加している。専門家としての役割をまったく果たせていないのではないか。しかも、今年から始まったような1週間に1本通すようなスピードで、お墨付きを与えていくのは、無責任ではないかと思う。「審議委員の虫明功臣先生、どう思われるかというのを質問したい」(第一ラウンドで提起したことの一部をここでは省略)

【虫明先生の第一声】
「おっしゃる通りの状態で進んでいる。言い訳をするしかない」
そして、言い訳の内容として(要旨のみ)
・基本高水は工事実施基本計画で定められてきたが、改正法に従って「方針」と「計画」を早く策定しなければならない。計画の継続性を考え踏襲してきている。利根川の17000トンという数字は「氾濫戻し」(まさの解説:「氾濫戻し」とは「堤防が切れて正確な流量が分からないので、堤防の外に氾濫した量を後で推計をした」ということです)をした数字だと理解している。それを200分の1確率に治水安全度をグレードアップしたので2万2千になった。だが、過大と言われるものではない。治水については昔の計画を引きずっているのは事実。

【この件に関する私の意図と感想】
この質問の背景には、いくつかのことがあります。
・法制度上、「基本高水」を決定するのは国土交通省であり、その際、唯一、専門家の立場の方々に意見を聞くのが「審議会」であること。本来、それを科学的に検証すべき立場にいるのが、研究者であること。
・一方、法制度上、基本高水について「住民参加」はできない。しかし、今、河川を巡る紛争の元を辿るとほとんどすべて「基本高水」にある。だから、そこに市民参加が必要だと考え、それができないので、人々は苛立っている。
・「参加」できる専門家に頑張ってもらわねばならないのに、その役割を全く話していないどころか、追認しているだけという状態にあることで、さらに苛立ちを覚えている。
このことをまずは、提起したかった。

その苛立ちは伝わったと思うが、実はとれていない。今後の課題を抱えて帰ってきたと思います。

審議会で、しっかりと基本高水の議論がなされない限り、日本の河川行政は、環境保全とか住民参加と言ってもお題目だけで、変わらない、という実態があります。

それ以上に、防災から減災(災害が起きた場合に、被害を最小限に抑えていくための考え方)へという考え方が生まれてきているときに、いつまでも、防災を「基本高水」任せにしていていいのか、ということも訴えました。

河川局のみなさん、そして、布村明彦河川計画課長(名指しで恐縮ですが)、考えてみてください。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 青の革命 (カテゴリー: 集会・イベント , 住民参加

このページの右下のところにあるけれど、12月2日金曜日、東大の蔵治光一郎先生率いる「青の革命と水のガバナンス」研究グループの、第10回研究会「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」にパネリストとして参加してきました。

この研究会には交通費だけいただいてアドバイザーとして加わっているのですが(と言っても、私が自負するアドバイスは「学問とは社会をよりよくするためにある、社会に役立ててなんぼのもんであって、学問のための学問、研究のための研究ではいけないと思うんですよね」ぐらいで(しかもこの日に欠席している学生さんたちは聞いていないかも^^;)、研究や学問という意味では私の方が学んでいる感じ。(へぇ、研究ってそうやるんだ…って。また、研究者の調査・研究って、ジャーナリストの調査や取材と似てるなって。研究者にしろジャーナリストにしろ、魅力ある「仕事」はやっぱり足で稼いだ地道なものだなと。その意味で私はまだまだこれからです。)

ということで、今日は、机にかじりついて、腰が痛くなるまで(^^)、その第10回研究会で学んできたことと、次の続きイベント「日弁連公害対策・環境保全委員会35周年記念シンポジウム」で考えたことを、レポートしていきます。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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