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ダム日記2 河川法を改正しようヨ by まさのあつこ

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2006年03月27日 熊本方式のススメ (カテゴリー: 住民参加 )

 前回に引き続き(少々サボっていました)、熊本からのニュースです。
 といっても、清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会(手渡す会)の会報「かわうそ38号」(2006年3月20日発行)の部分転載です。
 その後の国、県、県議会の動きがコンパクトに分かります。

~~「かわうそ38号」から~~~~~

川辺川の新治水方針は
  住民参加の熊本方式で!

 国土交通省の収用裁決申請の取り下げで、川辺川ダム事業計画が白紙化している中、同省は球磨川流域の新たな治水方針(河川整備基本方針)の策定に着手しました。潮谷義子・熊本県知事も、策定にかかわる検討小委員会に加わる意向を示しました。

 これは、新河川法に基づく手続きで、検討小委員会は国交省が示す「基本高水流量」(洪水時の最大流量)などを検討することになっています。ところが、委員の多数を国交省側の専門家が占めており、すでに先行している流域では、住民から「国交省の示す数値に委員は反論できない」との批判が出ています。

 住民を締め出す、このような国交省のやり方は、時代に逆行するものです。これでは客観的な検証はとても期待できず、流域住民の納得も得られないことは明らかです。

 川辺川では、2001年12月から事業者(国交省)と住民が同じテーブルにつき、熊本県がコーディネートして事業の是非を議論する「川辺川ダムを考える住民討論集会」が開催されてきました。その中で「基本高水流量」の検討も行われました。過去最大の洪水が来ても、一部の未改修の地区を除いて現状でも球磨川からあふれないことや、ダムなしの総合治水対策が現実的であることが、住民側の主張により明らかにされました。

 住民討論集会や新利水計画の策定を通して、熊本県が国と住民との調整役をしてきた実績は「熊本方式」とも呼ばれ、高く評価されています。新河川法の精神は、「流域住民の意見や環境に配慮した川づくりを進める」です。国土交通省は、「熊本方式」の実績を活かし、住民参加で河川整備基本方針づくりを進めるべきです。

(中略)

編集後記 昨年12月に、熊本県議会議員8名による「ダムによらない治水・利水を考える県議の会」が発足しました。現地視察や学習会、知事への提言書の提出など、活発な活動を展開されています。◇新利水計画策定で、熊本県が川辺川から直接取水する独自案を提示したことに対し、自民党が猛反発しました。県議会では自民党の県議が潮谷知事の答弁を拒否しました。「県独自案」が「ダム案」よりも優れていることが明らかになるのを恐れたのでしょうか。議会という公の場できちんと議論さえしない自民党の姿勢は、全くおかしなものです。農民の立場に立った協議の再開が待たれます。一方、ダム本体建設予定地のある相良村の矢上雅義村長は3月17日の村議会で、県の独自案を評価しています。◇3月27日には、人吉で県議の会の第2回県民学習会が開かれます。大変重要な集会です。是非お集まりください。(N.O.)

~~「かわうそ38号」より転載、以上~~~~~

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2006年02月12日 Who said what (カテゴリー: 住民参加 )

 河川分科会(とその小委員会)の議事録の発言者名が非公開の件を書いた途端、東工大の原科幸彦教授から電話があり、開口一番、「読みましたよ。公開しないって。バカ者だなぁ。誰だ、そいつは!」「課長の段階で、審議委員まで届いていないんじゃないかと」「名前を出したくないという委員は辞めさせればいいんだ!Who said what(誰が何を言ったか)が一番重要なんだ!」と私より、本気で怒っている。

 原科教授が引き受けた審議会とその類のものは、全部会議も議事録も発言者名ももちろん、口うるさく最初に言って公開させてきているのだ。

たとえば、長野県の「中信地区廃棄物検討委員会」がそれ。

「(発言者名の)公開を嫌がるなんて、審議委員を受けておいて責任持たないってことだ」と、こちらが圧倒されるほどに、檄を飛ばし、「頑張れ」と『市民参加と合意形成』を謹呈してくださった。(先生、届きました。ありがとうございます~。)

『市民参加と合意形成』(原科幸彦編著)学芸出版社
それに二つの関係雑誌記事のコピー2編
「意思形成過程の情報公開ななぜ必要か」(1999年MAY ASHITA)
随想「意思形成過程の情報公開」(192号 判例自治)

ポストイットで「発言者名の明記は必須!」とメモが(笑)。
 
ということで、次のステップのうちの一つは、直接、委員長と会長に(課長を通さず)公開すべきではないですかと訴えることと、もう一つは、録音テープの開示請求です。

いろいろ知恵を授けてくださる方がいます。
提供されたアイデアを次々と試してみるつもりです。

なぜか?
正当な理由もなく非公開にするのは、おかしいからです。

100人に聞けば100人とも、傍聴させている審議会の発言者名だけを
議事録から非開示にするなんて、理に適わないと思うでしょう?
当たり前が当たり前に通用する世界にすれば
もの凄く多い官僚の自殺も減っていくのではないかと思うのです。

小さなところからコツコツと。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2006年02月08日 誰を見て何のために仕事をするか? (カテゴリー: 住民参加 )

 昨日2月7日の社会資本整備審議会河川分科会河川整備基本方針検討小委員会、傍聴に滑り込むと、最後に、またしても司会役の近藤徹委員長が、「本日の議事録につきましては、内容について各委員の御確認を得た後、発言者の氏名を除いて国土交通省大臣官房広報課及びインターネットにおいて一般に公開することとします」と言う。

 終了後、河川計画課の布村課長に近づき、「議事録の発言者の名前の公開の要望の件、どうなりましたか?」と話しかけた。

 小委員会長と河川分科会長に、発言者名も公開してと要望したものを渡してくれと課長にあてた手紙だ。

 電話でプッシュと思いつつ、顔が見えた方がいいと思い、今回ようやく「那賀川」という自分にとって意味のある傍聴の日を選んで行った。

 「あ」と課長。「郵送で送ったんですが、受け取られておられません?(私は)出張(と取材)続きだったので連絡がなかなかできなかったんですが」と私(他の取材のついでに2回立ち寄ったが、2度とも、打ち合わせ中で終わりそうな雰囲気がなかったので帰った)。

ま「(発言者名の公開について)調べてみるとおっしゃっていましたが、他の委員会がどうしているか調べるという意味だったと思ったので、こちらでも調べましたが」
課長「委員会によりますね」

ま「でも公開している委員会があるわけです。お二人(委員長と会長)に渡していただけましたか?」
課長「それは渡ってるんじゃないかな。担当に渡したから」

ま「●●補佐ですか?」
課長「う。うん」とその課長補佐の姿を探してキョロキョロするフリ。

ま「お諮りいただけたんでしょうか?」
課長「そういうこと(非公開)で始まってますから」(諮りもしない、という雰囲気)

ま「ですから今回、新たに諮って欲しいという要望書を出したんです。委員会へ外から出された意見は伝えることになっているでしょう?」
課長「すべての要望に応じる必要はないでしょう?」

ま「だから、まずは、それを諮って欲しいと。委員長に聞けばいいですか?」
拉致があかない。あかすつもりがないのだ。

 この件は、元々、大阪の日弁連のシンポジウムでフロアからある弁護士から「議事録には誰が何を言ったか発言者名も公開すべきではないか」と提起されたことに、布村課長自身が「傍聴させているのに委員の名前を伏せるのは確かに今はもう意味はない。調べてみます」と言ったことが始まり。

 課長自身が、国民の方を向いた仕事をしようと思えば、「このような声が出ている。公開するかどうかを委員会に諮ってはどうか」と審議会の事務局として、委員長・会長に進言すればいい。その結果の判断は、委員会がすればいい。

 「行政マン」ができる範囲での筋を通させてあげたかったのに残念なことである。

 この件はこれでは済ませられない。
 私は次なるステップに進むことになる。やれやれ。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2006年01月09日 審議会議事録での発言者の公開 (カテゴリー: 住民参加 )

先日の日記で、【傍聴させるのに名前を公表しないのはオマヌケ】と小見出しを打って、議事録を公開するとき、発言者の氏名を伏せるのはオカシイと書きました。また、担当課長が「傍聴させているのに委員の名前を伏せるのは確かに今はもう意味はないですね」と認めたことは書きました。

実は、この件、もともと、12月3日日弁連シンポジウム「河川管理と住民参加」シンポジウムで、フロアからの質問で、ある弁護士が指摘した問いで、課長は、そのときにも同様の回答をして「調べます」と締めくくっていた。この弁護士の訴えはもっともだと思ったので、私なりにチョコチョコと追撃していたのですが、そこでも「傍聴させるのに・・・」「だから、調べます」という同様の回答が繰り返されてきたのでした。

さらに、小委員会の近藤徹委員長にも「発言者名も公開したらいいんじゃないですか」と聞いたところ、「委員長だけは委員長と出るんだよね」という反応がありました。

この二人の回答を聞けば、あとは、他の委員たちに「発言者も公開しようじゃありませんか」と諮るだけの話。「調べます」といった課長はもしかすると年末年始に調べていて、実行に移そうとしている頃かもしれないが、私も、今、調べてみました。

そう。他の審議会がどのようになっているかです。調べるのに5分もかかりませんでした。

議事録で発言者を伏せるのはやっぱりもうナンセンス

たとえば、経済産業省
消費経済審議会製品安全部会

たとえば、環境省 
中央環境審議会水環境部会

法務省でさえ
司法制度改革審議会

農水省でさえ
食料・農業・農村政策審議会農村振興分科会農業農村整備部会

財務省でさえ
関税・外国為替等審議会関税分科会

審議会の発言者名を含めて公開しています。

だから、国交省の社会資本整備審議会でも、議事録の発言者名も一緒に公開すべきでしょう。
とはいえ、「変わる」には何か「きっかけ」が必要なのでしょうから、明日は、彼らに対して、議事録中の発言者名も一緒に公開するよう、要請書を書いて出してみます。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月05日 オールor ナッシングの解説 (カテゴリー: 住民参加 )

 第一ラウンドについて、蔵治先生からコメントをいただきました(感謝!)。第二ラウンド で、研究者に対して「私が望みたいのは、All or Nothingです。関わるなら、一生懸命かかわって欲しい。それができないなら関わらないで欲しい」と発言をすることを見越して先回りでコメントをくださいました(さすが!)。とてもありがたいです!時間がなくて言葉足らずだったので。

 蔵治先生に続いて、高橋さんから「All or Nothingって何のことか解説してください!」というコメントもありましたので、解説します。まずは、蔵治先生の「そのお気持ちはよくわかりますが、しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。そして、それが社会の健全なあり方なのかというと、私はそうは思いません」に、100%賛成です。
 
 蔵治先生の研究会に出入りさせてもらうようになって一番嬉しいのは、さまざまな研究者がさまざまな研究に取り組んでいるのだということを知ったことです。
 ただし、「研究者」が研究として関わることと、たとえば河川法にもとづく河川整備基本方針の「意思形成過程」に組み込まれることに報酬を受けて依頼を受け、引き受けることでは、問われる「責任」が違うと思うのです。

 能力以上のことをしろとはいいません。誰も彼も100%関わって欲しいともそうできるとも思いません。市民が行政手続に関与していく中で、研究者に20%でも10%でも関わってもらえたらとありがたいと思うことは数多くありますし、必要です。でも、意思決定過程に組み込まれることを選択し、その場に参加している以上、事務局が出してくる原案に無検証、無批判で、シャンシャンと通していくのは無責任だと思うのです

 無責任と感じた場面を、利根川のケースではすでにパネルディスカッションの中で出しましたので、あと2ケース報告します。

●11月30日に私が傍聴した淀川河川整備基本方針の策定の小委員会では、3人の委員が、「資料が膨大で中身を理解していない」と発言しました。たいへん勇気ある、正直かつ重要な発言だと思います(それが議事録に残るかどうか、注目をします)。実際には他にも「理解していない」にも関わらず、そのことすら伝えずに、座っているだけの委員が多いのではないでしょうか。中身を理解していない委員がそのままにして「方針」をもしも通したとしたら(おそらくそうなるのではないかと危惧しています)、この方々は、一体、なんの役割で、この審議会にいるのでしょう。自問自答して欲しいのです。

●吉野川河川整備基本方針の策定の小委員会では(これも傍聴しました)、日弁連のシンポジウムで姫野雅義さんが言ったように、「4年も5年もかけて、住民が議論されたにも関わらず」、また、与党政府によっても「第十堰改築事業は白紙」と結論が出たにも関わらず、また審議委員に対し、流域の住民から、緑のダムの効果について、「研究者」の協力を得て、住民その他の寄付金と徳島市からの予算で検証をした結果を検証して欲しい、「私たちの意見を聞いてくれ」とリクエストをされているにも関わらず、きちんと応えない、専門家としての意見を言わない、誠意を見せないのは、研究者として、いかがなものでしょうか。その好奇心のなさをとても情けないと思ったのです。ALL(100%)というのは他人との比較や能力において、誰々は100%という種類の100%ではなく、一人の専門家として、その人自身の能力の限界と良心と熱意と誠意においての100%を注いで欲しいと言う意味です。

100%(ALL)と言っても、多くを望んでいるわけではありません。良識の範囲で、研究者なりの対応の仕方というものが、利根川の場合も、淀川の場合も、吉野川の場合もあると思うのです。この3つはたまたま私が傍聴することができた川です。でも、109水系すべてにおいて、毎度、同じ20数名の委員で、この調子でやるとしたら、それは、適正な政策形成プロセスと言えるだろうか?そうは思えないんです。

「住民、市民は、計画や管理に参加、参画の機会が与えられれば与えられるほど、研究者を必要とするのではないかと私は思います」ということにも、100%その通りだと思います。

だから、また、その逆に、参加、参画できない住民・市民から、意思決定機関に組み込まれている「審議委員」に向けられた問いかけや疑問にはきちんと向き直って謙虚に耳を傾けてもらいたいと願うわけです。

審議会の進め方に疑問があるなら、あると、しっかりと、公言し、改革を求め、責任ある審議会のあり方はなんなのか、あるいは、審議会以外の意思形成過程のあり方を日本は目指すべきではないのかということを(オフレコ発言している方は、河川分科会に限らず、複数いますので)公言して、行政の意思決定のやり方でマズイところを変えていくことに寄与して欲しいのです。

そのカギを、国や政府自治体の「審議会」などに組み込まれている研究者なら、与えられている。その幸運を、人々のために使って欲しいと思っているのです。

2日のパネルでは、審議委員であられる虫明先生に、私のその思いを一気に覆い被せたような感じだったのに、虫明先生は真摯に応えてくださり、とても感謝しています。私はこうして直接にお話する機会がある。でも、多くの一般の方々は、それすらできない。私は自分の幸運を使う責務があると気負い(ジャーナリストとしての責務かと)、極論ですが、極論だという言葉を節約して、All or Nothing と申し上げました。

でも、繰り返すように、審議委員になるということは、責任を伴うのであり、単に大学や研究室でのお勉強の延長と思ってもらっては困る。その「意思決定」によって、影響を受ける人がいる。人生が左右される人が必ずいるということに、思いを馳せて真剣に対応してもらいたい、という意味です。(この言葉はモノを書く私自身にもそのまま返ってくるわけですが)

このテーマは本当に深いと思います。一期一会で、そのとき、そのときにできる精一杯のことを、関わることができたものが言動・行動を繰り返すことが重要なんだと思います。

★吉田先生も、第一ラウンドへのコメントありがとうございます。「計画されている「上流ダム群」には6千トンを調節する能力がありません」とのご指摘の点、その通りです。第一ラウンドでは、実は私自身、その点を述べました(端折りましたが、またじっくり解説したいと思います。少しだけ数字が今回変わっているところもあり)。また、3日の日弁連シンポジウムでは、嶋津暉之さんもそのことをご指摘されました。というか、私は嶋津さんにその点を教えていただいたのですが。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月05日 研究者の役割(第二ラウンド) (カテゴリー: 住民参加 )

 さらなる続きです。第二ラウンドは今回の研究会「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」のサブタイトルである「研究会の役割」はなんでしょう?という司会の蔵治先生からの質問でした。
 私からの提起は「住民が意思決定をするためのアドバイサーの役割に過ぎないのではないでしょうか?」ということです。しかし、それが今は自他ともに過大評価されている。

 流域委員会でも審議会でも鎮座ましましておられるが、実際は今の社会資本整備審議会河川分科会河川整備基本方針検討小委員会のように、とてもではないが、責任を持って審議できないようなスピードで科学的検証もなく通していく。
 私が望みたいのは、All or Nothingです。関わるなら、一生懸命かかわって欲しい。それができないなら関わらないで欲しい。

 将来的な理想は、あくまで、意思決定(合意形成)の主役は住民で、住民が必要な専門知識を、ここが分からない、あそこが分からないとなったときに提供する役割を研究者が果たすこと。でも、現状では、過大な役割を負わされているのが現状。しかし、負う限りは命がけで関わって欲しい。
 利根川の例のように、基本高水の科学的な検証ができないのに関わるのは無責任だ。

 もう一つ望みたいのは、研究者が外部から、第三者として、肱川流域委員会の事例研究のように分析の結果、おかしければ、おかしいと、また良い事例があれば良い例を分析して、ドンドン情報として出していって欲しい。それによってよりよい河川行政(合意形成のあり方と言った方が良かったかな)を実現することにもつながるのではないでしょうか。

 そんなことをお話しました。
 
 ちなみに、「審議会」でも「流域委員会」でも、学識経験者からは、ほとんど発言もなく、発言をするとしても、事務局である国交省への質問や確認や感想が一言三言であること、また、「専門家」は自分の専門の狭い範囲でしか、発言をしないことなど、その関わりの問題点が、さまざまな発言者によって共有されました。

 研究会終了後、「事例発表はなんだか悪い事例の方が注目を浴びてしまいましたねぇ」「この研究会の目的は、合意形成を上手くやっている流域委員会を見つけて褒めて、広めていこうということだったんだけどね」と、学生さんたちとボソボソ話しながら、懇親会に向かいました。
 
まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 情報スッポンポン(第二ラウンドの前提) (カテゴリー: 住民参加 )

 続きです。研究者がそれぞれの知見を共有することで、研究会中に、面白い発見がありました。基調講演を行った東工大の桑子敏雄先生は、淀川流域委員会の、「木津川上流住民対話集会」で、住民意見反映のための集会の設計と運営をされた貴重な経験を持つ。合意形成マネジメント協会の理事長でもある。
日頃から、いかに従来の日本の「キーパーソンの根回し型合意形成」から「不特定多数の合意形成」へと変化していかなければならないか考えておられる。

 「淀川流域委員会は、『情報を小出しにすると、まだ何かあるのではないか。隠しているのではないかと疑われる、だから表現は下品だが、情報スッポンポン、パンツまで脱ぐ』と国交省が言って始まったんです」と笑いを取って講演が始まった。

3つの立場
 その桑子先生の的を射た整理の仕方で最も興味深かったのが、3つの立場の合意について。3つの立場とは、「学識経験者」「関係住民」「都道府県長/市町村長」。
 河川整備計画策定の際、その3者の意見を聞くようになったことは、とても意味がある(下記参照)。なぜなら、学識経験者と、住民と、代議制によって選ばれた人々の意見は常に同じとは限らない。代議制で選ばれた人は個々の事業のスタンスだけで選ばれたわけではない。個別の事業について関係住民が意見を述べる場が確保されていることは大きな意味を持つ、というお話だ。

===============
(河川整備計画) 第十六条の二
3  河川管理者は、河川整備計画の案を作成しようとする場合において必要があると認めるときは、河川に関し学識経験を有する者の意見を聴かなければならない。
4  河川管理者は、前項に規定する場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない。
5  河川管理者は、河川整備計画を定めようとするときは、あらかじめ、政令で定めるところにより、関係都道府県知事又は関係市町村長の意見を聴かなければならない。
===============

 逆に「河川整備基本方針」では、この3つの立場の合意は前提になく、河川整備計画の策定の仕方と比べるとアンバランスであると言う。
 
===============
(河川整備基本方針) 第十六
3  国土交通大臣は、河川整備基本方針を定めようとするときは、あらかじめ、社会資本整備審議会の意見を聴かなければならない。
===============
 
 ここで、私の意見を加えると、社会資本整備審議会での河川整備基本方針を決める場には、必ず、関係首長(ほとんどその代理)が呼ばれているので、住民以外の2者は確実に、意思決定過程に組み込まれている。

肘川流域委員会ケース
 さて、一方、愛媛県の肘川流域委員会を事例研究に取り上げた大学院生の途中経過によれば、肱川水系流域委員会の規約では、その設置の根拠は「第十六条の二の3」(上記参照)だと言う。ところが、流域委員会のメンバーは14名中7名が流域自治体の首長。しかし、首長たちは「第十六条の二の5」(上記参照)で意見をいうことができる。流域委員会のメンバーに首長が入るのはおかしいのではないかと指摘。

 とても適正でスルドイ指摘だと思いました。(他にも興味深い考察がありました)

 このお二人の話と最近、私が傍聴している社会資本整備審議会の模様を思い浮かべて考え合わせると、確かに、河川整備基本方針・整備計画を策定する上で、最も重用されているのは「学識経験者」で、また、首長も実質的にその双方に関わっている。それぞれ、2つの場での関与が確保されている。
 一方、「第十六条の二の4」(上記参照)では、「必要があると認めるときは」となっているので、住民はゼロ~1回しか、関与することができない。

 そして、パネルディスカッションの第二ラウンドへと進んでいきました。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 研究者の役割(第一ラウンド) (カテゴリー: 住民参加 )

利根川の基本高水.jpg 「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」へは、元河川局長や、八ッ場ダムの元担当者も聴衆として来ていました。それは後で知った(前者は終わり頃に出て行かれるのをパネリスト席から発見。後者は帰りの新幹線でバッタリ)ことですが、、そのパネルディスカッションで私が訴えたことは、ここ最近傍聴している「社会資本整備審議会・河川分科会・河川整備基本方針検討小委員会」(以下、「審議会」と言います)で「学識経験者」が果たしていない役割です。

河川法で導入されたはずの「住民参加」の実態として表出している「流域委員会」の事例(研究者や学生が半年かけて調査してきた結果)と、自分が傍聴してきた「審議会」における学識経験者の「参画度」の軽重を比べ、制度の形骸化(制度が機能していない)を感じたからです。

ですから、同じパネリストで、審議会の委員を務める学識経験者に、ここ1ヶ月で感じてきた疑問を歯に衣着せずぶつけました。2回だけ発言の機会がありました。まずは自分の発言内容をまとめておきます。

Round 1
●去年の今頃、量的な進展のなさを指摘しました。
97年改正河川法以来、7年も8年も経つのに、経過措置中のまま「環境保全」と「住民参加」を盛り込んで策定されるはずが、
 河川整備基本方針 策定済みはわずか 
  一級河川 29水系/109水系(04年9月現在)
  二級河川 225水系/2700水系(03年11月現在)
 河川整備計画 策定済みはわずか
  一級河川 11水系/109水系(04年9月現在)
  二級河川 107水系/2700水系(03年11月現在)

●今年は、うって変わって、審議会にて、一級水系で河川整備基本方針策定ラッシュです。
河川整備基本方針の今後の策定見込み等について(PDF)
にあるように、
・ 平成17年度は、109水系の50%以上の水系で策定。
・ 平成19年度までに基本的にすべて策定。
と平成17年4月15日に、発表され、

去年まで (「方針」が策定された水系の数)
年度  H11 H12 H13 H14 H15 H16
策定数 6   4  3   4  7  6 

今年から(「方針」が策定された水系の数)
年度  H17     H18     H19
策定数 25~30  35~40  10~20

その審議会で、学識経験者は、国交省事務局が出してくる「河川整備基本方針(案)」をパンパンと通すスタンプ台と化しています。

●昨年、私が提示したキーワードには
「河川整備基本方針は国交省の密室で決まる」
「特に基本高水」がそうです。「密室」には審議会も含まれます。
というのも、旧法で定められた工事実施基本計画を中身の議論をせずに、そのまま踏襲しているのが審議会です。その具体例が利根川の基本高水です。

●今年の懸念、利根川治水計画
利根川の基本高水は、1935年以来1万m3/s  → 1949年1万7000m3/s
→ 1980年2万2000m3/s と変化してきましたが、最終的に、1947年のカスリン台風を契機に2万2千トンという基本高水が決まりました。これはこのとき、
1) 利根川の堤防が切れたために、正確なデータがなく、
2) 建設省内で推定を行って二つの数字が出てきた、
3) どちらを採用するか決まらなかった、
4) どうしましょうかと関係知事に聞いた、
5) 関係知事らは「大きめがいい」と言った、
6) 建設省内で出した二つの数字よりもさらに大きな1万7千トンという数字が採用された。
7) 200年に1度と引き延ばして2万2千トンとなった。
その「2万2千トン」がいかに過大であるかは、上記のグラフ(水源開発問題全国連絡会・嶋津暉之氏作成)でみるとよく分かります。

このように審議会に参加している専門家は、専門家でありながら、「どう基本高水が決まったか」を科学的に検証することもなく、参加している。専門家としての役割をまったく果たせていないのではないか。しかも、今年から始まったような1週間に1本通すようなスピードで、お墨付きを与えていくのは、無責任ではないかと思う。「審議委員の虫明功臣先生、どう思われるかというのを質問したい」(第一ラウンドで提起したことの一部をここでは省略)

【虫明先生の第一声】
「おっしゃる通りの状態で進んでいる。言い訳をするしかない」
そして、言い訳の内容として(要旨のみ)
・基本高水は工事実施基本計画で定められてきたが、改正法に従って「方針」と「計画」を早く策定しなければならない。計画の継続性を考え踏襲してきている。利根川の17000トンという数字は「氾濫戻し」(まさの解説:「氾濫戻し」とは「堤防が切れて正確な流量が分からないので、堤防の外に氾濫した量を後で推計をした」ということです)をした数字だと理解している。それを200分の1確率に治水安全度をグレードアップしたので2万2千になった。だが、過大と言われるものではない。治水については昔の計画を引きずっているのは事実。

【この件に関する私の意図と感想】
この質問の背景には、いくつかのことがあります。
・法制度上、「基本高水」を決定するのは国土交通省であり、その際、唯一、専門家の立場の方々に意見を聞くのが「審議会」であること。本来、それを科学的に検証すべき立場にいるのが、研究者であること。
・一方、法制度上、基本高水について「住民参加」はできない。しかし、今、河川を巡る紛争の元を辿るとほとんどすべて「基本高水」にある。だから、そこに市民参加が必要だと考え、それができないので、人々は苛立っている。
・「参加」できる専門家に頑張ってもらわねばならないのに、その役割を全く話していないどころか、追認しているだけという状態にあることで、さらに苛立ちを覚えている。
このことをまずは、提起したかった。

その苛立ちは伝わったと思うが、実はとれていない。今後の課題を抱えて帰ってきたと思います。

審議会で、しっかりと基本高水の議論がなされない限り、日本の河川行政は、環境保全とか住民参加と言ってもお題目だけで、変わらない、という実態があります。

それ以上に、防災から減災(災害が起きた場合に、被害を最小限に抑えていくための考え方)へという考え方が生まれてきているときに、いつまでも、防災を「基本高水」任せにしていていいのか、ということも訴えました。

河川局のみなさん、そして、布村明彦河川計画課長(名指しで恐縮ですが)、考えてみてください。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年12月04日 青の革命 (カテゴリー: 集会・イベント , 住民参加 )

このページの右下のところにあるけれど、12月2日金曜日、東大の蔵治光一郎先生率いる「青の革命と水のガバナンス」研究グループの、第10回研究会「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」にパネリストとして参加してきました。

この研究会には交通費だけいただいてアドバイザーとして加わっているのですが(と言っても、私が自負するアドバイスは「学問とは社会をよりよくするためにある、社会に役立ててなんぼのもんであって、学問のための学問、研究のための研究ではいけないと思うんですよね」ぐらいで(しかもこの日に欠席している学生さんたちは聞いていないかも^^;)、研究や学問という意味では私の方が学んでいる感じ。(へぇ、研究ってそうやるんだ…って。また、研究者の調査・研究って、ジャーナリストの調査や取材と似てるなって。研究者にしろジャーナリストにしろ、魅力ある「仕事」はやっぱり足で稼いだ地道なものだなと。その意味で私はまだまだこれからです。)

ということで、今日は、机にかじりついて、腰が痛くなるまで(^^)、その第10回研究会で学んできたことと、次の続きイベント「日弁連公害対策・環境保全委員会35周年記念シンポジウム」で考えたことを、レポートしていきます。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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2005年11月23日 吉野川とパブロフ (カテゴリー: 住民参加 )

 吉野川第十堰は江戸時代の宝暦2年(1752年)に、農民の手で構築されて以来253年間、「治水上支障」になったことがない(洪水や砂利採取や船の運搬で堰自身が壊されることはあっても)。だからたとえ第十堰が邪魔になると国交省が言っても説得力がない。

高度成長期には、「砂利採取」によって堰どころか「堤防」が危ないと第十堰の付け根の集落(佐野塚など)の住民が気づいて、砂利採取を止めさせたぐらいに、地域住民が川を眺めて暮らしてきた。地域住民に任せておけば防災上も安心だったという前例をもった川である。

ところが、味噌も糞も一緒(失礼!)にして、「堰」とか「横断工作物」という概念に対しては、「治水上支障と考えろ」と「パブロフの犬」のように条件づけられているのが国交省河川局のヒトビトである。その条件付けを解くカギは「現実」であり「事実」なのだが、条件付けがあまりに強いと「現実」を突きつけられても、条件反射が解けないようだ。

吉野川河川整備基本方針(PDF)が策定されたと報道発表された。

先日の河川分科会(10月26日)で、徳島知事が自ら出向いてきて(他の県はすべて代理で、知事本人が来たのは徳島だけ)、県民の意志(=公約)である『可動堰以外のあらゆる方法を検討するということをお願いしたい』とはっきりと述べたにも関わらず、国交省河川局事務局の原案通り、「治水上支障となる既設固定堰については、必要な対策を行い、計画規模の洪水を安全に流下させる」と出した。

まだ「パブロフの犬」状態である。条件付けが取れていない。

もちろん、「個別の施設について触れるものではない」(河川計画課長)などと(つまり、第十堰のことを言っているわけではない)と審議会の中ではあらかじめ防戦を張っている。姑息なのである。知事が変われば牙をむき出すパブロフの犬なのである。

おまけにもう一つ。策定したと官報に公表した段階は、「社会資本整備審議会河川分科会の審議を経て」という段階だ。審議会の数を減らすといって、「社会資本整備審議会」という傘を被せたものの、「河川分科会」は単にかつての「河川審議会」である。行革のフリはそこここで続行中である。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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2005年11月23日 ダム事業に関するパブコメ2 (カテゴリー: 住民参加 )

10月25日に書いた件ですが、これは結局なんだったかと言うと、環境省に取材をしたところ

1)環境アセスの評価項目には、基本的事項が36項目あり、それが3月に改正となった。
2)この基本的事項に応じ、ダム、空港、道路など各事業ごとに、主務省令が定められている。
3)1)の改正に応じて、2)を改正する案をパブコメにかけた。

というわけです。1)が2)にきちんと反映されているか、過不足ないか(狭く言うとですね)意見を募集しているという主旨でした。

24日の締めきりにようやくそれだけ確認するのに精一杯で、私自身は意見を送ることができませんでした。

結果の報告はまだないようです。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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2005年09月10日 内海(うちのみ)ダムII (カテゴリー: 住民参加 )

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 三重から帰ってくると、何やらデカイ小包が届いていた。「二十四の瞳」やオリーブで有名な香川県小豆島から。香川県事業である内海(うちのみ)ダム建設計画に賛成できないという県知事宛のハガキの束。

 その現場へは、昨年11月にダム問題のリハビリとして訪れたきり。
 その時お会いした「寒霞渓(かんかけい)の自然と共に生きる会」の山西克明さんからだった。
 香川県は付け替え道路用地や雑用地の買収を始めたと書かれている。
 山西さんはダム建設用地内の地主さんの一人。

 本来は、話し合いで必要性をとことん議論し検証し、事業を進めるなら進める、中止すべきは中止すると決めるのが先。

 そうした検証も議論も、「住民の参加」もなく、「司法による行政チェック」(=政策や行政計画の決定に市民が関与する法的な権利)がないまま、単に行政の「予算執行」の形で、事業がダラダラと進み始める「異常」な、先進国らしからぬ公共事業のやり方は、もういい加減卒業すべきときだと思う。

 もう何年も言い続けている。市民として、政治家の秘書として、ジャーナリストとして。手を変え品を変え、そう言ってきたけれど、そろそろ、それが、「常識」になってくるのではないかと、最近やっと思う。物事が動くには時間がかかる。でも、動く。そう思っている。

IMG_5848.jpg なぜなら、こんな事業の進め方では、誰も幸せになれないと思うから。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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2005年08月30日 川辺川ダム:収用取り下げ勧告 (カテゴリー: 住民参加 )

各紙でも取り上げられていますが、大きなニュースです。

 2005年8月29日、「川辺川ダム」事業推進のために進めてきた「土地収用手続」で、熊本県の収用委員会が国土交通省に対して「取下げ勧告」を出したのです。

 川辺川ダムを作るには、ダム本体着工による漁業への影響への補償交渉に応じてもらうことが必要でした。しかし、それに応じない漁協に対し、「土地収用法」を適用して、漁業権の収用をしたいと国交省(河川管理者)が、国交省(収用のための事業認定者)に申し立てたのが、最初。

【収用手続】
 土地収用の手続は2段階に分かれており、1段階目は、収用するに足りる公益性があるか(公共事業としてふさわしいか)どうかを国交省が判断、2段階目は各都道府県にある「収用委員会」で補償などについて話し合うというもの。

 川辺川の場合、一段階目は「右手(国交省)で申請、左手(国交省)で認定」とよく言われるように、もちろん、認定。川辺川ダム反対派にとってはピンチでした。

【農家が漁師のピンチを救う】
 ところが、その間、川辺川ダムから水をひく予定だった国営川辺川土地改良事業に対し「ダムの水はいらん」裁判が起きて、そちらでは、死者からの同意までカウントされていたことが判明し、結局のところ、この「国営川辺川利水裁判」によって事業自体が違法と判決され、国はまさかの敗訴をしました(あっさり確定しました)!

【落としどころに落ちる】
 こうして、川辺川ダム建設の主要な目的の一つだった「灌漑」が、いわば、ふっとんで、収用委員会は、この間、ストップしていました。

 「収用手続」の中には、この利水事業がきっちりと書き込まれていました。その書き込まれていた事業が「違法」と裁判所に判断されたワケで、本来、国交省(河川局)は、この時点で、自主的に「取り下げ」をしているべきでした。ところが、その落とすべき落としどころを落としたまま、国交省からは、昨日まで先延ばしで来ていました。

 それで、落ち着くべきところに落ちた収用委員会から国交省への「取下げ勧告」です。

 その歴史的な「取下げ勧告」をした収用委員会の傍聴に行かれた小丸さんから許可をいただき、以下、転載です。(小見出しつけさせていただきます。)

    ***

 お昼頃に会場に着いたのですが、雰囲気が和やかでしたので、聞いてみたら「取下げ勧告」が出たとのことで、思わずガッツポーズです。

 そういった意味では午後の審議は「結末がわかった推理小説」みたいなものでしたが、やっぱり感動しましたね。

【国交省の主張】
 まずは、国交省からの意見陳述。要点は「もう少しで、新利水計画が策定されるので、待ってちょうだい。ウチには違法性はないのだから」というもの。

【収用される側の主張】
 続いて「権利を主張する者」代理人の弁護団からの意見陳述。「福岡高裁判決以来、長期にわたる引き伸ばしは、土地収用法・憲法の理念に反する。収用委員会は速やかに却下の判断をするべき」というものでした。

【収用委員会の判断】
 この意見陳述の後、塚本会長からの判断が示されました。「収用委員会としては、起業者に収用裁決申請取り下げの勧告を行う。来月22日までに、取下げがない場合は、次回9月26日の審議において却下の裁決を行う」という宣言でした。

 思わず傍聴席からは、拍手(本当はだめですけど、今日は制止がなかったな)でした。

 収用裁決申請の取下げの勧告とは、平たく言えば「取下げすれば、今回の収用案件はなかったことにしましょう」とことです。しかし、取り下げなかったら却下しますとまで言及したことで、事実上の「却下」ともいえます。

 というわけで、最終判断は国土交通省に委ねられましたが、九州地方整備局で判断できる問題ではありませんので、霞ヶ関にいる大臣の最終判断でしょうね。

【意味】
 収用裁決申請の「取下げ」もしくは「却下」って大きな意味を持ちます。確かに収用手続自体は、事業そのものの是非ではなく、事業者が行う土地や権利の取得に関するものです。ただ今回は却下の理由が「利水事業」というダムの公共性そのものが揺らいだためです。

 振り返れば、川辺川ダムに関する収用案件審議は、異例づくめでした。全国初の漁業権収用、審議途中での利水判決、そして今回の「申請取下げ勧告」。
 収用制度だけでなく、日本の公共事業のあり方に大きな一石を投じた今日の「取下げ勧告」ではなかったかと思います。

~~転載おわり~~~~~~~~~

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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2005年01月15日 淀川のロングラン審議 (カテゴリー: 住民参加 )

 八ッ場ダムは、52年前に利根川水系に計画され、現在に至るまで増額はあっても、科学的な観点からの見直しを求める政治力が足りず、現在、その財政に直結する1都5県(東京、群馬、埼玉、群馬、栃木、千葉)での住民訴訟へと発展中です。
 97年の河川法改正を境に、それとは違う運命を取りはじめたのが、関西一円(大阪、奈良、京都、三重、滋賀、兵庫)を流れる淀川水系です。
 淀川水系流域委員会を立ち上げ、大がかりな「参加」形態を創設して、平成15年には「ダムは原則、建設しない」という画期的な提言や意見書を出しました。

 97年の河川法改正の裏側で、対案作成に関わった経験がある私には、「大河川での住民参加」は想定することすら難しいと思った経験から、その実現は何をかいわんやの域にあると考えていました。
 利根川ではやろうともしなかったことを淀川ではやった。しかも4年もかけてここまで来た。その意味で、私は、実は、淀川水系流域委員会の試みを、「とにかくやった」というだけで、たいへん評価しています。
 そして、最後まで、「ダムは原則、建設しない」というこれまでの国土交通省にはなかった理念を打ち出そうと踏ん張ろうとしていることに(一枚岩ではないので予断は許せないが)、拍手を送ります。
 とはいえ、個人的な理由で4年に渡る「流域委員会」の過程をリアルタイムでフォローすることができず、忸怩たるものを感じていました。しかし、昨年、小豆島で開催された水源開発問題全国連絡会の総会に寄せられた「関西のダムと水道を考える会」代表の野村東洋夫さんの文書を読ませていただき、「なるほど、そうだったのか」という流れが、手に取るようによく分かりました。

―「参加」で乗り越えなければならない課題が、実によく分かります。
―「専門家」の役割を考えさせられます。
―「水需要予測」が明らかになり、水が要らないとバレルと分かったとき、国土交通省はどのような秘策に出るか、分かります。
―「水源開発」を巡る省庁間、省内の縦割り問題が、よくわかります。

 そんなわけで、前置きがたいへん長くなってしまいましたが、野村さんにお願いをして、その文章を転載させていただくことにしました。住民参加とは何かを考えている皆さん、ぜひ、じっくり、読んでみてください。なお、04年10月にお書きになった文章なので、その後の進展は反映されていません。
 続報もまたお伝えしたいと思います。
 
    ~~ ~~ ~~ ~~ ~~

大詰めの「淀川水系流域委員会」

  平成16年10月20日
  「関西のダムと水道を考える会」
 (代表)野村東洋夫

A,はじめに
平成13年2月にスタートしたこの委員会もいよいよ来年1月末で終了することになっています。つまり4年掛りのロングラン審議も今、その大詰めを迎えている訳です。勿論、委員会の審議対象は「ダム」だけではなく、淀川水系の多くの河川や琵琶湖の維持・利用や様々な河川環境問題も含まれていますが、私達の関心事は「ダム」ですので、ここではこの委員会の審議対象となっている5つのダム計画(丹生ダム・大戸川ダム・天ヶ瀬ダム再開発・川上ダム・余野川ダム)に絞って私達の感想などを述べさせて頂きますが、残念ながら審議は決して順調とは言えません。
新聞報道にもありましたように、この委員会は昨年の中間答申(「提言」)や最終答申(「意見書」)に“ダムは原則、建設しない”との画期的な文言を盛り込んだのですが、その後の「ダム推進勢力」の巻き返しが強く、大詰めを迎えた現況は、端的に云えば「ダム推進勢力の引き伸ばし作戦」に委員会が引き摺られている状況と言えます。

B,経緯と現況
昨年8月の「水源連だより」に「混迷の?淀川水系流域委員会」と題する私達の一文を載せて頂いておりますので一部それと重複しますが、一応この委員会のスタートからの経緯をざっと振り返って置きます。

1)01年2月 第1回委員会
今から3年9ヶ月前に約50名の委員構成でスタートしましたが、なにせ一口に「淀川水系」と言っても主要河川だけでも淀川、琵琶湖~宇治川、木津川、桂川とあり、ダムも前述のように直轄ダム、水機構ダムだけで5つもあります。しかも50名余りの委員のなかにはダムに詳しい人が数人しかいないという状況であったため、委員達がダムについて一定の(決して十分であはりませんが)知識レベルに達するのに2年の歳月を要しました。

2)03年1月 「提言」(=中間答申)
この中でダムについて“計画・工事中のものも含め、ダムは原則として建設しない”との記述が盛り込まれ、マスコミにも大きく取り上げられたため、ご記憶の方も多いのでは無いかと思います。毎月2~3回開催される「本委員会」や「部会」を手分けして傍聴した私達にはその“舞台裏”がある程度は見えたのですが、この「提言」の起草に際して50名余の委員が一枚岩になった訳では決してなく、この時点で「ダム賛成」が5名、「反対」が5名、残りの40名余は“よく分らない”という状況で、この「提言」は、この「よく分らない派」を「反対派」の委員が強引に自陣に引込んだ結果であったのです。恐らくこの委員会を冷ややかに模様眺めしていた「ダム推進勢力」も、この「提言」にはやはり驚くと共に、これを契機に本気になって動き出したものと推測されます。

3)03年5月 近畿地整が「ダム見直し案」を提示
1月の「提言」を受けた形で近畿地方整備局が、5つのダムについてかなり具体的な「見直し案」を提示して来たのですが、これの大きな特徴は次の2点でした。
  1、「提言」に反して、5ダム全てを“有効”としたこと
  2、丹生ダム、大戸川ダム、余野川ダムについては、その「利水」目的(水道)につ
    いてその必要性を“精査検討する”としていながらも、実質的にはあたかもそれ
    が消滅することを前提としているかのように、「琵琶湖環境改善」や「他ダムの利
    水容量の振り替え」などの利水代替目的を持ち出して来ていたこと

4)03年9月 近畿地整が「基礎原案」を提示
上記の「ダム見直し案」を読んだ委員からは当然、「提言」を無視した内容であるとの強い反発が出まして、激しい応酬があった後、9月になって整備局が「河川整備計画案の案」として出して来たのがこの「基礎原案」でした。残念ながら5月の「見直し案」と大差はなく、“5ダムは有効”との基本姿勢は崩していなかったのですが、ただ一つ斬新だったのは、この中で“5ダムについては今後の1~2年間を調査検討期間とし、その間はダム本体工事に入らない”と明言したことでした。(→このことは概ね実行されまして、04年度予算において5ダムの予算は大幅に減額されました)

5)03年12月 「意見書」(=最終答申)提出
3年近い審議を終え、委員会は近畿地整に最終答申を提出しましたが、その基本線は「提言」と同じで、5ダムについては次のように記述されました。
 “事業中のダムはいずれも、中止することも選択枝の一つとし、提言の趣旨を尊重した
  抜本的な見直しが必要”
最終答申ですから当然ながらここでこの委員会は終了する筈でしたが、前述のように整備局側がダムについて“あと1~2年調査検討する”とした関係から、この委員会は1年余りの“延長戦”に入ることになりました。

6)04年1月~05年1月 “延長戦”
5ダムそれぞれの持つ課題や「ダム代替案」の調査検討結果について、整備局から委員会に報告や説明が継続的に行われて来ていますが、その殆んどが5ダムの必要性を否定するものではなく、むしろなんとかダムを温存させたいとの意志を感じさせるものばかりと言っても過言ではありませんし、肝心な項目については中々資料を出そうとせず、時間稼ぎをしている気配が濃厚です。その最たるものが「利水」でして、前述のように整備局は利水参画団体の水需要予測について「精査確認中」としていましたが、昨年10月に大阪府や阪神水道のダム撤退意向が新聞報道などで公けになったこともあって、“「利水審議」において「水需要」を外す訳には行かない”とする極めて妥当な委員会からの再三の開示要請にも拘らず、今日現在でも未だに整備局は「精査確認中」で押し通している有様です。一部の委員は「馬鹿にするな!」と怒ったのですが、それでも整備局は動じません。この「壁」を突破するには、怒るだけではなく、「水需要予測」についてのある程度の知識が必要と思われますが、「非専門家委員」にはそれが不足しているため、それ以上には突っ込めないでいます。
この3年余りの間に行政から出された数多くの資料のお陰で、最近は「利水」に限らず「治水」についても市民からは結構的確な意見が出されていますし、大阪府や滋賀県などの自治体からも、その当否は別にして検討に値する具体的な資料が提示されつつあるのですが、それを即座に検討し理解できる能力のある「専門家委員」は、残念ながら「ダム推進勢力」に組み込まれているのか“黙して語らず”であり、一部の意欲的な委員も、4年近くに及ぶ審議の連続で疲れが溜まっているのか、或いは審議対象が余りにも広範で勉強が間に合わないのか、折角の私達の意見提示に対して期待通りの反応を示してくれないのが最近の実情です。
思いますに今一番大事なことは、来年1月に委員会が提出する「最終意見書」において、
委員達がダムに関してこれまでの「提言」や「意見書」のような抽象的な反対論ではなく、治水や利水の個々の問題について出来る限り具体的に記述して置くことであろうと思われます。ダムを含めた河川整備計画の最終決定権は整備局にあるとしても、委員会の最終意見書が個々のダムについての反論を具体的な根拠を基に書いた場合は、将来整備局がそれに反する決定を下すことを牽制する効果を持つと思われるからです。そう思えばこそ、私達一般市民は今、懸命に良いボールを投げ掛けているのですが、委員達が少しもヒットしてくれないというのが私達の思いです。
現状は、有効打の無いままに委員会が「ダム推進勢力の引き伸ばし作戦」に嵌ってズルズルと引き摺られており、彼等の思惑通りにこのまま来年1月の期限切れを迎えてしまうのではないかと私達は心配しています。

C,この委員会の評価すべき点と問題点
1)評価すべき点
1、 審議の公開
   本委員会や治水部会、利水部会、環境部会、或いはダムワーキンググループなどの審議は殆んどが公開で実施され、この委員会の透明度は高かったと言えます。

2、 庶務の外部委託
  委員会の事務作業一式(いわゆる「庶務」)を外部の民間企業(前半:三菱総研、後半:富士総研)に委託したこともあり、経費はかなり掛ったかも知れませんが、事務処理は迅速・的確でした。

3、 情報提供
  整備局など行政から委員への配布資料もほぼそのまま、一般傍聴者にも配布されました。この3年余りの歳月に委員や私達が入手した資料は膨大なものとなり、いくら情報開示の時代とは言え、やはりこの委員会が無ければ、とてもここまでは入手出来なかったと思われます。そしてその内容も特に委員会開始当初のものは“正直な”ものが多かったように思います。

4、マスコミ報道
   傍聴席には報道関係者の席が用意され、「提言」や「意見書」発表の際は委員長たちによる記者発表も行われました。大事な局面では傍聴席に取材記者の数も多く見られ、翌日の新聞紙面に大きな見出しが踊ったことも一度や二度ではありませんでしたから、この委員会が世間に淀川水系のダム問題を知らしめる効果は小さくなかったと思います。

5、傍聴者発言と意見書提出
   審議の終わりには毎回、20~30分程度の時間が取られ、その日の一般傍聴者に発言の機会が与えらると共に、発言内容はそのまま議事録にも載りました。また予め文書で提出すれば、委員や傍聴者への配布資料に載せてもくれました。もっともこれらは、一部の例外を除いて「一方通行」でしかなく、発言や意見書に対して委員会から回答がある訳ではありませんでしたが、しかし兎にも角にも一般市民が自らの意見を公式に発表できる場としての存在意義はあったと思います。

6、意見発表の工夫
   上述のように一般市民のからの意見は「一方通行」であり、その効果は低いと考えざるを得なかったため、私達が工夫した方法が2つありましたので、ついでにご紹介して置きます。
   a)委員と組む
   私達は、これはと思う委員と組み、私達に代わって意見発表して貰うという手法を何度か取りました。「委員発言」となると「傍聴者発言」とは重みが違い、行政側も回答せざるを得ないからです。これは一定の効果はありましたが、あくまでもその委員自身の意見として発表して貰いましたので、意見内容について委員に十分に熟知し、同意して置いて貰わないと、その後の行政側からの反論に委員が即答出来ず、尻すぼみになる恐れがありました。
   b)行政との「Q&A」を意見書とする
   私達の疑問点を整備局や大阪府水道部に「質問書」として直接ぶつけ、この質問とこれに対する回答とを一つの「意見書」として委員会に提出し、配布資料に載せて貰うことで、問題点と行政の見解との双方を一挙に委員や傍聴者、マスコミに周知することが出来、かなり有効な手法であったと思います。

7、住民対話討論会
河川整備計画策定に当って「関係住民の意見を反映させる措置」を講じることが河川法により河川管理者に義務付けられているため、近畿地整はこの委員会にその手法についての審議と提案を要請し、そこで出てきたのが「住民対話討論会」でした。
   これを受けて近畿地整の各河川事務所が、その所管するダムについてこの討論会を開催することとなり、昨年12月から今年4月に掛けての時期にその第1弾を開催し、5ダムについてそれぞれ2~5回程度の討論会が持たれました。今年8月からはその第2弾が現在開催されつつあります。第1弾については私も「丹生ダム」と「天ヶ瀬ダム再開発」のものに参加してみました。ファシリテーターと呼ばれる進行係りを置いて10人程度の応募者が一つのテーブルを囲んで討論する形のものでした。もっとも地元のダム推進派が多数を占め、初回は堅苦しい雰囲気でしたが、回を重ねるにつれ、お互いの意見や立場をある程度は理解することが出来たように思います。地元の人達の関心事はやはり「洪水」と「周辺地域整備事業」で、用地買収や住居移転が既に終了しているため、「水没問題」は過去のものとなりつつあるとの印象でした。

2)問題点
 1、専門家委員の非協力
   「流域委員会」は先ず何よりも委員達が十分な学識と経験を持ち、自分の意見をしっかり発言してくれることが必要で、当初の人選が重要なのは他の委員会、審議会と同様です。そして今から4年近く前の委員会スタート時点では“この委員会は従来とは一味違い、御用学者の寄せ集めではなく、思い切った人選を行った”との近畿地整の触れ込みだったのですが、その後の様子を見れば、少なくともダムに関する限り、他の委員会などと大同小異であったと言わざるを得ません。
   治水、利水を専門とする委員たちは、この4年近くの審議において、殆んどの人が終始ダム推進の姿勢を崩さないばかりか、昨年1月の「提言」で“ダムは原則建設せず”との方向性が出てからは、委員会自体への欠席が目立つようになり、たとえ出席しても発言はほぼ皆無という有様でした(その代表格が利水部会長のI委員)。
   他方、ダム反対派の委員は殆んどが治水・利水に素人で、提言や昨年12月の「意見書」提出までは大いに頑張ってくれましたが、ここで息切れし、その後の「延長戦」の「各論」に入ると、整備局側が次々に出して来る詳細資料の消化に追い付けず、無理も無いと同情はしますが肝腎の今の大詰め段階では、この4年間の蓄積疲労で精神的にも参ってしまっているのが実情と思われます。また、ダム地元の地方大学や県立研究所勤務の委員も多く、彼らにはダム推進勢力から有形無形の圧力が掛っていることも推測されます。因みに以前は最も活発な部会であった「琵琶湖部会」が最近すっかり大人しくなってしまっている背景には、これがあるのではないかと私達は見ています。
   要するに、その学識と経験の力を最も発揮すべき専門家委員が黙ってしまうという構図が、折角のこの“画期的”な淀川水系流域委員会を潰しつつあるのです。
   ただし唯一の例外は今本委員で、河川工学の権威であるこの方一人だけが、自ら「ダムワーキング」のグループリーダーを買って出て、獅子奮迅の活躍をされていますが、多勢に無勢、ここに来て疲労の気配が濃厚です。この方が最近よく口にされる言葉が“委員はもっと勉強せよ!”であることが何よりも雄弁に今の委員会の状況を物語っています。

 2、淀川水系の複雑・多様性
   「B、経緯と現況」でも述べましたが、「淀川水系」という審議対象が大き過ぎることも災いしたと思われます。取り分け「琵琶湖」の存在が問題を複雑にしており、特にこれの「水位管理」と治水・利水・環境との関係は複雑で、しかも大多数の委員にとっては初めて聞く話であったため、これの理解だけでも容易ではなく、今尚消化不良の委員も少なくないと思われます。逆にダム推進勢力はこれを逆手に取って丹生ダム、大戸川ダムの正当化に利用し、大阪府などの利水撤退により不要となる貯水池容量の穴埋めに「琵琶湖環境改善」という新たなダム目的を捏造したり、100年に一度の異常渇水による琵琶湖水位の低下を強調することで委員を脅しに掛ったのです。

 3、近畿地整内部の「ねじれ現象」
   近畿地方整備局河川部長の言うことと、出先機関が委員会に提出する資料や見解との矛盾が顕著です。宮本河川部長(委員会開始当時は淀川河川事務所長)の委員会開始当初における発言は、河川法の主旨を淀川水系で具現させようとの意欲を強く感じさせものでしたし、私達が今年6月に近畿地方整備局で直接会見する機会を得た時も、同様の雰囲気を感じさせました。また先日、同整備局が毎日新聞2面全面を借り切って、淀川水系の現状や課題を訴える記事を載せたことも単なるポーズとは思えません。
   しかし「近畿地方整備局」の名前で現実に委員会に出てくる資料などは、前述しましたように何とかしてダムの必要性を維持し、大阪府などの利水撤退によるダム規模の縮小を回避しようとする内容のものばかりと言っても過言ではありません。
   このことは、近畿地整も決して内部は一枚岩ではなく、河川事務所や水資源機構などの出先機関が河川部長の発言を無視しつつあることや、彼等の所有する資料の中から都合の良いものだけを選んで委員会に提出していることを伺わせます。ヘッドクォーターである河川部には案外「実務機能」は無く、以前から蓄積された資料を保有しているのも、或いは委員会に約束した諸々の「調査検討」作業を実際に行っているのも、そしてダム代替案を作成するのも、河川部本部ではなく、上記の出先機関と思われます。
   つまりトップと出先機関との「ねじれ現象」が顕著であり、委員会初期は兎も角も、正念場に来た今は、むしろトップが実務能力に勝る出先機関に引き摺られているのが実態ではないかと思われます。勿論、出先機関の背後ではゼネコン・政治家・学者などのダム推進勢力が後押しをしているのでしょうが。

4、縦割り行政の弊害
 a)他省庁との縦割り
   
全国の他の流域委員会も同様と思われますが、主催者が国土交通省近畿地方整備局であることから、この委員会に環境省・農水省などの他省庁の参加が皆無という大きな欠陥を内包しています。このために委員会審議の幅が狭くなっており、議論が他省庁管轄の分野に及ぶとそこでストップしてしまいます。たとえば淀川からの利水については上水・工水のみで農水の取水が殆んど無視されますし、丹生ダムの高時川の瀬切れ問題についても、琵琶湖河川事務所はその原因が水利権を盾にした農水の過剰な取水にあることまでは暗に示唆しますが、その先に踏み込もうとしません。「環境」については私達は詳しくありませんが、環境省の担当官が加わっていれば、審議内容はかなり違っていたのではないかと推測しています。つまり、そもそも「流域委員会」のあり方自体に問題ありです。

 b)国交省内部の縦割り 
  「利水」については国交省内部での「土地・水資源局」と「河川局」との縦割りも関係しているのではないかと私達は見ています。前述のように、ダム参画団体の将来水需要について検討することは、委員会がダム計画の当否を審議する上で必ず行うべき必須項目である筈ですが、ダム参画団体の水需要予測についての委員会からの度重なる開示要請に対して整備局は、「精査検討中」として執拗に詳細説明を回避し続けています。誠に異様な光景ですが、その背景にこの国交省内部での縦割りがあるのではないかと私達は思うのです。それは「淀川フルプラン」の関係です。つまり水需要やそれに伴う水資源開発を決めるのは、旧国土庁水資源局(現・国交省土地・水資源局)の管轄であり、今は同じ国交省となったとは言え、河川局としてはそこに踏み込めないというのが、この“異様な光景”の理由ではないかというこ
とです。
   淀川フルプラン審議会(正しくは国土審議会水資源開発分科会淀川部会)は土地・水資源局の管轄の下に、実は平成14年から開催されていますが、現在は開店休業状態にあります。恐らく淀川水系流域委員会の終了を待って、来年の早い時期に再開し、ここで一気に5ダムの水資源開発を決め、閣議決定に持ち込もうというのがダム推進勢力のシナリオというのが私達の見方ですが、宮本部長もこのシナリオに敢えて踏み込むことは出来ないということなのではないでしょうか。現に9月23日の「ダムワーキング」で、業を煮やした今本委員が「我々はこの「精査確認」を既に3年も待っているのだ。整備局はこのことを一体、どう考えているのか!」と宮本部長に強く迫った時は、さすがの部長も「この委員会審議には必ず間に合わせる」と明言したのですが、その後1ヵ月近くになっても今のところ新たな展開の気配はなく、先日の淀川部会での担当官の回答からしても、実現は怪しいのではないかと私達は見ています。

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転載以上。野村さん、ありがとうございました。(改行を少しいじりました)

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.

2004年11月06日 ダム問題ダイジェスト (カテゴリー: 法律・制度 , 住民参加 )

 全国各地から小豆島に集まった人々の報告から、ダイジェストを作ってみました。

茂吉さん.jpg

●川辺川ダム事業(熊本県)
 03年5月、川辺川利水訴訟で農家が農水省に勝訴。違法事業であると裁きが下された農水省は、現在、新・利水計画を模索中。「ダム案」と「非ダム案」で農家にアンケートを取ろううとしている。ところが、農水省は「ダム案」については市町村補助で農家の負担を軽くしようとしている。原告側は「非ダム案」を推進し、「どちらの案でも農家の負担は同じにすべきだ」と原告副団長の茂吉隆典さん(ピンぼけすいません)。詳しくは例えばココ

有友.jpg

● 山鳥坂ダム事業(愛媛県)
 04年3月に閉じた肱川流域委員会で、国交省は住民参加を認めなかった。5月、山鳥坂ダム建設を含む新しい河川整備計画を、河川基本方針の決定からわずか半年でスピード決定。その後も、市民グループは住民討論会を求め、出前講座や説明会などが実現した。しかし「国交省は質問にまともに答えない」と有友正本さん。焦点は基本高水。詳しくは、山鳥坂ダム建設の中止を求めるHP ヒジカワドットコム 

★解説★97年の河川法改正で、建設省(当時)は、「ダム事業など大規模な事業を伴う場合は、河川整備計画策定時(第16条の2)に、住民参加をさせる」と繰り返していました。それすら徹底されていない。国交省の時計は、反時計回りしていました。

● 内海(うちのみ)ダム事業(香川県)
「3年前に7人で運動を始め、全国集会を開催できるほど盛り上がってきた」と報告をしたのは、85歳になられる「内海ダム再開発事業と国立公園寒霞渓の自然を考える会」の櫛本いとヱさん。(前々号をご参照ください)

橋本.jpg

● 苫田(とまた)ダム事業(岡山県)
 ダムそのものは完成し、来年から本格運用の予定だが、前倒しで年内に完成式が行われるという。土地収用を巡る裁判がいまだ展開中。「これからも理不尽さを訴えていく闘いをやっていく」と橋本省吾さん。(水没予定地に生まれ育った友人がいるため、私(まさの)にとっても個人的な思い入れがある。)

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● 細川内(ほそごうち)ダム事業(徳島県)
 「細川内ダムは、前木頭村長・藤田恵氏を先頭に、完全中止になりましたが油断ができない。というのも、五ヵ町村合併により、『ダム建設阻止条例』を破棄することになりかねない。だが、なんとしてもこれだけは確保しておかねばならない」と、「条例」という村の財産を訴えたのは、木頭村の田村好さん。木頭村の公式ウェブサイトはもちろんあるのですが、村長が変わってから、だんだん寂しいサイトに…。頑張れ、脱ダム日本一の村!

近藤.jpg

● 徳山ダム事業(岐阜県)
 木曽川水系は水余り状態で長良川河口堰が建設・運用され、さらに徳山ダムも建設。03年、1010億円増額を水資源機構が打ち出したところ、自治体がさすがに反発。フルプラン改定に至る。しかし、新河川法による河川基本方針も整備計画策定の手続も飛ばして、利水ダムが治水ダムに化けた。「脱法行為だ」と訴えたのは近藤ゆり子さん(ピンぼけ失礼!)。

太田川.jpg

● 太田川ダム事業(静岡県)
 「知らぬ間に流域委員会がつくられた」とグループ太田川水未来の岡本尚さん。参加したいと申し入れたが、委員長からは「固まっている各種の計画の当否を検討する会ではない」「ダムは存在しているものと仮定」して太田川の河川整備計画案について意見をもらう会だと断られてしまったという。17名の委員のうち、河川についての学識経験者は2名、川に関する市民団体の代表が2名。その他の住民参加はなし。
 (感想:あえて詳細しませんが、強いエネルギーを感じる報告でした。)

★ 解説★河川法において「住民参加」と言えるものは、その16条の2で、「河川管理者は、(略)必要があると認めるときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」とされているところのみです。その書き方は漠然としています。ただし、「公聴会の開催等」の「等」には無限大の可能性があり、「関係住民」もまた、岡本さんたちのように関心がある住民すべてを含めることも、行政の裁量の範囲、という意味では無限の可能性を秘めています。太田川の流域委員会の委員長は、法律が読めない人、もしくは読んだことのない人、もしくは、その理念や意味を理解できなかった人、もしくは自分の頭で「民主主義」の意味を考えることができず、行政事務局に従うだけの人だったのでしょう。この意味で、現時点において、法が定めた理念に「最も近い」とされているのは、淀川水系流域委員会の例(問題、課題はありつつも。ここも全国からの注目が必要な、あやうい正念場を迎えています)です。しかし、全国で、「等」や「関係住民」の幅は、「狭く狭く」解釈されているのが実態です。

★ 解説★この日記は河川法を「改正しようヨ」と訴えてはいますが、それ以前に現行法が適切に運用されていないという点にも気に留めておいてください。それこそが現行法の限界であり、だからこそ、97年に(今よりももっと無知なりに私も含め)コツコツと作業をして、市民団体として改正対案骨子を作り、野党から議員立法で国会に提出してもらった所以です(野党案も理想からは少し離れてしまったのですが)。
 「やっぱりね」と言いたくはないですが、1,河川管理者(国や都道府県)が基本方針を定め、2,二段階目で、必要だと河川管理者が思えば、住民参加をさせて整備計画を策定、という中途半端な、曖昧な住民参加条項では、ダメでしたね。「解釈」の幅が広すぎて、行政の思いのままになされる河川行政では、以前と何も変わりません。

★感想★ 
 台湾の国際会議に、日本の国土交通大臣か事務次官かという立場の政府高官トップが呼ばれて出席したように、こうした集会に、せめて河川局長が顔を出す力を、日本の市民団体がつけていかなければと思います。

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● 辰巳ダム事業(石川県)
「犀川の基本方針と整備計画は、御用学者によってつくられた」とナギの会の渡辺寛さん。「基本高水を下げさせたり、規模を縮小させたり、辰巳用水取水口を守ったり、成果は上げてきた。だが、一連の豪雨をきっかけに、犀川の堤防・河道整備を行政が40年に渡り怠ってきたことが判明した」と報告。

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● 奥胎内ダム事業(新潟県)
 「新潟では大水害があったが、ダムを造ってくれという話には結びついていません。逆に、ダムがあったのに大水害が起きたことで、ダムに責任を帰する声が大きい」と「奥胎内ダムを考える会」代表の三橋允子さん(またまたピンぼけごめんなさい)。「奥胎内ダムについては、基本高水が過大に設定されています。ダムの代わりとして、堤防・河道整備を訴えていきたい」と。

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● 八ッ場(やんば)ダム事業(群馬県)
 「昨年の今ごろまでダムのことを知らなかった」と話す「八ッ場ダムをストップさせる東京の会」の田中清子さんは、「東京都は、事業費の倍増を真っ先に受入れました。住民監査請求を進めてきたが、東京都監査委員会はこれを門前払いし、多くの市民が怒っている。これからも輪を広げてストップさせたい」。
 一方、八ッ場ダムのご当地である群馬県から来た「八ッ場ダムを考える会」の真下淑恵さんは、「市民の関心を高めるため、多くの人々に水没地を見てもらう活動や集会などを実施しています。利根川下流の人々とも連携していきたい」と。
 04年12月5日は、八ッ場ダム住民訴訟スタート集会pdf形式)です。

 総会では、この3分間報告の後に、マイク奪い合いの、ケンケンガクガクの討議が行われ、その論点は、おおよそ次のように集約されました。

1.想定規模を超えた豪雨に対して、ダムは無力どころか、大きな災害をもたらした。
2.台風や集中豪雨による災害は、ダムに依存し、河道整備を遅らせたことに起因する。
3.森林の荒廃は、保水力の低下をもたらし、流木による被害を拡大した。
4.欠陥のある堤防が各地に存在し、それが破堤を引き起こし、甚大な被害をもたらした。

 一見、各地で起きた水害ショックの直後ならではの討論のように見えます。しかし、これらは皆、これまでの河川・森林行政のツケであり、過去の河川・森林行政の結果なのだとも言えるのではないかと思いました。「治山治水」(山を治めるものが水を治める)という先人達の言葉が、妙に重く感じる年ではなかったでしょうか。

 次回は、一端、台湾報告に戻りたいと思います。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

2004年11月02日 内海ダム (カテゴリー: 住民参加 )

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 「二十四の瞳」で有名な瀬戸内海の小豆島へ行ってきた。ここには内海(うちのみ)ダムという多目的ダムが計画されている。つい先日、香川県は、財政再建策として来年度の歳出630億円の削減を決め、内海ダムも「事業期間を延長し、大幅なコスト縮減を図る」事業としたばかり。

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 (左写真は朝の散歩で島内のオリーブ園にいく途中に見つけた野ブドウの茂み)

「つまり凍結ですか?」と香川県砂防課の担当者に聞くと、「平成17年度から3年間は、財政再建のための集中対策期間。内海ダムについても増額しないという『足かせ』がある」という。よく分からないのでもっとかみ砕いて話してもらった。

 「たとえば用地買収など済んでいないところがありますね。それを済ませるとなるとお金がかかる。しかし増額しない。次の段階に進めないわけではないが、1年でやることを3年とか4年とかかけませんか?という話です」という。つまり、予算をつけっぱなしでノロノロ進むというわけだ。非効率、非経済でとても財政再建策とは思えない。驚くべき先延ばし策だ。

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 10月31日(日)に内海町で開催された「小豆島『海と山』からの水害を考える全国集会」に行ってきたのだが(★右真左:500人が会場に詰めかけた)、会場前には、看板(★左下写真)を建て、ビラを配っている内海ダム推進派のおじさんたちがいた。推進派のビラは貴重な情報である。受け取って読んでみた。

早期完成望む.jpg

ダムの目的
 驚いたことに、、「推進派住民が掲げているダム建設の理由」と、「県が掲げているダム建設の理由」は違っていた。県が説明責任を果たさず、推進派の事実誤認を放置して、推進運動を展開させていることを意味する。

 内海ダムは、香川県側は「利水と治水の二面性を持つ多目的ダム」だと言うのだが、推進派のビラには、年間雨量が少ないので、「節水態度は内海町民の一人ひとりに染みついています」とある。「お百姓さんは、この小豆島に多くのため池を作りましたが」「干ばつの年には川の中に穴を掘り水をため、奪い合って「つるべ」で汲み、川は穴だらけでした」とも書いてある。

 なるほど、島のあちこちにため池があることが、移動中にすぐ分かる。ため池を作ったら万事OKだという幻想は、住民だからこそない。ダムを作ったからといって水が湧くわけではなく、天からの恵みでしかないことが分かっている。

 このビラでは、「水が少ないからダムが欲しい」という論法にはなっていない。「そんな渇水に『苦労を重ね米を作ってきた』にもかかわらず、一方で、台風で大雨が降ると、大変な被害が起きるからダムが欲しい」という論法なのだ。「利水」という理屈は、事業者の空しい方便でしかないと気づく。

 問題は、彼らがダムが欲しいという根拠でもある過去の災害だ。ビラでは、小豆島は、1975年に29名、1976年に39名、合計68名もが山津波によって犠牲になったとされている。しかし、実は、「四国山地の土砂災害」(国土交通省四国地方整備局四国山地砂防事務所発行)を取り寄せてみたところ、被害があった場所は、内海ダムが計画されている別当川とは離れた別な場所だった。

 「山津波だ」「洪水だ」と住民の恐怖心を駆り立て推進しても、実際に調べてみると、実は災害箇所と事業箇所が全く別であることは、他のダム事業でもあったことだ。
 
 たとえば、今、首都圏で大問題になっている八ッ場ダムでさえ、昭和22年に大被害を出したキャサリン台風が契機となったが、実際には、キャサリン台風が来たときに八ッ場ダムがあったとしても治水効果はゼロであったことを、国土交通省が自ら、認めたのは今年の話。

 熊本の川辺川ダム事業でもそうだった。山津波の被害者は、川辺川とは違う川筋の集落でおきた被害だったことが分かったのは、2,3年前。(詳しくは2002東京ビデオフェスティバル・ビデオ大賞受賞ビデオ「ダムの水は、いらん!」参照)

 小豆島の推進派住民がとても賢明だ私が思うのは、二つの箇所がまったく違うということも実はよく知っていることだ。「今度は別当川かもしれないからだ」という意味のことが書いてある。すぐバレル嘘はつかないのだ。
 
 このビラで分かるのは、彼らがダムが欲しいと主張する根拠は、「土砂災害」であって洪水ではないということだ。ところが、県担当者はあくまで、「水を受けとめる」としか言わない。砂防ダムではないから当然だ。だが、一方で、推進派の論法をそのままで放置している。反対派住民に対しては「より一層の理解を求めなければ」とそれらしきことを言う。だが、推進派がダムが欲しいといっている理由は、本来、自分たちが掲げている目的とはずれているのに、放置している。

内海ダム.jpg

 さらなる問題は、県が言うダムで受けとめる水のことだ。実は、この川は全長4キロ(正確には3.966キロ)しかない。ダムサイトは河口から2.2キロ地点。つまり2キロに満たない、たった1.766キロメートル区間(目と鼻の先)に降る雨を受けとめるだけのダムだ。

 実は、内海ダム計画は、正確には「内海ダム再開発事業」といって、現在、ため池状態の小さなダムがあるところに、50メートル下流にダムの壁を立てて、小さな現在のダムを飲み込むような形で、高さ42メートル、横447メートルの8倍大きなダムを作る再開発事業だ。直下の集落から見れば、太ったヒラメを逆さにひっくり返して、ぶつ切りにした断面のようなコンクリ面が見えることになる。平べったくて横長な奇妙きてれつな格好のダム計画である。 

 山頂から撮った写真に目を凝らして見ていただきたいのだが、ため池程度のダム(★写真中央に見える白いところが湖面だ)、集落、河口(川はあまりの細さに肉眼でもほとんど見えなかった)、海まで全部見渡せる小さな地域だ。

 直下の住民は勘弁してくれ、と考えている。なぜなら、昭和36年の集中豪雨のときには、ダム管理者が持ち場を離れていた間に、ダムから水が溢れ始め、付近の住民が命綱をつけて、水が越流している堰堤の中を渡って、中央のローラー門扉を操作して放流して、ダムの両脇が削れて決壊するのを防いだ経験を持つからだ。

 このときの香川県の発表は、ダム管理者が不在だったとは言わずに「突然、洪水吐ゲートが操作不能になったから越流した」というものだった。この発表はウソだろうと言われている。なぜなら、このゲートはその後12年間も取り替えられなかったからだ。ウソでも本当でも、住民を馬鹿にした話であり、ミステリーだ。
 
 もう一つのミステリーは、このダムが、日本三大渓谷と言われる寒霞渓から、目を転じて瀬戸内海を見下ろすと、その景色のど真ん中に来ることになることだ。その風景を遮ることにまったくお構いなしというセンスがミステリーだ。

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 寒霞渓は、瀬戸内海国立公園の中心的観光資源なのだ。
 「ダム建設によって水が変わり、醤油の味が変わったら、従業員を路頭に迷わせることになる」とダムに反対をしている醤油会社の山西克明さんによれば、かつてアメリカ人が買い上げようとしたいわくつきの名勝でもある。当時、地元のある名士が、この風景は日本人のものだと、私財を投げ打ってアメリカ人から買い戻し、開発されずに現在の風景を保った。この志を受け継がずしてどうするという話だ。

津波対策.jpg

 さて、内海町でも、今年の台風で、多大な被害を受けた。
 山からではなく、海から押し寄せてきた高潮で「へその上まで浸かった」という。床上浸水180戸、床下浸水350戸という被害だ。
 「集会」は単にダム反対運動の集会ではなかった。サブタイトルが「内海ダム再開発から『高潮・津波』対策への転換!」となっているように、本来は、ビラを配るだけで会場には入らなかった推進派と言われる人とも関心事は共通している。

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 反対派のところには、「街宣車」も回ってくるという。事業を巡る賛成・反対という結論が、人々の心を疲れさせる。本来は安心できる暮らしを誰もが望んでいるのに、はじめに事業ありきで事業が進むせいだ。
 
まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

2004年10月29日 破堤 (カテゴリー: 住民参加 )

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 地震や台風のたびに台湾の人々から「無事?」とメールが届くようになった。高雄市でプレゼンをやったときに、日本の山や川での台風被害を写真で見てもらったのだが、「台湾かと思った」という感想をもらったほど、その被害が似ているらしい。(写真は上から、植林が山崩れを起こした徳島県木沢村の山、豪雨で徳島県那賀川に流入し、川面を埋め尽くす木々、那賀川にかかる長安口ダムに流入した木 撮影は木頭村の田村好さん) 人間同じようなことを考えるもので、姫野雅義さんも、やはり講演の中で、同様に台風の写真を見せていた。そうそう、姫野さんも姫野雅義の吉野川日記を始めたので、ぜひ、ご覧あれ。

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 兵庫県の豊岡市がまるで熱帯の国が見舞われる洪水のようなコーヒー色の一面の水に被われているのを見て、気になっていたことがある。9月に国と都道府県とで行った堤防点検を行って「要対策箇所」とされた場所と、今回の破堤場所は、一致しているのかということだ。そろそろ、パニックを脱したころかと思い、問い合わせてみた。

nagayasudamlog.jpg

 すると、近畿地方整備局河川管理課は、今回破堤したのは2箇所で、それは9月に点検で「要対策箇所」とした14箇所とは別のところだったという。ただし、県が管理している区間については把握していないと言う。
 
 そこで、兵庫県の県土整備部土木局河川整備課にも聞いてみた。県が9月の時点で「要対策箇所」としたのは24箇所。それらは「従来から弱かったところ」だそうで、今回の破堤箇所とはやはりずれている。破堤は豊岡の地域だけで9箇所。うち8箇所は全く別の場所、1箇所は区間名は一致しているが同じ箇所かどうかは未確認だという。 

 9月の点検は、7月に新潟と福島で豪雨によって破堤して「甚大な被害」が発生したから『これから本格的な台風期を迎えるにあたり、堤防等の河川管理施設の状態を再度確認する』と指示を出して行ったものだ。それが意味をなさなかったことになる。(他の都道府県も、再点検が必要だ、ということも言えるだろう)
 
 「基本高水(洪水が起きたときの最大流量)」という数字をはじいて上流にダムを作ることで「治水対策」だと胸を張るのがこれまでの国のやり方だった。しかし、それとは別に、堤防がもたないというオソマツな結果を、残念ながら私たちは目にしている。

 新潟大学の大熊孝教授は以前からよく言っていた。「溢れさせる」「切れない堤防を作ることがもっと大事なのだ」と。実は、私がこの言葉を理解できるようになったのは、つい最近のことだ。破堤すると被害が一極集中するから、堤防を補強してジワジワと広範囲に溢れさせてリスクと被害を分散させるという考え方だ。その代わり、何十年かに一度、地域全体が床下浸水ぐらいを覚悟する住民側の意識改革も必要だと。破堤で一極集中被害が出たのを見て、「溢れさせる」の意味が分かってきた。

 「ダム神話」は崩れ去った。「堤防神話」も捨てなければならない。人工物で自然を押し込めることの限界、という欧米が経験したことを、犠牲を払って日本も学んだということになるのだろうか。

 大熊先生の言うように、「溢れても切れない堤防」による治水方法も、今よりはずっといい。でも、長い目で見れば、現在、めちゃくちゃなことになっている都市計画を、今後100年かけて見直していかなければならないのだと思う。何をすればそうなるのだろうか。少なくとも、住民の参加、なしにはこれもできない。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

2004年10月14日  「そこのけ」は、国際標準を満たさない (カテゴリー: 住民参加 , 八ッ場(やんば)ダム )

  「道路代替用地7割『遊休』」という朝日新聞10月11日の記事を見て、さもありなんと思う。 
道路建設で移転を余儀なくされる地権者のために548億円を使って用意した「代替地」10万6千m2のうち7万1千m2が「提供の可能性がなく遊休化している」と会計検査院が指摘したそうだ。
 
  「さもありなん」と思ったのは、八ッ場ダム(群馬県長野原町)計画の状況を見聞きするからだ。

  日本の公共事業が、いかに移転させられる人々の希望も聴かずに、「そこ退け、その退け、道路が通る」「そこ退け、そこ退けダムが通る」と事業主体でことを進めてきたかを示す。

 計画から52年たった八ッ場ダムでは、いまだに、「補償交渉」が終わっていない。これだけを考えても(半世紀のダム闘争でくたびれ果てた現地の方々のお気持ちを私自身が踏みにじるようで申し訳がないが)、実は、ダム建設をこれ以上、一歩も進めるべきではないのだ。

 水没四地区(川原畑、川原湯、横壁、林)の住民が「国交省に約束を守らせる会」として、水没地の人々に向けてチラシを織り込み、国交省のやり方に納得がいかないではないかと訴えたのは、ほんのこの夏の出来事だ。

No.1「急告 信じていた補償基準に疑心!!」
  ・宅地、田、畑の坪当たりの価格に他の地区と差額がある(安い)。
  ・その理由を聞いても国交省は説明もしない。

No.2「いまだに支払い名目もない第一小の建設用地」
  ・水没する小学校に替わる小学校を建設するというから(小学校だけはとりもなおさず)善意で土地を提供したのに、(そしてその際、山を切り崩して整地するから周辺の土地も一緒に提供するわけです)、建設が済んだら周辺の土地に関しては「小学校用地ではない」と支払われていない。

No.3「特報「代替地分譲基準連合交渉委員会」開かる」
・ なぜ、チラシを発行するかという説明など

 目を転じて、途上国への開発援助の動向をみてみると、八ッ場ダムのケースがいかに、先進国として恥ずかしい事例であるかが分かる。すでにこんなことは、開発援助の分野では許されない、糾弾されるべきことだからだ。

 インドのナルマダダム、中国の山峡ダムなど、先進国の支援による途上国の大型ダム建設は、どこにおいても、社会的・環境的な配慮は一切無視して行われてきた。それは現地政府の体制によるものもが大きかったが(国によっては軍隊や警察が強権的に移転させてしまうケースがあると「メコン・ウォッチ」の松本悟さんは言います)、国際社会では、それは援助する側の責任もある、ということになり、技術援助や融資をする場合には、対象となる事業にきちんと環境配慮がなされたか、人々への補償がきちんと行われるかが確認されない限りは、支援を行うべきではない、という流れにつながってきた。

 その結果、世界銀行では、1950年代から増加の一途を辿っていたダムへの融資は、1980年代前半を境に、現在、ひたすら下降線を辿る。「移転」という大きな犠牲を払うくらいなら、作るべきではない(適正な住民参加や補償がなされない国には融資できない)、という流れになってきているのだ。

 1998年に世界銀行と国際自然保護連合が設立した「世界ダム委員会」が、社会的な影響や環境への影響を配慮するべきという勧告を出したことで、この流れは決定的になった。

【移転は単なる物の移動ではない】 
 影響を受けるのにもかかわらず、それが過小評価されて補償がされないのは、立ち退きに会う人々の「経済的、社会的な発展」ではなく、単に「物理的移転に主眼を置いているからだ」と結論づけられていったのだ。

 日本はそんな流れの中で、最後まで支援側の劣等生として悪名を馳せることになった。フィリピンのサンロケダム、インドネシアのコトパンジャン・ダムなど、働いてきた悪事の数はいくしれない。

 そして、ついに、こうした外圧を受けて、JBIC(国際協力銀行)もJICA(独立行政法人国際協力機構)も、それぞれ「環境社会配慮確認のための国際協力銀行ガイドライン」(02年4月)、「JICA環境社会配慮ガイドライン」を2004 年4 月を発行。今後は、それが守られていくかが、国際社会からも監視される段階に移っていく。

 さて、改善されるべき点はまだあるものの、後者のJICAについて言えば、日本国内の公共事業のやり方と比べて、いくつもの優れた考え方が盛り込まれている。

 一つは、「非自発的」に移転させられる住民に対する考え方です。

 人々の移転や生計手段の喪失はできるだけ回避すべき、そして、どうしても回避できないならば最小限に食い止め、どうしても食い止めることができなかった犠牲については、その損失を補償すること、と、「回避、最小化、補償」という優先順序で考えなければならないこと。

 そして、それが、移転させられる人との「合意の上で」なされなければならない、ということ。

 「つまり、勝手に専門家がやってきて、あなたの補償額はいくらね、と一方的にソロバンをはじくのではなくて、移転する人自身が納得しなければならない」(「メコンウォッチ」の松本悟さんに聞きました。)

 「また、補償や支援が「適切な時期に与えられなければならない」ということろが大事なんです。つまり、待たされて疲れちゃったなんていうのは論外で、新しい生活が必要なときに間に合うように早く、でなければならない」
 
 松本悟さん(彼は「JICA環境社会配慮ガイドライン改定委員会」の委員でした。まさに改定に汗をかいた人!)にお話を聞いていて、「もう涙が出そう!」と叫ばずにいられませんでした。

 二重の意味でです。今まで、勉強しなければ、と思いつつ、国内のダムで精一杯と、国際スタンダードを勉強せずに来たこと。このことをもっと早く知っていれば(いや、実は、脳みその表層では関知していながら、きちんと理解していなかった)という後悔の涙。そして、海外支援以下のスタンダードで、自国民に向きあっている日本政府に対する情けない気持ちの涙。

 「八ッ場の人たちなんて、もう52年も待たされているんですよ~(泣)。そして未だに納得がいかない扱いを受けています(泣)」(まさの)

 「日本には『ゴネ得』っていう言葉がありますよね。でも、そんなの当たり前なんです。それだけ背負わされるものが大きいんです。海外支援のあり方では、移転する人こそは、受益者にならなければならない(犠牲ではなく)。移転する人々の生活は改善されなければ、受益者にならなければならない。少なくとも、回復。そういう順序です。回復じゃないですよ。改善が先です!」(松本さん)

 そういったことが皆、「JICA環境社会配慮ガイドライン」(2004 年4 月)の22ページ「非自発的住民移転」の項に書いてありますから、行間とともに、じっくり読んでください。

 そんなわけで、こんなニワカ勉強をしたのは、明日から台湾で始まる「ダム代替案国際会議」に出席するからです。日本の恥をさらしたり、日本の悪事を謝ったりしなければならないことになるのだろうと、思ったからです。でも、それ以上に、これまで勉強(体得)してこなかった自分を、恥ずかしいと思いました。
 
 帰国後、また、ご報告します。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

2004年09月25日 治水のイロハ「堤防」 (カテゴリー: 法律・制度 , 住民参加 )

世の中には人知れず「スゴイ」人というのはたくさんいるもので、ナギの会の渡辺寛さんは、その一人。今日は、彼が8月19日に提供してくれたたくさんの情報の中から、「堤防の緊急点検」の動きを、私自身が消化してその意味を考えるための日記です。

その一つは、「堤防の緊急点検」の動きを伝える情報でした。
7月23日に国土交通省河川局治水課が出した通知で、「堤防等の河川管理施設の緊急点検について」というもの。

内容は、04年7月に「新潟」「福島」「福井」で豪雨で堤防が破堤して大きな被害が起きたので、台風シーズン前に堤防などを「緊急点検」しましょう、ということ。通知先は、各地方整備局と都道府県の河川事業担当部長など。

石川県にお住まいの渡辺さんは、さっそく、石川県に確認をいれたようです。ところが、「そんな通達、どこで見たんですか?」という反応だったそうです。

しかし、そんな調子でも、なんとか全国の緊急点検の結果がまとまったようです。結果として、国交省が管理する区間で約1万3千kmで「70箇所」、都道府県が管理する区間で約3万9千kmで「905箇所」、両方で合計「975個所」も、修繕工事などが必要な箇所が見つかったとあります。

その中でも圧倒的に異常に多いのが、新潟県で「417カ所」。約半分ですね。その後、多い順では、山口県、富山県、岐阜県と続いています。都道府県別に「堤防等の河川管理施設の緊急点検状況(都道府県管理河川)」がまとまっています。「ウチの県はどうかしら?」という確認はこちらで。

ただし、当初の通知の不徹底ぶりから判断すれば、各都道府県での調べ方や熱心さに誤差がある可能性もあるので、各自治体の危険箇所の「数」の比較には意味はないかもしれません。

またひねくれた見方をすると、この時期の彼らの業務内容(8月は自治体にとって概算要求の季節。これから年末にかけては、予算ぶんどり合戦を繰り広げる時期です)と重ね合わせると、ひょっとすると、と考えてしまうことがあります。

国交省が自治体の声をまとめた形で「38自治体のうち、約8割にあたる30の自治体が、予算制約があり十分な対策ができないと回答している」とまとめたことが気になってしまうのです。これまで「ダム」の新設に力を入れて、治水のイロハのイである堤防整備をないがしろにしてきた国の河川行政を反省もせず、自治体の予算不足をアピールするのは、ちょっとどうだろうか、と。

さらには、河川事業の予算が減ってきているからだと言わんばかりのグラフを示して、「予算の制約が河川管理に支障をきたしていると考えられる」と、これまたアピールしています。しかし、これまでさんざん毎年毎年つけられていた予算を有効に活用していなかったのではないか、予算配分のメカニズムに問題があったのではないかと省みて、その構造を変えようという提案を出してくるべき時ではないでしょうか。

★何はともあれ、堤防が切れるかもしれないという危機管理意識を住民に持たせてこなかった河川行政を反省してそれを転換することが、本当は最も重要かもしれない、と私は思います。

★そう考えた場合、この点検で得た結果に関してやらなければならないことは、次のようなことではないでしょうか。

1)どこが危ないところなのかという975カ所を公開すべき(数ではなくて)、
2)1)によって都道府県の点検に漏れがないか、住民の目でも確かめてもらうべき
3)限られた予算でどこの堤防を優先して修理していくか、地域住民の声を反映させる機会を作るべき

それが、本来、河川法16条で定めることになっている「河川整備基本方針」の基本とならなければならない作業なのだと思います。具体的には16条2項 「河川整備基本方針は、水害発生の状況、水資源の利用の現況及び開発並びに河川環境の状況を考慮し、かつ、国土総合開発計画及び環境基本計画との調整を図つて、政令で定めるところにより、水系ごとに、その水系に係る河川の総合的管理が確保できるように定められなければならない」で、ざっくりと触れられているだけです。

そして、これが、現在、住民への情報公開がない段階で、住民参加なしで、国交省が一方的に定めることになっています。それはおかしい。「堤防」つまりは、「治水」という河川法の本来の目的から言っても、河川法は改正をすべきだと思うわけです。

河川整備基本方針の策定段階からの住民参加が必要だと。
そう思いませんか?国土交通省さん?


まさのあつこ
ちゃっかりオマケ「日本で不妊治療を受けるということ」アマゾンに登場!

2004年09月20日 行政計画学会 (カテゴリー: 住民参加 )

行政計画学会なるものに行ってきました。10分間づつ話題提供をして1時間討論という形のシンポジウムに出ました。「都市と環境の合意形成―市民参加の新展開」というテーマで、司会の朝倉暁生・江戸川大学教授から「参加の保障」というキーワードでお話をと注文あり。

この学会で、「合意形成手法研究専門部会長」をしている原科幸彦・東京工業大学教授から、参加のレベルは5段階ある、というお話など。(5段階とは、1)情報提供、2)意見聴取、3)形だけの応答、4)意味ある応答、5)パートナーシップ。)

小泉秀樹・東京大学助教授から、都市計画・まちつくりという分野での市民参加の話。「フォーラム、アリーナ、コート」での市民参加がなされなければならないという話です。「フォーラム」とは住民が直接参加できる場。「アリーナ」とは議会(たとえば都市計画の場合、「都市計画審議会」が決定するが、審議会とは、専門家なのか、住民なのか、行政なのかウヤムヤ。決定の場は「議会」であるべきではないかという提起)。「コート」とは司法によるチェック。

この話は、後々、フロアとの討論の中で、司法が機能しないから、住民参加をおざなりにして計画が進むのが日本。だが司法が機能すれば、参加や合意が不十分であとで訴えられてコストや時間がかかって事業が止まるより、最初に情報とお金と時間をしっかり出して住民を参加させ、できるだけ合意レベルをあげて事業を進める方が経済的という話へと集約されていきました。

私からは、河川法改正で、「住民の意見を反映」させなければならないと、遅い段階(二段階目)ではあるが「参加の保障」がなされたはずが、問題あり、という話。1)一段階目での「参加の保障」がされるべく河川法を改正すべき。2)計画の基本となる「河川砂防技術基準」を、行政手続法の改正により官僚の裁量だけで決定されている現状を改善しなければならない。3)法はできたが、裁量の範囲で住民参加をさせないという「脱法行為」もある。例が木曽川水系。新河川法に基づく(環境と住民参加という視点をいれた)新しい計画づくりの前に、ダムが3つ消滅するような変更があった。「脱ダム」をしたければ情報を明らかにして民主的手続を踏むべき。

最後に行われた1時間の討論で、フロアからでた「情報の非対称」というキーワードなどから、参加の「場」が保障された後の話へと移っていきました。

参加のための「情報」と「コスト」の話です。小泉氏からは、例えば圏央道の例。「圏央道の是非をめぐり訴訟がありましたが、一般に交通関係のデータは市民が入手困難で、対案を提示したりすることも難しい」など情報提供不足の実態の話。

私は川辺川の例。熊本県の呼びかけで始まった県民討論集会では、住民が国交省の資料を開示させるのにわざわざ何十万ものおカネを払わなければ必要な情報が得られなかったという話。情報は最初から提供すべきもの、情報なしに参加はできないという話。

たとえば環境アセスでも、行政とは意見が対立する住民側がコンサルタントを雇うお金を、行政が出すくらいまでやらなければならないなど、情報とコストの非対称を埋める手だてが必要という話に自然とまとまっていきました。

会場には100人くらい学者の方々がいらっしゃったと思います。分かり切った話を単に整理しただけだったような気もして、帰り道で一緒になった初対面の参加者に「釈迦に説法だったと思うんですけど」と言うと、「大学の先生たちは現場を知らないから良かったですよ」と言われ、なるほどそうなのか、と思いました。

私は情報の「媒介者」でしかありません。百聞は一見に如かずで、ドンドン地域を飛び歩いて、理想と現実のギャップを知る学者さん達が増えて欲しい。(もし、まだそうでないならば)「それじゃぁ、おかしい」という健全な第三者の声をいっしょに太くしていって欲しい。「学会としても何ができるか」を考えているという声も聞かれ、今後に多いに期待したい!と思った日曜日の午後でした。

下記は、私が出したA4一枚のレジメです。(オマケ)


河川法での住民参加における課題
Issues of Public Participation prescribed in the River Law

ジャーナリスト 政野淳子

【住民意見反映の規定】 
 1997年河川法改正により、旧法では国土交通省(建設省)が決定していた「工事実施基本計画」を二段階に分け、1)河川管理者が「河川整備基本方針」を定める、2)河川管理者が河川整備基本方針に沿つて「河川整備計画」を定めるとなった。後者の河川整備計画では、「必要があると認めるときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」(第16条の2)とされた。「必要があると認める」かどうかは、国土交通省の裁量や世論に委ねられることなどをはじめ、解決しなければならない課題がある。

【住民参加前に実質決定】
 第一の問題は、ダム建設や河川改修工事の根拠である「基本高水」「計画高水」などの事項が、河川整備基本方針の段階で、河川法施行令に基づいて決まってしまうことである。これにより、第二段階目で住民が意見を言えたとしても、あらゆる選択肢が有効で、住民意見の反映が実質的に可能かつ効果的な段階での住民参加を行うことは不可能である。

【経過措置】
 第二の問題は、新法に設けられた「経過措置」が続行している(新法で河川整備基本方針と河川整備計画が定められるまでは、工事実施基本計画をそれと見なす)ことである。一級河川だけをとっても、全109水系のうち新法によって改訂された河川はたった27水系(20003年11月)にとどまる。つまり、1997年以来、現在(2004年)に至るまで、未だに旧法に基づく河川事業が延々と行われ、新法で新たに加わった河川法の目的である「環境」保全の視点が抜け落ちている。同様に、ほとんどの河川で、住民意見の反映の機会が到来していないことを意味する。

【流域委員会の位置づけ】
 「河川整備基本方針」が未策定な段階で、各地の河川で、「流域委員会」が設置されているが、これは国土交通省によれば「河川法で規定されているものではございませんが、河川に関し学識経験を有する者の意見を聴く方法として○○流域委員会などの名称を用いて委員会形式により、効果的・効率的に意見を聴く場を設けている河川があります」(2004年7月参議院議員中村敦夫(当時)への提出資料)というものだ。
 実際には住民が参加している場合があるにも関わらず、それらが「住民の意見反映」の場でないとするならば、住民意見の反映とは何か、確固たる形が未だないことになる。一方で、こうした場で、本来、河川整備基本方針の段階で国交省が定める「基本高水」などの事項が議論されているケースもある。これは、ダム事業や河川改修事業などについて、事業の根幹に関わるデータに基づいた議論や、そこでの住民意見の反映が必要とされていることを証明するものである。

【課題】
 河川法の再改正により、河川整備基本方針策定の際、根拠データ・計算方法を検証可能な形で公開し、住民参加の上、その意見を反映させた上で決定していくことが必要である。