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年老いた音楽家が息子二人とともに、かつての妻を探して、イラン・イラク国境地帯を旅する。デビュー作『酔っぱらった馬の時間』で高い評価を得た、イランのクルド人初の監督バフマン・ゴバディの第2作。2002年カンヌ国際映画祭フランソワ・シャレ賞、サンパウロ国際映画祭最優秀作品賞、他、多数の賞を受賞。
■監督・脚本・製作:バフマン・ゴバディ
■出演:シャハブ・エブラヒミ(ミルザ)、アッラモラド・ラシュティアン(アウダ)、ファエグ・モハマディ(バラート)
■2002年/イラン/クルド語/カラー/100分
■原題:Avazhaya Sarzamine Madariyam / Songs of my Motherland
■配給:オフィスサンマルサン、協力:国際交流基金、広報:ムヴィオラ
■劇場:岩波ホール
■上映情報
舞台は、イラン・イラク戦争(1980~1988)後の、両国の国境地帯。老境にあるクルド人の有名歌手ミルザは、人づてに、かつての妻ハナレが苦境にあり自分に会いたがっていると聞く。ハナレは昔、女性が歌うことを禁じたイランを捨てて、イラクに行ってしまっていた。ミルザは、同じく音楽家の息子アウダ(兄)とバラート(弟)の二人を無理やり連れて、イランからイラクへと旅にでる。
アウダは息子が欲しくて7人も妻を娶っているが、子ども11人は皆、娘。旅先でも、出会う女性にすぐ独身かどうかを尋ねる。そんな中、孤児が集められた難民キャンプで、歌のうまい少年たちに出会い……。旅の途中、バラートはある女性の声に恋をする。彼は声の女性と再びめぐり逢えるだろうか? そして、ミルザはハナレに無事再会できるのだろうか……。
多少のユーモアと控えめなロマンスを含んで、だが、描かれるテーマは、ずっしりと重たい――戦争に苦しめられ、迫害されてきたクルドの人々の暮らし。日本での映画公開にあわせて今年1月末に来日した際に、ゴバディ監督は言った。「世界のマスコミは、イラン、イラクに関わる沢山のニュース、映像を報道してきた。しかし、当地に暮らす人々の本当の姿は映し出されていない。自分たちが描きたい、世界に伝えたいのは、小さな裏通りに懸命に生きている人たち。ブッシュやフセインは単なるエキストラでしかない。」(2004年1月29日記者会見、於:岩波シネサロン)
主人公の3人の父子を演じるのは、本職のクルド音楽のミュージシャン。コミカルな演技と、素晴らしいクルド民族音楽を披露する。
そして、民族音楽とともに、全編にわたって聞こえて止まないのは、戦争の爆撃の音である。印象的なミルザのセリフがある。飛行機の爆音を聞きながら「歌は永遠だ。人々から歌は取り上げられない。この轟音。これも歌だ。イラク軍のね」と言う。爆撃の音はもはや、日常的なものになってしまっているのだ。
「夜は爆撃の音を聞きながら眠りにつき、朝はやはり爆撃の音で目が覚める。私たちの故郷にこの音が存在する限り、自分たちの映画からこの音は消えない」とゴバディ監督。早く監督が幸せな映画を撮れる日がくることを祈りたい。(Saiko/ViVa!コンテンツサポーター)
<物語の背景>
クルド人は、イラン・イラク・シリア・トルコにまたがる山岳地帯に居住する、国家をもたない民族である。イラン・イラク戦争後、イランに協力したクルド人ゲリラ掃討を名目に、イラク政府はクルド人居住区を攻撃し、多数の死者や難民が出ていた(なお、当時、米国はフセイン政権を援助していた)。映画で描かれるのは、そうした時代にイラン・イラク国境に暮らすクルドの人々。それから月日がたち、イラクへの米国の侵攻後、フセイン体制が倒れた今も、クルド人の苦境は続いている。
<2004年1月29日記者会見より>
ゴバディ監督はクルド人初の映画監督(1968年生まれ)。彼の生まれ故郷、イランのバネーでは、彼が映画監督になったことに刺激を受けて15人の新人監督が誕生したという。彼らが映画を撮る際に利用しているのは1台のSONYのビデオカメラ。たった1台のカメラを、大切に貸し借りして撮影しているという。
「日本は世界に誇れる技術や伝統をもっている。日本が自分たちの故郷に入ってくるときには、そうした素晴らしい文化が入ってくることを期待していた。たった1台のビデオカメラでもよかった。しかし、実際に自分たちが目にしたのは、望みもしない、自衛隊の派遣であり、大層がっかりした」とゴバディ監督。
同監督の作品から、私たちはどんなメッセージを受け止めるべきなのか。(Saiko)