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市民活動スクランブル

このコーナーでは、さまざまな分野で活躍するNGO・NPOなどの 市民団体・非営利団体の活動やイベント、最新動向をお伝えするコーナーです。 専門家、ジャーナリスト・ライターによるレポートや、団体・活動家自身による 報告をもとにお届けします(現在データ移行中です。全コンテンツはこちらから)。

2003年04月27日

星野智子さんに聞く 自然体で続ける市民活動・2

星野智子さん様々なボランティア、NPO/NGO活動で活躍する星野智子さん。環境に限らず広範な分野で精力的に活動を続ける星野さんのエネルギーの秘密は、「好きなこと」に「自然体」で取り組むこと。これからこの世界に入る人には、「積極性」と「バランス感覚」が必要と話す。

地元での芸術支援活動と課題

―― 環境、農業とお聞きしてきましたが、他にどんな取り組みをなさっていますか?

どれにしましょう(笑)。そうですね、一番身近な取り組みというと、国際交流でしょうか。現在は直接留学生との交流はないのですが、親が中国からの帰国者支援活動をしているので、間接的には関わっています。あとは、この間数えたら、海外からの留学生が今までトータルで自宅に短長期含めて16人住んだことが判明しました。

―― 音楽活動支援のNPO「セプトニスちば」に参加されていますね。

はい。これは、指揮者の小林研一郎さんのファンクラブ「コバケン友の会」が元です。小林さんの奥様が千葉の方でお知り合いだったこと、母がクラシック好きだったこと、それから、千葉で若手演奏家を育てていこうという方がいらっしゃったことがあって、それなら一人のファンクラブではなく、千葉の音楽・芸術文化を豊かにしていこうということで始まりました。父が理事、母が総務を務めており、自分も事務局を手伝っています。友の会はできてもう3年くらい経っていて、セプトニスちばは昨年NPO法人を取りました。

セプトニスというのは北斗七星のことです。千葉県には北斗七星の伝説があるのですが、千葉で輝く星になりましょうということで名付けられました。活動の基本は若手演奏家の支援で、最終的にはオーケストラが結成できればいいなと思っています。ほんとうは音楽家はいるのですが、東京や欧州に行ってしまって、地元千葉で活動するというチャンスがなかなかないのです。

―― セプトニスの活動はまだ1年経っていませんが、感触は?

セプトニスちばのコンサート
セプトニスちばのコンサート
ぼちぼち軌道に乗っている感じです。大きなコンサートは年に1度で、そのときには小林さんが指揮をされます。今年は4月5日です。あとは3、4人の室内楽などを何度か行っています。公的施設をグランドホールにしているので価格は比較的低く抑えられていますが、ただ、あまりメジャーではない、いわゆる玄人受けするところにどのくらいの方が来てくれるかというと・・。ヨーロッパと違い、育ててやろうという寄付文化が日本にはまだ無くて、払ったんだからそれに見合うものを・・という厳しい目がありますね。甘えていてはいけませんが、そういう意識の変革をしていくような仕組みを何か考えなくてはと思っています。

―― NGOのマネジメントにも取り組んでいるとか。

青年の話に戻りますが、アシードから発生したパワーという団体があります。人材育成や、NGOのマネジメント研修などを行う団体で、そのプログラム開発などに関わっています。一時停止していたのですが、最近復活しました。これからはもうちょっとがんばってやっていこうと思っています。

 それから、去年の10月から日本外国語専門学校の国際ボランティア学科で週2コマの非常勤講師をしています。それが継続になり、今年は地球環境というテーマで全般的に教えることになりました。学者の人が話すというよりは、こういうことがあってNGOにはこんな動きがあって、こういう活動をしています。市民だったら何ができますか?というようなことを教える予定になっています。人様にものを教えるというのは準備だけでも大変で、直前は本当にどたばたですが、とても勉強になります。

積極性とバランス感覚を

―― 今後の活動は?

星野智子さん3月末までは提言フォーラムの事務局で、その後は一応未定です。フルタイムの仕事の話もあったのですが、断りました。講師として週1くらいで教えて、あとはフリーでやってみようかと思っています。ヨハネスを経験して感じたのは、環境・自然が大事と言える人は少数派、やはり途上国では大半が生きることが問題で、南北格差も広がっているということです。何ができるんだろうと考える時間を取りたいと思っています。言わば充電期間ですね。

―― 新しいムーブメントを起こそうとかは考えませんか?

ここ数年の平和問題や紛争問題、環境が悪くなっている根源は戦争だったりしますよね。開発のNGOも非戦を訴えたりして、そのあたりも大事なのだと考えています。自分が率先して何かするまでには至っていませんが、社会の流れではあるなと。自分ができるかなと思っているのは、市民参加や、市民の力で社会を変えられると信じて具現化すること、人がエンパワーされることや、そういう人材を育成することです。あとは、オーフス条約に関するNGOのネットワークも先頃立ち上がりましたが、情報公開、市民参加ができるような後方支援をしていくのも面白いかもしれないと、漠然とですが考えています。

―― これからNGO/NPOやボランティアの世界にチャレンジしようという人や、もっとやりたいのだけれども・・という人にメッセージを。

好きこそものの上手なれではないですが、好きだったら自分で自分の背中を押すようになってほしいと思います。NGO/NPO側が、誘う人、広報へ人員を割ければいいのですが、手一杯でなかなかできていません。こちらも努力はしますが、敷居が高く見えても、それを超えてどんどん入って行ってもらいたいです。何か、例えばチラシなどで興味を持ったらまず行ってみる。知り合いがいなくても、寂しいと思っても、もしかしたら会が楽しくなくても、何かしらの出会いがありますよね。そういう出会いの中で声をかけられることもあるので、まずは人の集まるところにどんどん出ていくことです。インターネットや何かで情報を得るだけでは何も変わらなくて、それを材料にして情報をもらい、活動している人に会いに行くという積極性が重要だと思います。私も最近は、積極的に人と会う時に誰かと一緒に連れて行くなどしていますが、そういう時に連れて行きたいと思わせるような人になってほしいです。

―― まずは、面白そうと思ったら出て行くことが重要だと?

ほんとうにNGO/NPOには多様なというか、面白い人がいっぱいいますよね。普通の社会では付き合えない人がたくさんいるので、積極的に出て行ってほしいと思います。でも、そうはいってもまだまだマイナーな世界なので、そうではないいわゆる一般社会といつも見比べていてほしいです。蛸壺化してマイノリティーに入ってしまって、オタク化してしまうと、そこでは増えてもメジャーな世界で友達が減っていきます・・。自分がやっていることは社会的にどうなんだろうとか、やっていない人にどう思われるのだろう、など常にバランス感覚を失わないでほしいです。NGOだけでやっていると、言葉も変わってきます。NGO内では受け入れられるので、つい知っているつもりで話してしまって、例えば「持続可能な開発をやっているんだ」とNGOを知らない友達に言っても、ぽかーんとしていますからね(笑)。「何言ってるの?」みたいな。だから、広げるためにはいつも普通の人の感覚を忘れないで、常にアンテナを張って持っていないといけないなと思います。

―― 「一度入ってしまうと、ああなっちゃうの?」みたいな?

そうそう!全てを捨ててやらなくてはいけないのかな、とか(笑)。お金も捨てて、家族も捨てて、結婚もせずおしゃれもせずというのは、やっぱり世間では受け入れられにくいので、これからは一般化が必要だと思います。

―― ありがとうございました。

<聞き手:後藤隆(NETS=環境NPOネットワーク)、まとめ:野口朋子(インフォメーション・プランナー)>

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Posted by staff at 14:27

2003年04月22日

星野智子さんに聞く 自然体で続ける市民活動・1

星野智子さんボランティアやNGO/NPO活動への関心が高まり、取り組む人も増えている中、そうした市民活動がまだマイナーだった頃から幅広い活動を続けている市民活動コーディネーターの星野智子さんに、活動を始めたきっかけや継続と広がりの秘訣などを聞いた(2回シリーズ)。

星野智子さんプロフィール
獨協大学外国語学部卒業後、環境団体に就職し、環境情報やイベント企画、国際会議運営などに従事する一方、国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」でイベント会場のごみゼロ活動、エコリーグ(全国青年環境連盟)の立ち上げなどボランティア活動に常に関わる。近年では「ヨハネスブルグ・サミット」におけるNGO活動のサポートや、「持続可能な開発のための教育の10年」推進運動、専門学校講師、地元では農業や食の運動、文化活動に関わる。現在「環境パートナーシップオフィス」でNPO支援事業担当。

生活の中にボランティアやNPO/NGOがあった

集合写真
A SEED JAPANの仲間と一緒に。
―― NPO/NGO、ボランティア活動に関わったきっかけは?

大卒ですぐに仕事として市民団体に入ったのですが、遡れば中・高校生の頃からの家の影響が大きいですね。もともと父母が住民運動、給食運動や、中国からの帰国者の問題などに関わっていて、自宅が事務所のようになっていたのを小さい時から見ていましたから、生活の中にすでにあった、という感じですね。私は特に国際交流に興味を持って、大学時代には近所の千葉大の留学生と、遊びながらサポートをするという感じで関わってきました。

そういう背景を持ちつつ就職活動しようという時にリオサミットがあって、世界は、環境問題は大変なんだと気付かされました。国際的にも貢献できるような仕事ができたらいいなと思っていたところ、機会があって環境関連の職場に入って・・という感じです。自然にこの世界に入ってきたという感じでしたので、何か「がつん」という事件とかがあって、というわけではないのです。

―― 92年のリオサミットの前後で日本の青年環境活動が活発になりましたが、その時期の活動は?

まずアシードジャパンですが、これはリオのサミットに青年の声を入れようということで国際的なキャンペーンができて始まりました。私が関わり始めたのは、サミット終了後、大学が終わって春休みになってからです。サミット後に、海外の青年を日本に招いて話をしてもらうスピーカーズツアーを全国で行ったのですが、その終着点の広島で青年環境開発会議がありました。その後長野で合宿があり、1年をかけてエコリーグを作ろうという話があって、設立メンバーになりました。勢いに飲まれて、じゃあやりますということで手を上げてしまった感じです(笑)。

―― その頃は仕事をしながら活動していたんですか?

最初の勤務先のらでぃっしゅぼーやで仕事をしながらやっていました。本当に自分でもよくやったなと思います。稲毛の自宅から勤務先の埼玉へ、終わると渋谷のアシードの事務所へ行って、終電ぎりぎりで稲毛に帰るという生活をしていました。その頃の仕事は会員ケアなどで大変だったのですが、同時並行でなんとかこなしていました。

それができたのは、想いを一緒にしている仲間がいたことが大きいでしょうね。みんな勉強やバイトをしながらやっていたし、遠くから会議のために来たりもしていましたし、自分だけが大変だとは思いませんでした。

―― 一人で想って活動するのではなくて、仲間が大事なのですね。

そうですね。楽しい時間を一緒に過ごすというところがあって、言い過ぎかもしれませんが、思いを共にする友達がいなかったらやっていなかったかもしれません。

ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム事務局を務めて

会場内の写真
ヨハネスブルグ・サミット現地会場の写真。
―― 昨年はヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム(以下、提言フォーラム)の事務局を務められました。いかがでしたか?

エコリーグでのネットワークをつくるという経験を生かすことができると思っていたのですが、実際には難しかったです。リオの時は漠然と「環境」で集まったところもあったと思うのですが、リオから10年経って専門化してきており、自分の所はそれをやっていればいいよという感じになっているところもあります。

そうでなくてもNGOは小さいので、みんなで一緒にやっていこうということだったのですが、実際は、私の団体は忙しいからとか、あの団体(人)がいるならちょっと、ということもありました。

この仕事をやってよかったと思うのは、NGO/NPOという言葉に社会的認知度が出てきて、NGO活動をすることが前ほど変人扱いされなくなってきたと感じることができたことです。

ヨハネスブルグに行く、と言ったときに、NGO/NPOに関係ない、いわゆる普通の友達からも暖かい励ましをもらったり、偉いことやってるねと言われたりして、先輩達の積み上げが社会的に評価されるようになったのかなと思っています。そこに関われたというのはうれしいですね。

会場内の写真
提言フォーラムのサミット報告会の様子。
―― 政府の提案にも取り入れられた「持続可能な開発のための教育の10年」についてどう思いますか?

これは、難しいですね。教育という軸はあっても、開発問題、ジェンダー問題、人権問題、平和問題など多様な分野があるので、教育というキーワードだけでどうつながっていけるかなと。持続可能な社会というのを皆さん一緒に考えていきましょうというのは、壮大なテーマだと思います。

私のこの動きへの関わりですが、事務局は教育専門家がいいと考えているので、私の出る幕ではないと思っています。ただ、教育問題は非常に大事だと思うので、要所要所で関わることができれば、例えば環境教育などの部分で可能であれば関わっていきたいと思っています。

農との関わり・・土の学校

―― 「土の学校」を主宰されているそうですが、どういう活動ですか。

もともとは、勤務先だったジャパンエコロジーセンターの企画の一つで、環境教育をテーマに始まったものです。他にも、例えばマングローブを植えに行こうという企画をした森の学校、水の学校といって川をテーマにしたものがありました。興味もあったし、自分も担当になったので、最初の1、2年は仕事として関わっていました。その後センターはなくなったのですが、また行きたいという参加者の方からの声があって続けて、もう8年目くらいになります。適正人数は50人程度なのですが、幸か不幸か人気が出て、去年は70名になりました。フィールドは千葉県の山武郡で、地元の有機部会の人にお世話になっています。成田闘争でそのまま残った人などもいて、こだわりの農業をやっている方が多い地域です。

日本の農業、第一次産業をどう考えるか、それがほんとうに人口問題や食糧問題につながると思います。生産者と消費者がつながって、都会にいる人が生産者に出会える場は大切だと思っています。また、私にとっては究極的には癒しの場にもなっています。

集合写真
土の学校で参加者と。
―― 参加者の反応は?

参加者には大きく3パターンあると感じています。子供に自然について教えたいという環境教育の視点を持った人、安全な食べ物を食べたいという食への関心を持っている人、それから、自然体験をしたい、いい環境に触れたいという自然好きの人です。土の学校には、どんなニーズも満たせるという懐の深さがあると思っています。

ただ、もう人数的には一杯という感じで、むしろ、他の地域で同様の取り組みを行ってくれる担い手が育ってくれればと願っています。

実はそういう事例も出てきていて、例えば、女性で埼玉の方の農業学校か何かに行った方が、今度はそちらへ来ませんかというお誘いをくれたり、渋谷に住んでいた方が千葉の田舎に移って農家さんと直接やり取りしたりというような広がりもあります。

―― そういった取り組みを、例えば農業基本法などに入れていくというのは難しいのでしょうか?

新法では「農村」という言葉を大事にしていたと思いますが、それを奨励するように総合学習や地域振興案として取り入れてもらうことと、ただ、こういうものは国が法律に決めたからといっても動かないので、やはり中間組織、NPOが動く必要があると思っています。

それから農家さんとの連携も必要なのですが、ただ、農家さんって難しいんですよ(笑)。自然を対象に、自然と付き合っているので、人づきあいというか、コミュニケーションがちょっと苦手なところがあるようです。素晴らしい知識や技術は持っているのですが、それを引き出して使えるというところまでではないのかなと。改良普及員の方は別ですが、この方は消費者向けではないので、消費者に伝える、農業インタープリター(翻訳者)が必要だなと思っています。私もそうなりたいし、土の学校もそういう人を育てる場になれたらと思っています。(つづく

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Posted by staff at 00:00

2003年04月12日

パゴダの国の国際協力――AMDAミャンマーの保健医療援助・2 

小林哲也さんに聞く パゴダの国の国際協力
――AMDAミャンマーの保健医療援助・2 

<2000年9月~2002年12月までミャンマーに滞在>

設置したソーラーパネル
設置したソーラーパネル
 国際協力NGOのAMDA(特定非営利活動法人アムダ、本部=岡山県)ミャンマー駐在代表として、2000年9月~2002年12月まで同国に赴任していた小林哲也さんによるミャンマーの医療・保健衛生報告の第2回は、環境NGOでの活動が思わぬ実を結んだプロジェクトや、国際援助が抱える課題などについての話を聞く。

■太陽光エネルギーで医療機器を運転!

 滞在中に始めたプロジェクトに、パコック総合病院の小児病棟支援があります。同市はメッティーラと同じく中部乾燥地帯に位置する人口30万弱の町で、やはり社会インフラの整備が不十分です。県の総合病院には小児病棟もありましたが、ベッドが並んでいるだけで治療用の医療機器はほとんどなく、病気の子ども達に十分な医療サービスを提供できていませんでした。そこでAMDAの支援で医療機器を設置することになったのですが、パコック市は電力事情が悪いため、機器だけを置いてもそのままでは使えません。発電機を導入する方法もありますが、燃料代が高いので、持続的に動かせる保証がないのです。

 さてどうしようかという時、環境NGOで活動していた頃目にした太陽光発電のことを思い出しました。医療機器とともにソーラーパネルを設置して、電源を自前で確保するのです。乾燥地帯で降水量の少ないパコック市は、逆に言えば太陽の光が常に降り注いでいます。実際、過去の気象データを調べたところ、パコック市の晴天率は全国でもトップクラスでした。これは太陽光発電には絶好の条件であり、使わない手はありません。早速「自然エネルギー&母子保健」プロジェクトとして形にしたところ、日本大使館を通じて外務省草の根無償資金を頂けることになり、2002年8月に稼動開始。順調に電力が供給されています。

 ミャンマーでは現在電力が大幅に不足していますが、自然破壊や環境汚染の問題から、先進国が途上国における大規模ダムや火力発電プラントの建設を支援する事は年々、難しくなっています。そうした中、持続可能なエネルギーを地域レベルで供給できる自然エネルギーは、コミュニティの自立支援の観点からも有効です。今回、自分の過去の経験を活かして自然エネルギーと保健医療の分野を組み合わせたプロジェクトを実施できたことはとても嬉しかったですね。


■政府や企業の対応に課題も

 一方で、乾燥しているミャンマーは火事が多く、いったん燃え出すと一つの村が全焼してしまうことも珍しくありません。しかし消防車もほとんどないため、機能していなかった村の消防団員達に対して防災訓練を行い、また村に消火ポンプやホースなどを設置して危機管理体制を高めるプロジェクトも行いました。こうした活動は、いざ火事にならないと効果を示しにくいため、プロジェクトの実効性を証明する点で不安でした。しかし1年後に抜き打ちで村を訪問してテストしたところ、ものの2分できちんと消火活動を出来るようになっていて、訓練の成果がすぐ分かりました。夜の見まわりも徹底していたし、AMDAが青年団に防災指導をすると、その人たちが他の人にノウハウを指導をするなどの広がりもあって大変感心しました。

 こうしたプロジェクトを行うための資金は、日本大使館(外務省)やJICAなどからの援助の他、民間の財団やAMDA会員の方々からの寄付によって賄われています。ミャンマー政府からの出資金はありません。政府、民間を問わず一般的に日本の場合、ソーラーパネルや病院、井戸など、目に見えるものは評価されやすいのですが、マイクロ・クレジットや防災訓練など、すぐに成果が出ない長期的な活動はなかなか評価されにいため、資金を調達しにくいという課題を抱えています。ただ日本政府は近年、ハード面に偏りがちな援助資金をソフト面に徐々にシフトしつつあり、この点は評価出来ると思います。またAMDA自身も、寄付などの自己資金を増やす努力が必要でしょう。

 日本政府との間での情報の共有不足も課題だと思います。JICAとNGOの共同事業のスキームなどについてはそうでもないのですが、全体的に見て日本政府による支援活動の情報がなかなか入ってこないため、「事前に連絡をしてくれれば多少なりとも連携、協力できたのに・・・」といった場面が何回かありました。予算的にも能力的にも、NGOにできることは限られているので、リソースを少しでも有効に使うために、政府とNGOが可能な限り協働出来るシステム作りを目指すべきではないでしょうか。これは商社など企業も同様で、NGOやその活動についてほとんど知らない人がまだまだ少なくありません。それでも日本人会の協力を得て活動の報告会などを続けてきたことで、ずいぶん理解が進んできました。


■機会を提供する活動が大切

「地球が舞台」表紙 駐在を通して実感したのは、国際協力の現場では専門的な知識やスキルももちろん大切ですが、一つ一つの活動のコーディネートが非常に重要だということです。現場では個々の問題がからみ合い、資金や人材にも限りがあるため、そこにあるもので一つ一つの問題を何とか解決していかなければなりません。そういう意味では企業経験はもちろん、環境NGOや議員の政策秘書の仕事を通して得た、「何か問題が起こっても、どうにかして何とか解決する」という数々の経験はとても役立ちました。

 また、NGOの数がもともと少ないミャンマーでは、村人たちはいわゆる「援助慣れ」しておらず、AMDAが行うプロジェクトに対し、村人たちが自ら積極的に関わってくれる姿勢があります。マイクロ・クレジットや防災訓練のような、自立のために機会を提供する活動の大切さを痛感しました。
 これから援助の場で働く人へのアドバイスを付け加えれば、私の仕事はプロジェクト運営のマネジメントが中心でした。こうしたコーディネート・ロジスティシャンに特化した仕事の場合、今後はますます高い専門性が要求されるようになると思います。それ以外のケースでは、コーディネーターはもっと現場に入って実際の活動に携わるようになると思います。その場合は公衆衛生学、参加型開発、女性学などなど、何らかの専門分野を持っていると、現場での仕事に大いに役立つと思います。

 (このお話は、「NETS=環境NPOネットワーク」 2003年2月22日勉強会「ミャンマーでの2年を振り返る」から、本人の了解を得て書き起こしたものです。また、小林さんのミャンマーでの活動の様子は、「地球が舞台-国際NGO最前線からの活動報告-」(津守滋編著、勁草書房刊)の「ミャンマー保健医療支援活動:子どもたちに笑顔と健康を」に掲載されています。

小林哲也さんのプロフィール
小林哲也さん
小林哲也さん
 大学卒業後、民間企業を経て、環境NGOの気候フォーラム(現気候ネットワーク)の事務局スタッフに。COP3終了後、環境政策立案や立法活動に実際に携わるポジションで仕事がしたいと考え、参議院議員福山哲郎氏(民主党)の政策秘書に。温暖化防止や野生生物保護、ダイオキシン対策、PRTR、フロン、使用済核燃料、景観保全、ODAと環境、自然エネルギー、廃棄物・循環型社会形成など多分野に携わる。その後、より広い視点で世界を見たいとの思いからAMDA(特定非営利活動法人)に参加。2000年9月からミャンマー駐在代表として赴任し、保健医療、保健衛生支援のコーディネート・、マネジメントに従事。2002年12月に帰国し、福山事務所政策秘書に復帰。現在に至る。

関連サイト
特定非営利活動法人アムダ(AMDA)

「地球が舞台」(勁草書房ホームページ)

JICA(国際協力事業団)

参議院議員 福山哲郎


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Posted by staff at 16:46