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ボランティアやNGO/NPO活動への関心が高まり、取り組む人も増えている中、そうした市民活動がまだマイナーだった頃から幅広い活動を続けている市民活動コーディネーターの星野智子さんに、活動を始めたきっかけや継続と広がりの秘訣などを聞いた(2回シリーズ)。
| 獨協大学外国語学部卒業後、環境団体に就職し、環境情報やイベント企画、国際会議運営などに従事する一方、国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」でイベント会場のごみゼロ活動、エコリーグ(全国青年環境連盟)の立ち上げなどボランティア活動に常に関わる。近年では「ヨハネスブルグ・サミット」におけるNGO活動のサポートや、「持続可能な開発のための教育の10年」推進運動、専門学校講師、地元では農業や食の運動、文化活動に関わる。現在「環境パートナーシップオフィス」でNPO支援事業担当。 |

大卒ですぐに仕事として市民団体に入ったのですが、遡れば中・高校生の頃からの家の影響が大きいですね。もともと父母が住民運動、給食運動や、中国からの帰国者の問題などに関わっていて、自宅が事務所のようになっていたのを小さい時から見ていましたから、生活の中にすでにあった、という感じですね。私は特に国際交流に興味を持って、大学時代には近所の千葉大の留学生と、遊びながらサポートをするという感じで関わってきました。
そういう背景を持ちつつ就職活動しようという時にリオサミットがあって、世界は、環境問題は大変なんだと気付かされました。国際的にも貢献できるような仕事ができたらいいなと思っていたところ、機会があって環境関連の職場に入って・・という感じです。自然にこの世界に入ってきたという感じでしたので、何か「がつん」という事件とかがあって、というわけではないのです。
―― 92年のリオサミットの前後で日本の青年環境活動が活発になりましたが、その時期の活動は?
まずアシードジャパンですが、これはリオのサミットに青年の声を入れようということで国際的なキャンペーンができて始まりました。私が関わり始めたのは、サミット終了後、大学が終わって春休みになってからです。サミット後に、海外の青年を日本に招いて話をしてもらうスピーカーズツアーを全国で行ったのですが、その終着点の広島で青年環境開発会議がありました。その後長野で合宿があり、1年をかけてエコリーグを作ろうという話があって、設立メンバーになりました。勢いに飲まれて、じゃあやりますということで手を上げてしまった感じです(笑)。
―― その頃は仕事をしながら活動していたんですか?
最初の勤務先のらでぃっしゅぼーやで仕事をしながらやっていました。本当に自分でもよくやったなと思います。稲毛の自宅から勤務先の埼玉へ、終わると渋谷のアシードの事務所へ行って、終電ぎりぎりで稲毛に帰るという生活をしていました。その頃の仕事は会員ケアなどで大変だったのですが、同時並行でなんとかこなしていました。
それができたのは、想いを一緒にしている仲間がいたことが大きいでしょうね。みんな勉強やバイトをしながらやっていたし、遠くから会議のために来たりもしていましたし、自分だけが大変だとは思いませんでした。
―― 一人で想って活動するのではなくて、仲間が大事なのですね。
そうですね。楽しい時間を一緒に過ごすというところがあって、言い過ぎかもしれませんが、思いを共にする友達がいなかったらやっていなかったかもしれません。

ヨハネスブルグ・サミット現地会場の写真。 ―― 昨年はヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム(以下、提言フォーラム)の事務局を務められました。いかがでしたか?
エコリーグでのネットワークをつくるという経験を生かすことができると思っていたのですが、実際には難しかったです。リオの時は漠然と「環境」で集まったところもあったと思うのですが、リオから10年経って専門化してきており、自分の所はそれをやっていればいいよという感じになっているところもあります。
そうでなくてもNGOは小さいので、みんなで一緒にやっていこうということだったのですが、実際は、私の団体は忙しいからとか、あの団体(人)がいるならちょっと、ということもありました。
この仕事をやってよかったと思うのは、NGO/NPOという言葉に社会的認知度が出てきて、NGO活動をすることが前ほど変人扱いされなくなってきたと感じることができたことです。
ヨハネスブルグに行く、と言ったときに、NGO/NPOに関係ない、いわゆる普通の友達からも暖かい励ましをもらったり、偉いことやってるねと言われたりして、先輩達の積み上げが社会的に評価されるようになったのかなと思っています。そこに関われたというのはうれしいですね。

提言フォーラムのサミット報告会の様子。 ―― 政府の提案にも取り入れられた「持続可能な開発のための教育の10年」についてどう思いますか?
これは、難しいですね。教育という軸はあっても、開発問題、ジェンダー問題、人権問題、平和問題など多様な分野があるので、教育というキーワードだけでどうつながっていけるかなと。持続可能な社会というのを皆さん一緒に考えていきましょうというのは、壮大なテーマだと思います。
私のこの動きへの関わりですが、事務局は教育専門家がいいと考えているので、私の出る幕ではないと思っています。ただ、教育問題は非常に大事だと思うので、要所要所で関わることができれば、例えば環境教育などの部分で可能であれば関わっていきたいと思っています。
―― 「土の学校」を主宰されているそうですが、どういう活動ですか。
もともとは、勤務先だったジャパンエコロジーセンターの企画の一つで、環境教育をテーマに始まったものです。他にも、例えばマングローブを植えに行こうという企画をした森の学校、水の学校といって川をテーマにしたものがありました。興味もあったし、自分も担当になったので、最初の1、2年は仕事として関わっていました。その後センターはなくなったのですが、また行きたいという参加者の方からの声があって続けて、もう8年目くらいになります。適正人数は50人程度なのですが、幸か不幸か人気が出て、去年は70名になりました。フィールドは千葉県の山武郡で、地元の有機部会の人にお世話になっています。成田闘争でそのまま残った人などもいて、こだわりの農業をやっている方が多い地域です。
日本の農業、第一次産業をどう考えるか、それがほんとうに人口問題や食糧問題につながると思います。生産者と消費者がつながって、都会にいる人が生産者に出会える場は大切だと思っています。また、私にとっては究極的には癒しの場にもなっています。

土の学校で参加者と。―― 参加者の反応は?
参加者には大きく3パターンあると感じています。子供に自然について教えたいという環境教育の視点を持った人、安全な食べ物を食べたいという食への関心を持っている人、それから、自然体験をしたい、いい環境に触れたいという自然好きの人です。土の学校には、どんなニーズも満たせるという懐の深さがあると思っています。
ただ、もう人数的には一杯という感じで、むしろ、他の地域で同様の取り組みを行ってくれる担い手が育ってくれればと願っています。
実はそういう事例も出てきていて、例えば、女性で埼玉の方の農業学校か何かに行った方が、今度はそちらへ来ませんかというお誘いをくれたり、渋谷に住んでいた方が千葉の田舎に移って農家さんと直接やり取りしたりというような広がりもあります。
―― そういった取り組みを、例えば農業基本法などに入れていくというのは難しいのでしょうか?
新法では「農村」という言葉を大事にしていたと思いますが、それを奨励するように総合学習や地域振興案として取り入れてもらうことと、ただ、こういうものは国が法律に決めたからといっても動かないので、やはり中間組織、NPOが動く必要があると思っています。
それから農家さんとの連携も必要なのですが、ただ、農家さんって難しいんですよ(笑)。自然を対象に、自然と付き合っているので、人づきあいというか、コミュニケーションがちょっと苦手なところがあるようです。素晴らしい知識や技術は持っているのですが、それを引き出して使えるというところまでではないのかなと。改良普及員の方は別ですが、この方は消費者向けではないので、消費者に伝える、農業インタープリター(翻訳者)が必要だなと思っています。私もそうなりたいし、土の学校もそういう人を育てる場になれたらと思っています。(つづく)