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市民活動スクランブル

このコーナーでは、さまざまな分野で活躍するNGO・NPOなどの 市民団体・非営利団体の活動やイベント、最新動向をお伝えするコーナーです。 専門家、ジャーナリスト・ライターによるレポートや、団体・活動家自身による 報告をもとにお届けします(現在データ移行中です。全コンテンツはこちらから)。

2005年10月17日

「東京夢舞いマラソン」/市民によるインターネット生中継!

<2005年10月10日、OurPlanet-TV(東京・文京区他で)>

スタート地点で世界には様々な問題があるのに、視聴率重視の既存のテレビ局では、世界や地域で起きている現実を十分に伝えているとはいえない・・。マスメディアが見落としがちな事柄にも光をあて、インターネット配信している独立系映像メディアのOurPlanet-TVでは、10月10日に行われた「東京夢舞いマラソン」で、市民主体のマラソン中継(インターネットによるライブ配信)を行った。このインターネット中継に、実際にボランティアとして参加した。

 
 
 
 
■東京夢舞いマラソン・・都内42.195kmを走る市民ランナー達

東京夢舞いマラソンのコース「世界の先進国主要都市には例外なく万人単位のランナーが参加できるマラソン大会がある。トップランナーもファンラン・ランナーも、障害の有無を問わずに誰もが走れるマラソン大会を都心に創設したい。」という想いから始まった「東京夢舞いマラソン」。

2001年に77人のランナーが走った初回から大会は規模を大きくし続け、6回目となる今年は2500名の参加者を募集するまでになった。現在はまだ実現には至っていないが、車道を走る本格的な国際市民マラソンの開催という夢に向けて活動している。今回のコースは、日比谷公園をスタートし、ほぼ都営大江戸線に沿って歩道を走る42.195km。レースではなく、制限時間もないため、観光名所を走りながら見物できる。

■インターネット中継前日

今回のこの中継、実は東京夢舞いマラソン開催の2週間ほど前に急遽実現が決まった企画だという。マラソンコースのスタート・ゴールである日比谷公園と、コース途中の4ヶ所に中継ステーションを設置、ボランティアがカメラとPCをインターネットにつなぎ、ライブ放送を実現する計画が立てられた。

マラソン大会前日の10月9日、OurPlanet-TV事務所において、ボランティア説明会が開催され、約30人ほどが集まった。当日の役割分担が配布されて確認すると、私は浅草中継ポイントのカメラ担当。ほとんど操作したこともないのに、大丈夫なのだろうかという不安がよぎるが、他のボランティアも初めての役割が割り振られているケースばかりなので、妙な安心感も覚えた。続いて、役割ごとに当日の中継の流れ、中継地点毎のポイントなどについて説明があり、随時質問を交えて確認が行われた。

説明の後は、実際に各中継ポイントに出向き、下見と配信確認を行う。浅草チームは、映像編集の仕事をしているという女性がディレクター、リポーターにはインターネットでイベントのことを知って応募したという女子大生、エンコーダーにはOurPlanet-TVでインターン中の男性、そしてカメラマンの私の4人。

皆で手分けして機材を持って移動する。現地に到着後、PCを設定し、持参したケーブル(100m)でインターネットにアクセスできるように作業。その後、カメラをつなぎ、ケーブルを伸ばして、カメラ位置などを決める作業に入る。当初はケーブル100mの長さを生かし、カメラが動く撮影が想定されていたのだが、実際には、ケーブルをさばきつつ動くのはかなり大変であることが判明。歩道上での撮影なので、道にケーブルを這わせると歩行者・ランナーが引っかかる危険性が大きいのだ。

その反面、浅草らしさを出すのに雷門を入れたい、とか、給水所のボランティアの様子も撮りたい・・ということもあって、なかなかポイント設定が難しい。しかし、しばらくの試行錯誤の後、カメラ位置も含めて中継の大雑把な流れも決まり、一安心。

あとは配信確認のテストを待つばかりになったのだが、何か機器トラブルがあったとの連絡に一同不安になったものの、待つことしばらく、ようやくテスト開始可能の連絡が入ってホッとする。カメラを回して周りで見守っていると、PC画面にカメラの映像が映った!しかも、かなりクリアな映像だ。カメラ付属マイクしかないので危惧していた音声も、きちんと伝わってきているし、技術の進歩はすごい!と関心。ただ、カメラとインターネット配信には約20秒のタイムラグがあるので、それが少し不思議な感じがした。その後、テストOKの連絡があり、大会前日の準備は終了となった。

■雨にも負けず・・走る気満々のランナー達

雨にも負けず翌朝、窓を開けると外は雨。しかもかなり降っている。どうなるのだろう・・と不安になる中、日比谷公園に向かった。地下鉄の日比谷駅の改札を出ると、あちこちに夢舞マラソンのゼッケン、Tシャツをつけた参加者が見受けられる。カッパを着たり、ビニールを上から被ったり、レインコートを着たりと皆さんの雨対策は万全で、そこに走る意気込みが感じられ、本当に走るのが好きなのだという印象を受けた。

マラソンのスタートは9時。スターターは、オリンピック金メダリストの荻原健司さん。そして、ついにスタート!その頃には雨は少し小降りになっていた。信号のある歩道を走る42.195kmの始まりだ。今回はランナーの他に、走路・給水所スタッフ、本部スタッフで400名を超えるボランティアも活躍している。

■浅草中継ポイントにて

さて、9時にスタートしたランナー達だが、信号のある歩道を走るため、30km地点手前の浅草中継ポイントに到達するのは11時過ぎと予想される。浅草中継ポイントでは電源等をお借りしているお店「まるごと北海道」の開店時間に合わせて集合、カメラのセットアップ、ネットの接続確認を行った。少し離れたところにある給水ポイントでは、ボランティアの方々がテントを設営し、準備に余念が無い。

撮影ポイントを変更雨は小降りにはなったものの降り続いており、カメラ、PCへの影響が心配される。そのため、昨日打合せた撮影ポイントを変更、お店の軒先にPCを設置できるようにセッティングすることに。雷門とランナーを捉えられるように三脚を設置して、カメラを回し始める。

インターネット中継のメイン画面の映像はメイン会場で操作するのだが、地図中の各中継ポイントをクリックするとサブ画面でその地点のカメラ映像が流れる仕組みになっているので、サブ画面がつながった時点で中継は実質開始となる。最初にメイン画面に流れた中継は、青山のキラー通りから。ランナーが次々に走り抜けていく様子が送られてきた。

浅草の前の中継地点は隅田川なので、そちらの映像を確認しつつ準備を進め、ランナーを待つ。隅田川の中継では、夢舞マラソンのテーマ曲を歌う「ひなたぼっこ」のライブの準備の模様なども見えて面白い。そうこうするうちに、とうとう最初のランナー集団が浅草に到着!カメラでランナー達を捕らえ、リポーターがゼッケン番号を読み上げて声援を送る。

それからは、(たぶん信号の関係で)ある程度の間隔を置いてランナー集団が通り過ぎるたびに、ゼッケン番号を読み上げて声援を送り続けることとなった。それにしても、30kmを走ってきたというのにランナーの方々には疲れも見えない。信号待ちをしていらっしゃる所で感想を聞くと、一様に「楽しい!」という返答。本当に楽しんで走っていらっしゃる様子が印象に残った。

■ハプニング発生

さて、浅草にメイン画面の中継が回ってくる13時が近づいてきた。メイン会場とディレクターが携帯で連絡を取り、インターネットでメイン会場をチェックしつつ、タイミングを待つ。そして、「Go!」。リポーターがカメラの横で話し始める。浅草給水ポイントのボランティアで、日本に住む外国人のグループ「南蛮連合」メンバーのカレンさんのインタビューが終了。

撮影ポイントでランナーを待つ続いて、お世話になっているお店「まるごと北海道」の店員さんのインタビューに移ろうとしたときに、ハプニングは起こった。カメラを移動する際、焦って引っ張り過ぎたため、カメラとPCをつなぐケーブルが外れてしまったのだ。慌てて復旧作業をするが、メイン画面の中継は日比谷会場に戻される。せっかく上手く行っていたのに・・。しかし、起こってしまったことは仕方が無い。再度インターネットに接続、気を取り直して浅草を走り抜けるランナーの姿を送り続ける。

タイミングを見て、再度メイン画面の中継で「まるごと北海道」インタビューを送ることになったのだが、その頃にはランナーがゴールし始めており、中継はどうしてもそちらに集中し、なかなかタイミングが無い。しばらくして日比谷から指示があり、インターネット中継最後に中継が回ってくる旨が伝えられた。

だんだんと走り抜けるランナーの数は少なくなってきて、とうとう最後を守って走るしんがり隊の皆さんが到着。そして、インタビューを受けるようにとの指示を受けたのですが・・と伝えてきた。これは浅草チームには初耳だったために少々戸惑ったが、ディレクターがメイン会場と連絡を取り、段取りを確認。無事に「まるごと北海道」としんがり隊のインタビューを中継し、終了!となった。

■ボランティアの手によるインターネット中継

この中継が可能となったのには、配信にかかわった約50名のボランティアスタッフの力が大きい。また、ケーブルの制作費やパソコンのレンタルなどで経費が20万円ほどかかったが、ストリーミングのホスティング会社「デジタルスタジオ」が無償でサーバーを提供してくれたほか、インターネット中継ポイントの確保には個人宅やお店が協力してくれるなど、さまざまな人や会社の協力を得た。

さらに、詳細は省くが、携帯電話FOMAを使用したネット中継も試みられ、予想を超えた成果を出したという。そして、マラソン中継最中には、設置されたインターネット掲示板への書き込みも行われ、同時性・双方向性を確認できるイベントになった。また、当日の中継内容は編集し、ホームページで見られるようにする予定とのこと。2週間という短い準備期間にも関わらず、これだけの物事をコーディネートして無事に中継を行ったということに、改めて驚きを感じる。

一流選手から障害者まで誰もが都心を走れる国際市民マラソンを目指す夢舞いマラソンを、市民のメディアをめざすOurPlanet-TVが中継した今回のイベント。今後、こういった市民の活動を市民が伝えていく試みがますます進んでいくことが期待される(野口朋子/インフォメーション・プランナー、ViVa!コンテンツサポーター)。

<関連HP>
OurPlanet-TV
東京夢舞いマラソン
デジタルスタジオ 

投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年10月17日 23時10分

2005年07月16日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その9

どうして道路をつくるのか~海外の研究者からも注目

都市計画系研究者たちからも要望書提出

下北沢の風景7月16日にシンポ「シモキタらしさの発見~歩くことが楽しい街」が北沢タウンホールで。ハーバード大学で地域に即した都市再生を研究しているピーター・ロウ教授が来日。下北沢を視察して「どうして、ここに道路を造るのか?」と首をかしげました。一方、東京大学都市工学の西村幸夫教授、大方潤一郎教授をはじめ現代の都市計画を担っている研究者たち20名が、世田谷区長と世田谷区都市計画審議会委員あてに地区計画と補助54号線の問題について見直す要望書を提出。


 

 
■シンポ「シモキタらしさの発見~歩くことが楽しい街」7月16日に開催

道路予定地に立つ、ピーター・ロウさんと小林さん、石川さん
道路予定地に立つ、ピーター・ロウさんと小林さん、石川さん
7月10日、ハーバード大学のピーター・ロウ教授が下北沢を訪れました。「下北沢フォーラム」代表の小林正美明治大学教授がハーバード大学客員教授として共に、これまでも赤坂、京島、六本木、日本橋でのスタディを重ねてきています。今回は、慶応大学の石川幹子教授、小林博人助教授らと共に新たなプロジェクトとして事例研究に取り上げることになったもの。

初めて下北沢を訪れたロウ先生は、まずは、北沢タウンホールの打ち合わせ会場から街を眺めます。道路予定地が記された地図に、「なぜ、どうして?」「どんな補助金があって?」と質問を連打。いやはや、説明のしにくい「連続立体交差事業」・・・英語で説明しようとすると、この計画のおかしさがいやまして明らかになるようです。「税金の無駄遣いなんじゃないの?」というご意見。同感です。

蓑原さんの基調講演タイトルは「街の原型~ユートピア的下北沢」
蓑原さんの基調講演タイトルは
「街の原型~ユートピア的下北沢」
街に出たロウ教授は、路地の写真を撮り続けます。路地とコミュニティをテーマに本も書かれており、「町」「丁」の区割りにも大きな関心があるとのこと。地域の自然地形や歴史にも着目をして、その地域らしい都市再生をしようという基本姿勢です。だからこそ、「シモキタらしさ」から再考を始めることが大事だと、7月16日に北沢タウンホールで行われるシンポジウム「シモキタらしさの発見~歩くことが楽しい街」(pdfファイル)に賛同してくださります。

9月には、小林教授、石川教授がハーバード大生の指導にボストンに向かい、10月には、ハーバード大生が来日。交互に授業をしながら、下北沢についても地元の人たちと連携して政策提言案まで作っていきたいとのことです。

■学者や都市計画プランナーらが要望書提出

一方、7月4日には、都市計画プランナーの蓑原敬さんを代表に「下北沢駅周辺地区 地区計画素案の取り扱いに付いての要望書」が、世田谷区長と世田谷区の都市計画審議会委員あてに提出されました。東京大学都市工学の西村幸夫教授、大方潤一郎教授をはじめ、法政大学の陣内秀信教授早稲田大学の佐藤滋教授ら現在の都市計画を担う立場にある研究者が20名も連名していることには極めて大きな意義があるでしょう。

道路計画は、楽しい界隈のこの近く
道路計画は、楽しい界隈のこの近く
 
 
「下北沢」という賑わいがあり多くの人が好んでいる街を壊してまで道路を造るということを改めて考えたときに、「街づくり」や「道路」行政への本質的な問題がこめられているからこその要望書だと思えます。代表を引き受け「街は要る」(学芸出版)などの著書がある蓑原敬さんも、「全国で、商店街が崩壊し、街が壊されていく現場をいくつも見てきた。今こそ、下北沢をきっかけに、真剣にこれまでのやり方を見なおすべき」と、語ります。要望書には、下記のことが明確に書かれました。全文はこちら(pdfファイル)。 

「下北沢地区には、長い時間をかけて築いてきたアイデンティテーとブランド、ユニークな文化性があります。それらを支える都市の構造は、現代都市計画上高く評価されるべきものだと考えられます。しかしながら、この点については十分な考慮が欠落し、計画に反映されておりません。」として、

(1)素案が意図する「下北沢地区の魅力である、歩いて生活できる中層建物主体の活気ある街並みづくり」が、地区計画素案には正確に反映されていません。高さに関する緩和条項を持ち、土地の集約による高層建物群が建つことを意図しているように見えます。
(2)地区計画に盛り込まれた道路からの壁面後退は、確実に現在の下北沢の街並みが持つ「下北沢らしさ」を破壊させ、消失させることが予想されます。不必要な壁面後退は、下北沢の優れた空間スケールを破壊するだけです。壁面後退の根拠に防災性の向上が挙げられていますが、それによらない防災性の向上についての検討が比較考量されていません。
(3)この地区計画の基礎にある幅26mの補助54号線道路および車を主役とする駅前広場の実現は、せっかく築き上げてきた下北沢の景観・スケールを壊すものです。地区計画素案の前提条件についても再考が望まれます。

ともかく60年も前に国(戦災復興院)が計画した(都市計画法の変更で東京都に権限が委譲され、地方分権になって今は世田谷区が事業主体)都市計画道路が、今も造られていないとしたら、当時と街の状況も道路需要も変わってしまったのは当然です。2年前に東京都は全般的な計画の見直しをしたとしていますが、とりやめになった都市計画道路は4つにすぎませんでした。

東京都のパンフレットには、都市計画道路整備方針の理念を具体化するための『4つの基本目標』を掲げています。
1)活力~都市再生と国際競争力の向上 2)安全~安全で安心できるまちの実現。 3)環境~快適な環境の創出 4)暮らし~生活の質の向上 

下北沢に補助54号線道路を造るということは、この4つの目的にかなっているのでしょうか。「東京」という都市がどのような街になっていくのか、価値観転換の時期を迎えています。ある意味では、これまで研究者の方たちはどうしていたのだろうかと不思議でさえあるのですが、東京大学の大方教授は、「60年も前の道路計画は、見直さないといけない」と強調。この問題が下北沢に限ったことではないことを指摘されています。シモキタをきっかけに、今こそ研究者の皆さんが発言していくべき時期にきたということなのではないでしょうか。

■駅前広場はロータリーでなくてもいい

また区のプランでは、駅前広場がタクシーやバスが乗り入れる、いわゆる「交通ロータリー」になっています。そのことについて、世田谷区の説明は、「一般的な様式に則っただけ」というもの。ところが、その様式のひとつ小浪式」を建設省勤務時にご自身がつくった東京女学館大学教授で、先の研究者の要望書に連名された小浪博英さんは、「地方分権の時代になり、国で決めた基準に則る必要はない。地域の実情に合わせてシモキタらしい、人々が安心・安全に暮らせる街づくりができればいいと思う」と、いいます。国交省の担当者も、「駅前広場の補助金採択に、広さなどの基準はない」と明言。時代は、変わったのです。

■補助54号線がなければ小田急の地下化はできないということはなかった

事業の採択申請には補助26号線ひとつでよかった
事業の採択申請には補助26号線ひとつでよかった
ところで、わかりにくい公共事業「連続立体交差事業」ですが、「サステイナブル☆下北沢 その2」では、「小田急線の地下化工事と補助54号線がセット」だと記述しましたが、少々、違うことが国交省の取材でわかりましたので、訂正させていただきます。

従来の採択基準では、幹線道路(都市計画道路)が線路と二本交差していることが要件に挙げられていました。ところが、01年に基準が変更され、1時間に40分以上が開かずの踏み切りとなるボトルネック踏み切りが2カ所以上含まれるときは、交差道路は一カ所でいいことになったのです。

「03年に採択申請・決定された下北沢駅を含む連続立体交差事業としては、「東北沢駅そばで交差する補助26号線のみでも採択基準は満たしており、補助54号線の建設は、必ずしもセットである必要はなかった」と、国交省街路課の担当者。東京都の担当者は、「都市計画道路の予定があるのだから、採択申請書に入れたまで」という言い方をしています。つまりは、どうしても「補助54号線がなければ小田急の地下化もできなかった」という説明は違う、ということになるわけです。

小田急電鉄担当者は、「和泉多摩川から梅が丘まで高架化が完成して、39カ所のうち30カ所のボトルネック踏切が解消された。残るは、下北沢近辺の9カ所のみ。1時間に29本という極限のタイムテーブルでも、朝の混雑率が200%近い。残されたこの地域の工事は火急」と、補助54号線があるかなしかは、地下化工事には関係ないという口ぶり。地元としては、踏み切り問題の解消こそ望んだものの、道路望んでいません。地下化工事のみを急いでいただきたいところです。

こうした動きの中で、今後は、道路の必要性をも含めて、下北沢をどんな街にしていくのか、「ラウンドテーブル」に行政や、また、跡地利用の課題からも小田急にも参加していただき、多くの市民と研究者と協働しながらの検証や代替案づくりが期待されます。(「Yomiuri Weekly」7・16日発売号にも記事を書いています。「シモキタの街を壊すな! 60年前の道路計画にNO」)

。(文・写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター
 
「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
<その1> <その2> <その3> <その4> <その5> <その6> <その7> <その8> <その9>
 
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年07月16日 00時01分 | Comments (0)

2005年07月03日

「貧困ゼロ」への挑戦/「Live 8 Japan コンサート」レポート

<連載> 「貧困ゼロ」への挑戦

Live 8 Japanコンサート レポート

今、地球上では極度の貧困により、3秒に1人の子どもが命を落としています。
この命は、私たちがほんのちょっと関心を持つだけで救えるものなのです。
そして、それは私たち先進国の政府が責任をはたしていないことにも大きな理由
があり、貧困が人為的に作り出されているのです。
」(Live8Japan HPより)

アフリカの様子を映すフィルムに真剣に見入る聴衆(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
アフリカの様子を映すフィルムに真剣に見入る聴衆(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
2005年7月2日(土)幕張メッセにおいて開催されたチャリティーコンサート、Live 8。これは、時差の関係で、世界各国10ヵ所で同時に開催されたコンサートのキックオフともなった。
 

 

■Live 8とは・・?

Live 8は、7月8日より開催されるサミットに合わせ、アフリカの貧困根絶を呼びかけることを目的にしたチャリティーコンサートで、サミット参加8カ国(G8)にちなんで〈Live 8〉と名付けられた。主催は、アイルランドのロック歌手、ボブ・ゲルドフ氏。ゲルドフ氏は、20年前にはエチオピアの飢餓救済を目的として史上最大のチャリティー・コンサート〈Live Aid〉を行い、1億ドルの基金を集めている。

Live8コンサートは当初、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマ、フィラデルフィアの5都市での開催が予定されていたが、その後、エディンバラ、トロント、東京、ヨハネスブルグ、モスクワが加わって10ヵ所となり、G8参加国(米国、カナダ、英国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア)全での開催が実現した。

■Live 8 Japanには若者が多く参加

LIVE8 に来た「ほっとけない」の賛同NGO団体スタッフたち(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
LIVE8 に来た「ほっとけない」の賛同NGO団体スタッフたち(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
日本での会場となったのは、幕張メッセ(千葉)。最大2万人を収容可能という会場スペースにはライブ開始後も余裕が見られた。会場前方のスクリーンでは、貧困撲滅を訴えるビデオが上映され、「3秒に1人の子どもが命を落としている」といったメッセージや、路上で生活する人々の様子が流されていた。

さまざまな年齢層の観客がいたが、比較的若い世代が多い印象を受けた。多くの観客は、「貧困をなくそう」という声を表すホワイトバンド(白い腕輪)を身につけて参加しており、アーティストと共にそのメッセージを共有しようとしているように見えた。

この「ホワイトバンド」は白いシリコン製で、身に着けることで世界の貧困に関心があることを示すもので、日本では7月より300円で販売されている。欧米で既に定着し始めたキャンペーンを日本にも広めようというもので、売り上げは、「貧困絶滅」のキャンペーン費用に充てられる。

ほっとけない 世界のまずしさキャンペーンのオフィシャルサイト
「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」
のオフィシャルサイト
日本では歌舞伎の中村勘三郎さんや作家の村上龍さん、サッカー日本代表の中田英寿選手など著名人が多数参加している(販売は、オフィシャル・ホームページ、全国主要書店、タワーレコード、フランフランにて)。

さて、コンサートは14時より開始。最初はロックバンドRIZEがステージに上がり、「世界を変えよう!」とメッセージを送った。その後は海外からのアーティスト2組が続く。英国のMcFLYは「今日、この場に参加できて光栄だ」とコメントして熱唱。次に登場した米国のGood Charlotteも熱のこもった演奏で会場を湧かせた。その後、Dreams Come Trueが登場し、「一緒に楽しんで、みんなで世界に声を届けよう!!」 と、語り、Love Love Loveの英語バージョンなどを会場と一緒になって歌う場面もあった。そしてラストは、今回が実に2年ぶりの日本でのライヴ・パフォーマンスとなったBjork。会場は幻想的な雰囲気の中、Bjorkの歌声に聴き入った。

コンサートの合間には、こうしている間にも世界では貧困で3秒に1人のこどもが死んでいることを象徴するように、皆で3秒に一度指を鳴らすパフォーマンスを行ったり、また、スクリーンでは貧困撲滅を訴えるビデオ上映が繰り返され、このコンサートの目的を語り続けていた。

■ロンドンでは参加者20万人

アーティストの呼びかけに答えてホワイトバンドをかかげる聴衆(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
アーティストの呼びかけに答えてホワイトバンドをかかげる聴衆(写真提供=「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」事務局)
Live8には、160以上のバンドやシンガーが参加。最大規模のライブはポール・マッカトーニー氏とU2のボノ氏がオープニングをつとめたロンドンのハイド・パークで行われ、参加者は20万人にもなったとされる。また、世界に向けてテレビ中継やインターネット配信が行われ、それらを見た人は2千万人以上にもなるとの推測もある。

2日の英各紙には主催者のゲルドフ氏の公開書簡が掲載され、「毎日5万人が貧困のために死んでいるという現実を終わらせるため、G8首脳は最大の責務を負っている」と、先進各国に行動を促した。

日本でこのLive8コンサートが開催されることが決まったのはかなり直前になってからであった。そのため宣伝が間に合わず、参加者が1万人程度に留まり、また、コンサートのメッセージを十分に伝え切ることができなかったのではという感が残る。
一方、日本は発展途上国に対して多額の援助を行う援助大国でもある。債権放棄が行われれば、日本も債権放棄に関しての負担が求められることも含め、日本国民として援助のあり方について関心を持つべきだろう。

Live 8により、世間の貧困への関心は高まった。これを単なるイベントとして終わらせるのではなく、一人一人が関心を持ち続けること、世界を変えると信じて行動し続けることが本当に大切なのではないかと感じた1日だった(野口朋子/インフォメーション・プランナー、ViVa!コンテンツサポーター)。

<関連HP>
Live 8 Japan HP
Live 8 HP
「ほっとけない 世界のまずしさ キャンペーン」(日本、ViVa!運営主体のJCAFEは、このキャンペーンの賛同団体です)
Global Call to Action Against Poverty (G-CAP)
 - グローバル貧困撲滅キャンペーン 
「MAKE POVERTY HISTORY - 貧困を過去に」 (イギリス) 
「The ONE Campaign - 援助資金を国家予算の1%に」(アメリカ)

「貧困ゼロ」への挑戦
MDGsから貧困問題を考える><Live 8 Japanコンサート>

投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年07月03日 18時01分 | Comments (3)

2005年05月26日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その8

銀座の「銀座らしさ」とは~ ヒューマンスケールな街の魅力

歩行者天国中の銀座シモキタから「銀座」~。あれっ、と思われるかもしれませんが、ともに歩くことを楽しむ街です。実は、昔からのヒューマンスケールな路地が残る街という共通点があります。しかも、銀座通りでの超高層ビル計画をきっかけに、銀座らしさを壊したくないと「銀座街づくり会議」が活発に活動中。超高層ビルができれば、道路と同じく、街の姿を大きく変えてしまいます。銀座の人たちが、「銀座らしさ」をだいじにする姿をご紹介します。


 
 
 
■日本の「ショーウインドー」として新しいものを発信

昔の街区や個店のサイズを意識したショーウインドー
新しいブランド店でも、昔の街区や個店のサイズを意識してショーウインドーを設けている
日本で最初の「歩行者天国」は、今も休日に継続中です。この銀座通りで、明治7年に煉瓦街の建設が始まりました。当時の表玄関、新橋ステーションの目抜き通りとして整備されたのです。

江戸時代、お隣の日本橋が問屋街、銀座は職人町として形成されていましたが、政府の意向で、いきなり煉瓦街になって、集まったのはハイカラな人たち。まさに日本のショーウインドーとして、全国に新しいものを発信し続ける街として成長したのは、ご存知のとおり。最近は、海外ブランド店の進出が多く、華やかな内外の高級店が店を連ねます。

岡本哲志著「銀座」ところが、「銀座」という街を、詳細に調べてみると、街の区割りは江戸時代からのままなのだとか。建築的な視点から「銀座 土地と建物が語る街の歴史」(法政大学出版研究)を著した岡本哲志さんが、関東大震災や戦災などの転機を経ても、銀座では街区と街並みが守られてきたと指摘します。

「街区の区割りには、人が歩いていて心地よいサイズというものがあります。銀座では、60間×60間を基本に、分割されている区割りが江戸時代から変わりませんでした」

言われてみると、銀座通りでさえ案外に小さな区割りの店が並んでいることに気づきます。または、大きな建物が建ったとしても、ショーウインドーの大きさが、小さな区割りを再現しています。いわゆる「ヒューマンスケール」の街には、建築的な根拠があるのですね。

■カフェの中を路地が通り抜ける

煉瓦街ができたころからの服飾店「ギンザ・サヱグサ」
昔からのお店の門構えは小さく、奥行きがある。煉瓦街ができたころからの服飾店「ギンザ・サヱグサ」。
そして、銀座の人たちは、生活路としての路地をだいじに残してきました。華やかな表通りから、ふとそれてみると、たくさんの路地があります。裏口が連なる道として役立っている路地もあれば、お稲荷さんが祭ってあったり、飲み屋が軒を連ねていたり、路地には路地の賑わいもあります。
 

銀座5丁目の「あづま稲荷」のあたり
銀座5丁目の「あづま稲荷」のあたり

銀座では、なるほど、ビルの軒下が路地の面影を残して新しいビルにしたものもありますね。路地を残すべく、それぞれ独特に工夫された建物も目に付きます。4丁目の大きなビル、「銀座コアビル」も通り抜けができて、その左先には、あづま稲荷の路地がありました。
 

銀座の街の研究家で「ギンザ・サヱグサ」社長の三枝進さんは、こんなことを語っておられました。
 


銀座7~6丁目あたりの路地マップ
「銀芽会」制作 1982年月刊「angle」より 銀座7~6丁目あたりの路地マップ(緑が路地)。7丁目の小さな間口の店が並ぶスケールに比して超高層ビル計画の大きさがわかる。現在の「グリーンビル」の中に路地も
「あるとき、毎日通っているところなのに、会社の裏口から路地にでたら、ふっとそこがまったく違う空間のように感じられた。南か北か、どちらに抜けられるのか瞬間わからなくなったんですね。
そんな経験をして、路地空間というものに興味をもつようになりました。路地は私有地ですから、左右の所有者が理解をもたないと継続できない空間です。路地をつぶして大きなビルにすればいいところに造るのですから・・・銀座の表通りというのは、華やかな、いわばカッコをつけて歩くところです。でも、それだけでは疲れてしまう。ふっと横にそれると、肩書きをはずして一人になることができる場所がある。ある意味、お母さんの胎内にいるような安心感がある場所なんじゃないでしょうか」
 

三枝さんは、新しくできた7丁目の「グリーンビル」(トップの写真の中、左手)の中に、路地を残すことをお願いして実現させました。二つのビルをつなげて再開発されたビルでは、銀座通りから東西には通り抜けができる路地が真ん中に入り、南北に抜けていく長い路地を通すために、24時間オープンにする自動ドアまでそなえられました。

カフェの間を路地が抜ける
「グリーンビル」の中、カフェの間を路地が抜ける。自動ドアがあいたところ。奥に続く路地が見える
新しいものと伝統のものの両方がある街。また、「銀ブラ」を楽しむ家族で賑わうのは、こうした裏道には意外と値段の高くない飲食店があるなど、銀座が多面的であるからかもしれません。
 

■地域のことは、地域を愛する人たちが決めるべき

「路地」があることで、奥行きのある懐深い街となっている銀座ですが、なんといっても表玄関としての銀座通りに風格があるのは、実は、すっと壁面が揃えられ、高さもおおむね揃っているところにあります。歩くことが楽しい街の秘訣は、建物が揃った高さの上に広がる空にもあるのかもしれません。

明治大学の小林正美教授(「下北沢フォーラム代表」のアーバンラボでは、大学院生たちがCGでその様子を現してみました(図)。市民がわかりにく容積率の問題などを考えることができるように、CGにしています。小林教授は、「下北沢フォーラム」の代表ですが、銀座の街並み研究もしています。

明治大学小林研究室が作成したパワーポイント資料
明治大学小林研究室アーバンインターベンション「銀座」
「銀座ストリート・スクーリング・プログラム」発表パワポより

 

銀座通りに178mの超高層ビルが建つと、街はどうなるのか・・・一昨年、松坂屋と森ビルがつくった合弁会社による「銀座6丁目街づくり協議会」から超高層ビル案が提示されました。超高層ビルは、都市再生法案による「特区」で可能になる高さでした。しかし、地域のことは、地域で決めたいと、銀座通り商店街の方たちが中心となって、「銀座街づくり会議」を発足させて「銀座」と超高層ビルの関係を考え始めました。「特区」の申請の受諾を決めるのは中央区です。

そして、勉強会を重ねるなど活動を続けてきた「銀座街づくり会議」は、この4月より、中央区と一緒に別の協議会を作って新たな「銀座ルール」(地区計画)を真剣に考えることになりました。(詳細は、 「Yomuri Wreekly」6月5日号に掲載) 現在、銀座の人たちと中央区が決めた「銀座ルール」(地区計画)では、56mの高さが定められており、「資生堂ビル」や「グリーンビル」「シャネルビル」がその先陣を切っていますが、おおむね揃っているのは31mの高さにプラス広告塔です。この銀座通りは、ちょうど26mくらいの幅でしょうか。

下北沢に、計画された補助54号線は幅26m。そこに造ることが可能なビルの高さも56mほど。下北沢に「銀座通り」ができると想像すればいいということなのですね。どう考えても大きすぎるような・・・(^-^;
地域のことは、地域を愛する人たちが決めるべきと立ち上がった銀座の皆さんの心意気を、下北沢でも分かち合わせていただきたいものです。(文・写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター
 
「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
<その1> <その2> <その3> <その4> <その5> <その6> <その7> <その8> <その9>

 
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年05月26日 23時57分 | Comments (0)

2005年04月12日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その7

「北沢川緑道」の桜と代沢の住宅街。「世田谷百景」にみる下北沢の魅力

下北沢の桜並木日本のあっちこっちで桜が満開。桜自慢の街はたくさんあると思いますが、下北沢にも素晴らしい桜並木があります。もともと江戸時代に玉川用水から分水した農業用水路だった北沢川沿いに植えられた約380本の桜です。川は昭和40年代に暗渠にされましたが、数年前から暗渠をビオトープとして水辺に戻す工事が始まり、「北沢川緑道」はさらに気持ちのいい遊歩道になりました。

 
 
 
■年寄りにも、障害者にもやさしい街の姿

茶沢通りと交差する地点
茶沢通りと交差する地点。交差点の向こうに見えるのは創立125周年という名門・代沢小学校。校舎の前も、北沢川緑道の桜とせせらぎが続いている
下北沢というと、「若者の街・庶民の街」とキャッチコピーがつけられることが多いのですが、実は、商店街エリアからちょっと離れると静かな住宅街が広がっています。「世田谷百景」にも選ばれた、桜並木がみごとな「北沢川緑道」は、淡島通りから環状7号線まで、そんな住宅街を通って約1.6キロ続いています。下北沢駅南口から茶沢通りが緑道と交差する地点までは、歩いてちょうど10分です。

北沢川緑道そのものは、淡島通りを超えた池尻近くで、芦花公園から続く烏山川緑道との合流点として始まり、環状7号線を越えて、赤堤のほうまで4.2キロほども続いています(詳細はコチラ)。

暗渠をはがして下水道を地下に通し、表層を人工的な「せせらぎ」に換える工事は、北沢川緑道の東側から始まり、順に西にすすんでいます。「北沢川緑道桜並木」に沿って、素敵な住宅が立ち並んでいます
こちらでは、まだ暗渠のまま。遊具があり、それなりに利用されてきています。「北沢川緑道桜並木」に沿って、素敵な住宅が立ち並んでいます
「せせらぎ」は東京都落合浄水場で浄化した下水をさらに浄化して流され、ビオトープは子どもたちを含めた住民参加によるワークショップなどをしながら設計図が決められました。

みごとな桜トンネルとなるこの場所は、歩くのも自転車で走るのも最高~(^。^v ことに散り始めた日の朝、桜吹雪をあびながら自転車でくぐりぬけるのは、毎年のひそかな楽しみ。シモキタに暮らす幸せのひとつに数えることができると思っています。(とはいえ、今年は週末の最盛期を終えて、雨の月曜日で散っています)桜の日々に限らず、車椅子の方たちや、老人デイケアセンターからのグループ散歩などを見かけることも多く、地域に根ざした憩いの場として利用されている様子が好もしい散歩道。まさに、年寄りにも、障害者にもやさしい街の姿です。

同じ場所も休日には大賑わいでご覧の通り。反対から見たところです
同じ場所も休日には大賑わいでご覧の通り。反対から見たところです
平日の朝の静寂とは裏腹に、お花見日和のお休みともなると、老若男女が集まっての大花見大会。なかには、飲み屋さんがそのまま繰り出したようなグループも。桜の下では、誰もが幸せいっぱいのいい気持ち。若者が奏でる沖縄の三線(サンシン)の調べやギターが聞こえ、子連れのママたち、外国人が多いグループ、おじいさんたちのグループなど、地元の人も、外からの人も、様々に交じり合ってずらりと連なる雰囲気がいかにも下北沢です。
 
 
■「世田谷百景」には下北沢周辺の風景が9つも

「世田谷百景」には、「若者と下北沢の街」を含めて、下北沢周辺にある項目が9つも入っています。(→「7-北沢緑道桜並木・代沢の桜祭」はコチラ
 
「代沢の住宅街」も、そのひとつです。「庶民の街・シモキタ」とは、少々イメージが違いますが、実は、代沢2丁目には、かつては佐藤栄作・元首相邸、のちに竹下登・元首相邸になる建物もありました。数年前に、マンションになってしまいましたが、関東大震災後に区画整理をして住宅街になったという当時のままの木造2階建て住宅でした。

大きな区画の住宅街。井の頭線・池の上からも徒歩10分くらい
大きな区画の住宅街。井の頭線・池の上からも徒歩10分くらい
大きな区画で、あたりはどんどんマンションに建て替えが進んでいますが、かつてをしのぶことができる木造住宅も、まだまだたくさんあります。代沢2丁目は駅近くの雑然としたところから始まり、世田谷区で最も地価が高いところまで範囲がそうとうに広いことに驚かされます。さまざまな住宅が、渾然と近接して一緒にあるというのも下北沢の特色かもしれません。
                 
下北沢の魅力は、雑多な路地から沸き起こるような面白さや発信力であり、そして、一方では、こうした住宅街を控えもっている、そんな多層性にもあるのではないでしょうか。さまざまな異文化がしなやかに同居し、それをエネルギーに換える力が東京の底力だとしたら、「下北沢」が東京を代表する街である理由もわかるような気がします。
 
 
北沢川緑道の近所にある「世田谷百景」の阿川家の赤門
北沢川緑道の近所にある「世田谷百景」の阿川家の赤門。8年くらい前までは、かつての名主屋敷の遺構を残し江戸時代の面影さえあったが、今は、敷地内に木々を残すように設計された大きな賃貸住宅が建っている。オンライン「世田谷百景」に、それまでの写真がある。ほかの百景も季節に沿ってご紹介していきます
下北沢駅前周辺地区計画を考える際には、若者の街というイメージだけではなく、こうした住宅街が広がる街であることも、考慮する必要があるかもしれません。代沢の住宅街に暮らす人たちの多くは、自宅が駅前地区計画にかかる地域にはなく、商店街の人たちほど街づくりに関心を寄せてはいないと思われます。しかし、下北沢の駅周辺がどうなっていくかは、住環境にも大いに影響をおよぼすことであり、子どもにも老人にも「安心・安全の街づくり」という視点から無関心ではいられないのではないでしょうか。
 
「下北沢駅前周辺地区・地区計画」の原案策定に向けて、商店街と住宅街の方たちが一緒に街づくりを考えようという勉強会や住民参加を求める場が、近々立ち上がっていく予定です。

※「Save the 下北沢」では、「下北沢の魅力を破壊する道路計画を見直して下さい」というWEB署名を始めています。詳細はホームページで。
  
(文・写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、
ViVa!コンテンツサポーター
 
 
「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年04月12日 20時10分 | Comments (1)

2005年04月03日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その6

市民参加の街づくりは世界の潮流
~日EU市民交流年記念シンポと世田谷区の説明会

<2005年4月3日UP>

国際シンポジウム「ひとは市民となり、まちのにぎわいを創り出す~豊かさを共有するしくみとしての文化」の様子大変に興味深いタイトルの国際シンポが、国際交流基金と千葉大学21世紀COEプログラム「持続可能な福祉社会のための公共研究拠点」との共催で、2005年3月29日に開催されました。そのタイトルとは、 「ひとは市民となり、まちのにぎわいを創り出す~豊かさを共有するしくみとしての文化」

 
 
 
■「下北沢」での課題は、世界で共有される課題~

シンポの参加者は、フィンランドのユッシ・ヤウヒアイネンさん(オウル大学教授・都市計画・EU-欧州関係、創造都市)、スペインのエンリック・テリョさん(バルセロナ大学教授・環境経済学、歴史経済学、持続可能な環境と社会の発展連鎖)、スペインのヴィクトール・ウガルテさん(バルセロナ カサ・アジアのプログラムプランナー)、ハンガリーのエリザベス・ヴィシーさん(地域開発・タウンプランニング公社、地域開発・市民参加型空間計画)、英国スコットランドのスチュワート・ノーブルさん(レッツリンク=地域通貨・コミュニティビジネス)、日本からは、千葉大学の岡部明子さん(工学部助教授、「サステイナブル・シティ」の専門家。バルセロナの磯崎新事務所にいた経験もある建築家)、倉阪秀史さん(法経学部助教授で『エコロジカルな経済学』などの著者で環境政策専門家)、村山和彦さん(西千葉の地域通貨「ビーナッツクラブ」(株)みんなのまち代表)、渡辺俊一さん(東京理科大学工学部教授、都市計画なかでも住民参加を研究)という豪華な取り合わせでした。

どうなるかと思うほど、幅広い課題と、広い地域からのゲストでしたが、「ひとは市民となり~」というタイトルのままに、それが、確かに各国で共通な課題であるということがわかるシンポだったことに、ちょっと感銘。いまや、わたしたち自身の「下北沢」の課題は、これほどにも世界で共有されることだったのかと、改めて感じることになりました。

■人々が帰属していると思える場所を創り出す

ヨーロッパ全体が、国境というものとは違う地域性で再編成され始めた広域圏について、千葉大の岡部さんがざっくりと説明。日本人にはあまりぴんとこない話ですが、著書「サステイナブルシティ~EUの地域環境戦略」学芸出版に詳しく記述されています。各地のシンポジスとの話を聞きながら、次第に欧州のなかの地理的結びつきというものが浮かび上がってくるように感じられました。

EUの成立で、ヨーロッパ市民という帰属意識をもつことになった時代に、フィンランドの論客、ヤウフアイネンさんは、「市民が自分たちは、皆よく似ているが、他の国の人々は違っている、と為政者に信じ込まされてきた」と語ります。ヘルシンキからバルト海を挟んで目の前はエストニアのタリン。エストニアがロシアからの独立、EU加盟を経て、頻繁に行き来する関係になり、かつては、「国による違いの大きさが強調されてきたがそうではなかった」と、気づくことになったといいます。

ヘルシンキ船乗り場の広場
ヘルシンキ船乗り場の広場

 
実は、数年前にフィンランドに行ったときに、ヘルシンキの湾内遊覧をする船乗り場から、タリン行きの船が発着していることに気づきました。フィンランドを旅すると、隣国に大国ロシアがあること、反対には強国スウェーデンがあることを嫌が応でも感じないわけにはいきません。そして、海を渡った国との関係。ヤウフアイネンさんが紡ぐ言葉には、人々の帰属性についての考察が感じられました。「都市のプランニングとは、人々が、自分が帰属していると思える場所を創り出すこと・・・それが、故郷というものだから」という言葉には、深く共感します。そして、彼は「地域に社会的意義を与え、経済的にも持続可能な成功に導くのは市民である」と結びました。
 
 
■「市民参加」は世界共通の近道

左がヤウフアイネンさん、右がテリョさん
左がヤウフアイネンさん、右がテリョさん
北欧の代表的都市、ヘルシンキに対して、南ヨーロッパの代表的都市、バルセロナのテリョさんは、
19世紀のスペイン・カタルーニャの都市プランナーもすでに街路について考えていると言い、その言葉「街路は単なる二つの点を結ぶためのものではない」、「街路の役割は太陽と涼風を受ける場であり、人々が出会う場である」を引用します。そして、テリョさんは「自動車優先の街路や広場は都市や広場の機能を失わせてしまう交通用道路にしてしまう」と、断じます。歩くことの心地よさを感じることが多いヨーロッパの街並みには、こうした理念が広く生きているのでしょう。「街とは、歩ける範囲の場所です」と、テリョさん。

一方、バルセロナでは、貧富の格差の拡大、それによる、街の拡散なども現在進行形で進んでおり、
「だからこそ、持続可能な都市に向かうためには、市民参加がいかに重要か。市民参加のあるところでは、サステイナビリティの輪は壊れない」と、強調します。ノーベル賞経済学者のアルマティア・セン博士の言葉を引用しながら、「貧困とは、お金がないだけではなく、家族も公共の支援もない状態で、それは、サステイナビリティの輪が壊れてしまってこそ起こるもの」と、しています。

住民参加は、一部の権力者が大きな決定権を持ってしまうという状況を打破する、大きな力でもありえるというわけです。

ハンガリーからいらしたヴィシーさんの発表は、社会主義国家をやめて間もない国でも、よい都市計画を立てていくには、住民参加が欠かせないという話でした。「社会主義国だったときには、『住民参加』が強制的なボランティアというかたちでされていたので、1988年まで、多くの人にとって『住民参加』には否定的な印象しかなかったのですよ」という話には、なるほど。「参加しなくていいと市民は幸せに思ったのですから」と。しかし、状況は変化して、「荒廃したかつての工業地区を再開発するということになったときに、自治体と地元住民が話し合いを繰り返しました。はじめに行政からの提案に反対され、対話が生まれました。そして、ミーティングを繰り返し、互いに譲歩し、コンセンサスに到達しました。一緒にお祭りをやりながら、結局は、新しいかたちでの住民参加を進めたのですが、このやり方の中にこそ、ベストな道があるということがわかったからです」とのこと。

左は渡辺さん、右はヴィシーさん
左は渡辺さん、右はヴィシーさん
「市民参加」という方法は、遠回りだけれど、つまりは、世界共通の近道であると、社会主義を経た国でも同じ流れにあるようです。「もちろん、参加しない権利もあるのですよ」と、フィンランドのヤウフアイネンさん。「参加が強制的であってはいけない。さまざまなかたちの参加がありえると思います」と、まさに、「ひとは市民になる」ということを指すのでしょうか。

会場の行政マンから、「行政の役割とは」という質問。それに対し、岡部さんから「行政の役割は、無意識でいる人たちが自覚的に参加できるような場をつくること。情報を提供すること」と。「反対することがひいては提案することに変化し、パートナーシップを組むことにつながっていくという意味で、異なる人々がコミュニケーションをとることが重要である」と、スペインのエリョさんからはご意見がありました。
 
■財源をともなった地方分権が必要

左は村山さん、右がノーブルさん
左は村山さん、右がノーブルさん
地域通貨は、西千葉の「ピーナッツ」が利用金額では、世界でも10指に入る成長を遂げていることも初めて知りました。スコットランドの小さな村から来たノーブルさんと村山さんは、グローバライゼーションの中で、「お金が、自分たちと関係のないところで廻っていく」ということに気づいて地域通貨を立ち上げたと、まったく同じことを語り、世界が共通の課題を抱えていることを示唆してくださりました。そして、その昔、徒歩で知り合える範囲の中で人間関係と経済が成立していたような、いわば、「ムラ」を作り出しながら、ポンドのかわりに「レット」を、円のかわりに「ピーナッツ」という通貨を利用してみるというお話。「アーティストのような人には地域通貨は有効」だと、ノーブルさん。お金は稼げなくても豊かで幸せな生活はあるのだと。地域通貨は都市と地方を結ぶ可能性もありそうです。

東京理科大学工学部教授の渡辺さんは、「わが国は『国主導・事業中心の都市計画』から『市町村主導・住民参加・計画中心の都市計画』へ、という大きな歴史的転換期にある」ということで市民講座も開かれた専門家です。「持続性ある市民参加には、アメリカのワシントン州シアトルで制度化されているどんな課題の市民参加にも使える『マッチングファンド』の制度が必要だ」とお話されました。市民参加が進んでいると思われるヨーロッパの皆さんも頷いておられ、やはり、どの国でも市民参加が強調されるものの、市民の負担が大きいことには変わらないようです。

倉阪さん
倉阪さん
倉阪さんが提起したのは、「補完性原理」という言葉。個人ができないことは、地域の自治体がやり、地域の自治体ができないことは政府がやる。地域の人たちのニーズが、その出発です。財源のともなった地方分権がいかに必要かは、各国の出席者全体の合意でした。

たった一日の討論でしたが、彼らは、10日間ほど日本に滞在して「街づくり」の関係者に会いながら議論を繰り返し、そのまとめとしてのシンポだったとのこと。どんな社会にあっても、行政が唯一正しい計画をたてられるわけではなく、住民が反対することから始まって、対話を重ねながら参加をしていくプロセスが大事であるという結論が、自然に導かれたものになりました。
 
 
 
■下北沢で望まれる「市民参加」の場づくり

ところで、この数日前の3月24日、下北沢にある北沢タウンホールでは、「下北沢駅周辺地区地区計画『素案』説明会」が開催されました。1月に4回にわたって開催された骨子案説明会に継いで、市民からの意見をとりいれて調整されたはずの素案説明会でしたが、あいかわらず、地区計画全体像の理念の説明はありませんでした。「下北沢」に、なぜ、このような計画が必要なのか・・・。
(「街づくり通信11号」に素案が説明されています)

会場からは、一方的な説明会ではなく、市民が計画づくりに参加できる場をつくるべきだという意見が続出。現在の活気ある街の真ん中に、道路をどうしても作らなければならない理由は説明されずじまいです。土地利用が有効になされていないという不満は、ほとんど行政からしか聞かれません。

前回お伝えしたように、これまで市民の意見を代表してきたと言われる「街づくり懇談会」の皆さまとも話し合い、計画について再考する場を市民が提起しなければいけない時期にきているようです。「下北沢フォーラム」 は、区長あてに要望書もだしていますが、「原案」策定に向かって、世田谷区は十分に住民参加ができる場を設定すべきではないでしょうか。

東京でも、住みたい街ベスト2であると、「散歩の達人」3月号で発表された下北沢。どのような街づくりをするのか、全国から、そして世界からも注目が集まっています。

(文・写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター、シンポジウム写真提供=国際文化交流基金)


 
「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年04月03日 18時30分 | Comments (0)

2005年03月12日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その5

元祖「まちづくり協議会」は隣町が発祥の地
~協議会に向けて勉強会「下北沢フォーラム」

<2005年3月14日UP>

街の模型を使った説明「下北沢フォーラム」では、昨年末から勉強会を始めました。立体模型を見ながら、新しい街を考えることも。行政と市民が協力しながら、地域のことを考えていく協議会が望まれます。最近では、そんな「街づくり協議会」は全国各地で設立されていますが、元祖といわれているのが、なんと下北沢のお隣り、太子堂2・3丁目で今に続く「まちづくり協議会」です。その当時を知る木下勇さんがお話をしました。

■道は通るだけのものではない

木下勇さん
05年3月2日、北沢タウンホールにて。木下勇さんは、今では千葉大学園芸学部の教授
木下勇さんは、20数年前の「太子堂街づくり協議会」発足当時、大学院生として「太子堂プレイパーク」設立のために調査・活動をしていました。「まちづくり協議会」発足の発端は、太子堂界隈で、防災のために道路の拡幅工事をするという基本計画に納得できない住民が、白紙から考えたいと言いだしたことでした。まずは、1980年に行政主導で「街づくり懇談会」が発足しましたが、住民間でも様々な意見がでてまとまりません。区のほうから、「住民参加のためには地区の問題を定時的に話し合う場が必要」との提案があり、住民がもっと自主的に運営する場作りへと、「まちづくり協議会設立準備会」を経て、1982年当時、全国でも例をみない「太子堂地区まちづくり協議会」へと発展しました。これをきっかけに世田谷区では、同年、全国に先駆けて「街づくり条例」を制定し、区長に対して街づくりの提案を行うことができるようになりました。

どうして住民の方たちは、4mにも満たない道路を6mにすることを嫌がったのでしょうか。そのヒントは、道路が、通るための道なだけではなく、生活空間として機能しているところにあったようです。木下さんが、「下北沢フォーラム」を発足させた街づくり専門家の荻原礼子さんたちと「子どもの遊びと街研究会」で調査をしたのが、子どもたちの遊び空間でした。それも、3世代にわたる、そのときどきの子どもたち。当時の小学生の親たちは、昭和30年頃に小学生でした。その上の世代は、昭和の初め頃の子どもです。

調査はイラストがたくさん入った本に
本の詳細・購入はこちらから
その昔、家のまわりには、今よりもずっと公共の空間が広がり、ゆるやかに外に向かって開かれた庭でした。道といっても、庭の延長のような気配で、子どもたちは目いっぱい遊び場にしてきました。
4m以下の道は、そんな時代の名残がありますが、6mにしたとき、それはきっと変わってしまうでしょう。そんなことが予測されて続けられた調査は、イラストがたくさん入った本にもなりました。

そして、下北沢については、「公共交通が便利なところで、なぜ、ロータリーが必要なのかわからないですよね。むしろ、小田急線の地下化された跡地を遊歩道にして商業振興をはかったりするほうがいいのではないかと思うのですが」というご提案。

木下勇さんは、梅が丘で、道路の幅を広げようとした計画に反対した住民たちと行政が一緒にワークショップをやりながら、歩道だけを広げるというプランに変更するというプロジェクトに携わったこともあります。「そんな積み重ねから、世田谷区の土木課には都市デザイン室もできましたし、先駆的な自治体になっていきました」。

■「世田谷区は30年前に戻ったのでしょうか…」


懇談会に任せておいたら、情報が公開されなかったと地域の建築家の方。協議会を立ち上げて、行政と一緒に代替案を検討すべきだったと振り返る(梅ヶ丘駅前けやきを守る会)    
        
と、ところが、ちょうどこの日の前日のこと、梅が丘駅前では、住民の人たちが40年前に植えたケヤキをバスロータリーにするために伐採するというプランに反対する住民たちが抗議行動をするという騒ぎになりました。「いやあ、世田谷区は30年前に戻ったのでしょうか・・」と、絶句の木下勇さんでした。

都市計画専門家の司波寛さんからは、歩行者優先の街づくりが、世界の先端である事例がいろいろ紹介されました。「いまや、自動車王国のアメリカでさえ、その流れの中にあります。地域社会にこの道路が必要かどうか真剣に考えてみるべき」と、これまでたくさんの道路作りに携わってきた立場から強調されます。

小林正美教授の著書「東京再生」
本の詳細・購入はこちらから
「下北沢フォーラム」代表の明治大学・小林正美教授は、都市再生における、「その地域らしさ」の重要性に着眼するなど、これまでの画一的な高層化を機軸とする都市計画に警鐘を鳴らす未来的な研究をしています。そんな視点から、数年前から下北沢をフィールドにすでに研究を始めており、勉強会では街の模型を使った説明もありました。

会場からも、さまざまな意見が出ました。車椅子で来て下さった方もあり、「下北沢は道が狭くて歩行者優先になっているので、車が来たときでも、堂々と車椅子でゆっくり行けるのでありがたい」とのこと。なるほど、狭い道路は、かえって、障害者の方も安心して通行できるやさしい道なのですね。

会場には車椅子の参加者も
車椅子の方の感想は貴重ですね。さまざまな立場の方の意見を聞いていただきたいものです
補助54号線道路を作ることに賛成! という老夫婦もいらっしゃりました。「自宅前が細い二間道路なのに渋谷からの通り抜け道になっている。これまで建築規制も受けてきたこともあり、早く道路が出来て欲しい」との希望を述べられました。このことについて、木下さんからは、「大きな道を作らなくても車を抑制することができるやり方もあります。抜け道対策も地域住民でやっていくこともできます。現場を皆で見に行くということも必要ですね」とのこと。

司波さんからは、「実は、大きな道路ができると、その周辺の道路でさらに車が増えるというデータもあります。なるべく、付きあがりにして抜けられないとか、いろいろな仕掛けをドイツではやっています。通過交通は遠回りしなければならないという仕組みもつくっています。今のようなやり方では、ますます車は増えてしまう」との、話も。道路を作れば問題が解決されるというものでもなさそうです。

はじめは憤然と話しておられた質問者の方も、いろいろなアドバイスを聞いてご納得。つまりは、こうした住民のさまざまな悩みを解決に変えていくという話し合いの場も設けられていなかったということです。

市民が望むことこそが、行政にしていただきたいことです。これまでのように商店街に限られた市民ではなく、「さまざまな立場の方たちと意見交換をして、街づくりを再考していただく場が必要。区にもそのバックアップをして欲しい」と、下北沢フォーラムでは、世田谷区に対して3月9日に正式に要望書を提出しました。

                            ※  ※  ※

梅が丘にある羽根木公園の梅林
梅が丘にある羽根木公園の梅林。これも市民がボランティアで植えたのですが、見事な梅園になりました
街づくり部の担当者、辻裕光さんとの話し合いでは、「世田谷区では、街づくりに積極的に参加したい方たちの意見を広く伺うことはやぶさかではない。区が決めたことではなく、これまでの経緯の中で、懇談会が閉鎖的なものになっていた。すべてを白紙に戻すということはできかねるが、住民同士で話し合っていただくべきことなので、懇談会の方たちと相談をして欲しい」との言葉をいただきました。
「素案は3月24日に説明会ですが、それをすぐさま原案にするということはしません」と。

さあ、いよいよ、第二ラウンドに進むことになりそうです。どれだけ本気で「シモキタ」のことを考える協議会、あるいは拡大懇談会を作っていくことができるでしょうか・・・。
地域で新しく参加していただく方も必要ですし、懇談会の皆さんとの話し合いも必要です。さて、どうなっていくことやら~~(^-^

(文、写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年03月12日 12時46分 | Comments (0)

2005年02月26日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その4

街が少しずつ変わるということ~散歩でふと気づいたら
<フォトレポート・2005年2月26日UP>

道路予定地近辺のお店。北口ピーコックの裏
あるとき、どこかのビルが取り壊されているのに気づきました。でも、それはありきたりな工事中の風景。でも、ふっと、それがあっちでもこっちでも起こっている、すべて関連あることがらだと気づいたときは、ちょっとぞくっとしました。着々と街全体が様子を変えつつあります。幸いなことに、それでも、新しく建つ建物があるので、週末に遊びに来る人たちには、近い将来、この街がすっかり様子を変える予定があるとは、気がつかれずにいるのかもしれません。





その隣の有機野菜を食べさせてくれるお店
道路予定地近辺のお店(上)と、その隣の有機野菜を食べさせてくれるお店(下)
でっぱった部分を斜めに切り取れるようにそこだけ違う構造で造られています
この建物は、将来、でっぱった部分を斜めに切り取れるように、そこだけ違う構造で造られています
道路予定地にかかったところは、建築規制があって、堅牢な建物を建てることができません。でも、たとえ簡易建物であっても若者の街、シモキタだからこその今風な良い雰囲気。知らずのうちに自然体でおしゃれに存在しているお店もあります。道路予定地そのものではなくとも、将来の変化に備えて建物を建てていないという様子もまま見られます。




道路予定地が、現在の道から見ると斜めに走っているので、お店の前が斜めに切られていたり、やけに広いスペースがとられていたり、よくよく見ると変形した建物もいくつもあります。でも、それもまた、シモキタの雑多な雰囲気に溶け込んでしまっているのか、言われないと気がつきませんでした。


「ザ・スズナリ」劇場
左手前が「ザ・スズナリ」劇場。並びが飲み屋の「すずなり横丁」。その奥には、カトリックの世田谷教会
道路がどんなところにできるのか、シモキタ唯一の高層ビル、12階建ての北沢タウンホールから街を見てみました。東側(やや北より)を見てみると意外なことに古い教会がすぐに目に入ります。


下北沢の駅のすぐそばに、こんな教会があることを知らない人も多いと思います。戦前にフランスから送られ、戦争中に組み立てられずに置いてあった聖堂の建材をもらい受けて建築したとのこと。豊かな緑に囲まれた静寂な空間に、どこか外国にでも旅をしているような気分になります。様々な雰囲気が、ごく近い場所に一緒にあるのが下北沢の面白さでしょうか。




かまぼこ兵舎
歴史的建築物の「かまぼこ兵舎」が現役で使用されている
隣にはいかにも取り壊される前提で建てられた建築が。教会の庭の手前、付属の建物もそうした簡易建築です。終戦直後には焼け野原だったという歴史の名残として、敷地内には、なんと、米軍から払い下げられたかまぼこ兵舎が今でも使用されています。


奥の空き地には「小田急電鉄」所有の立て札が立っていました。それから先にずっと道路は延びるのですが、密集した住宅地で、皆さん、ほんとうに立ち退きをされるでしょうか。土地の値段が高い地域ですから、買収費はそうとうな金額になると想像されます。





新しいビルも建築中です
手前では小田急線複々線化の工事ということで、すでに立ち退きをされています。線路に沿った「一番街」では、お店がいくつか移動。左手建築中の建物には、右手線路沿いの石蔵のある質屋さんが移ります
さらに道路が延びる西の方向を見るとさらなる住宅密集地が広がっています。道路工事は、3期に分かれていて、駅周辺の茶沢通りまでとピーコックの裏くらいまでが第1期工区ということで、先日、説明会があった場所。
教会のあたりは第2期工区、西側は第3期工区ですが、こちらの道路予定地近隣の方たちには、まだ何も話を聞いていないという人も多いようです。地図の確認はこちらでどうぞ(クリックすると大きな地図が中にあります)。

世田谷教会の端正な佇まい
世田谷教会の端正な佇まい。クリックすると美しい教会音楽が聞こえます

そして、教会を出るとすぐに目に入るのが「鈴なり横丁」の看板たち。道をはさんで隣り合っているというわけです。このあたりは、茶沢通りが拡幅されて交差点となることになっています。教会は、大きな道路に面することになりますね。





ステンドグラスがきれいな木造建築
ステンドグラスがきれいな木造建築。直輸入の建材です
ルルドとマリア像
お庭にはルルドとマリア像もありますが、ここも道路予定地
鈴なり横丁の看板
「鈴なり横丁」の看板たち
 
小田急線の開かずの踏切
そのすぐ先に小田急線の開かずの踏切が。このおかげで小田急線連続立体交差事業は望まれていたことでした
下北沢演劇祭のポスター
2月は、下北沢演劇祭が開催されていました
ザ・スズナリ
横隣にある 「ザ・スズナリ」。ここも道路計画を前提に建てられている建築物です。
映画館「ARTONE」も併設。
 
 









北沢タウンホール
街唯一の高層建築「北沢タウンホール」12階建て。「ザ・スズナリ」と道路をはさんで斜めに向かいあっています
タウンホールから見た西側の駅北口周辺
タウンホールから見た西側の駅北口周辺。奥は「ピーコック」
西側(やや北より)には、駅をはさんでピーコックのほうが見えます。手前の工事中のところはそのまま残りますが、その先、駅をはさんでピーコックまでが駅前広場になる予定。ピーコックの建物付近も広い敷地になって、高層ビルに建て替えられる予定があるとか。
古い屋根群が見えますが、戦後すぐの闇市からの「駅前食品市場」です。昔は、全国で、少し大きな街にはよくあったものですがこうした市場が、ここでは地権者が複雑で奇跡的に残ったといわれています。




ピーコック前から見た「駅前食品市場」
ピーコック前から見た「駅前食品市場」。「駅」が旧漢字です。新しい薬屋や電気屋なども
いいものをおく食品店も健在
ちゃんと乾物屋や魚屋などいいものをおく食品店も健在で、長年ひいきにしているお客さんもたくさんいます
ベトナムで見た市場にそっくり
うーん、ベトナムで見た市場にそっくり~(^-^ 

















世田谷教会の真向かいにあったかわいい雑貨屋さん
こちらは、世田谷教会の真向かいにあったかわいい雑貨屋さん。手作りがモットーの「JAMCOVER」
雑貨屋さんにあった手作りの人形たち
JAMCOVER
日本にも、こんな時代があったなあと、わたしはぎりぎり子供の頃に見た覚えがあるという風景。そんな姿がそのままであることに感慨を覚える方もいますし、早く、何とかして欲しいという方もいます。磨きこまれたように使い続けられた石の床がぴかぴかなのが誇らしいような市場です。
こんな懐かしいような風景と、最先端のおしゃれな店がいっぱいあるところがシモキタの魅力でしょうか。でも、素朴な手作りが今風というのも、時代が一巡りという感じがします。

(文、写真=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
<その1> <その2> <その3> <その4> <その5> <その6> <その7> <その8> <その9>


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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年02月26日 20時43分 | Comments (0)

2005年02月15日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その3

シモキタが高いビルの街になるの~?
駅前周辺地区計画の説明会がありました~

<2005年2月15日UP>

下北沢の古道具屋・月天
どこかわくわくするような楽しい街、「シモキタ」。小田急線「下北沢」駅が地下化することが決定して、連続立体交差事業とセットといわれてふってわいてきた道路計画。それに伴う、駅前周辺地区計画では、「新しい街の顔」は高層ビルになるかもしれないという・・・(写真は下北沢の古道具屋・月天)。

■新しい街の顔は高層建築物が主体?

下北沢の商店街
どこかわくわくするような楽しい街。下北沢へようこそ~
駅は、そのすぐそばに住んでいる人たちだけのものではないですよね。出かけるときの起点がその駅である人、そこに勤め先がある人、なじみのお店があって通う人、多くの人にとって、ふと気がつくと「自分の駅」です。今の下北沢駅前は、大きくない階段をとんとんと下りるとすぐに商店街が広がる街です。ちょっと狭すぎるかなとは思う道ですが、人がひとの大きさでいることができるヒューマンスケールとでもいうのでしょうか。おかげで車がほとんど入ってきません。
下北沢を利用する乗降客は、一日に乗り換え客を含めて13万人。実際に乗降する人だけでも6万人もいます。

1月19日から28日にかけて世田谷区が4回開いた「下北沢駅周辺地区 地区計画骨子案説明会」は、下北沢の駅周辺、およそ24ヘクタールの範囲内(下の地図参照)に住んでいる人、地権者のみを対象に4つのブロックに分けて行われました。範囲外の人の参加も拒まれはしませんでしたが、お知らせはなく、4回の総参加者は100人ちょっとでした。

地区の現況については、1)4m未満の道路や行き止まりが多いこと 2)歩行者が主体で地区全体を回遊する。商業地区では休日の7時から21時の時間帯には、4mの道路に延べ1万人以上の歩行者が、6mの道路には延べ4万人が歩いており混雑している 3)容積率200~500%が指定されているが、道路が狭いなどの原因により、地区全体では160%、商業地区の500%の地区では190%の利用に留まっている。つまり、低層の建物が立ち並ぶとても賑わっている街で、たくさんの人が路地歩きを楽しんでいる、と世田谷区でも把握しているということです。

そして、これからの課題として、1)新しい街の顔づくり~補助54号線や駅前広場沿道で無秩序にならないように、「顔」となるような統一感をもった街並みづくり 2)歩行者主体の魅力ある回遊軸の形成で快適に歩ける街づくり 3)住宅と店舗が共存して住み続けられる街づくり 4)災害に強い住環境づくり 5)土地の有効利用・・・ を、あげています。

現在の道幅が狭すぎることの解消策としては、「壁面後退」のルールで道を広げる代わりに「斜面制限」「前面道路幅員」の2つの建築制限をなくして高い建物を建てやすくすることが具体的施策として挙げられました。
駅前広場と補助54号線沿いでは、高層建築物主体で街の拠点づくり、街の顔作りを行っていくというものです。

■「500%の容積率」をいかした街?地区説明会では意見さまざま

現在の下北沢には、10階以上の建物はたった2つしかありません。説明会が開かれた世田谷区の施設である「北沢タウンホール」が52mで最も高く、あとは42mの本多劇場があるビルだけです。8、9階の建物でさえ、いくつかしかなく、7階まででも数えるほど。商業地区でも5階まで、住宅地区では、3階までの建物がほとんどなのです。


駅の周り、ぐるりと赤く囲んでいるところが(~17階程度;駅前の顔づくり)と位置づけられています。
グレーの道路の周りのピンクのところも(~17階程度;沿道の街並みづくり)とされています。駅周辺、グレーのところが5,300㎡の駅前広場
なるべく500%の容積率をいかした街にしましょうということは、広く敷地をとれば、高さ60mにもなる17階建てビルまで建てられることになりますから、ずいぶんと街の雰囲気は変わります。世田谷区の方は、「これは、駅前地区再開発では決してありません」とおっしゃるのですが、どう見ても、これまであっちこっちで行われてきた「駅前再開発計画」そのものだと感じられます。地区説明会では、さまざまな意見がでました。地域住民の方たちと担当者のやりとりをまとめてメモしてみます。

 「知らないことばかりでてきた。こんなことはいつ決まったのか?」
 「街づくり通信を配って知らせたというが見たことがない」

⇒(担当者の答え)区域内の方にはポスティングしている。2004年5月に世田谷区街づくり条例で基本方針が決まっている。

 「補助54号線は決まってしまったものなのか?」
 「もう話し合えないのか?」
 「昭和21年の計画は見直してもいいのではないか」
 「空気がかわってしまう心配」
 「道路は地元には百害あって一利なし」
 「区が都のいいなりではないか」
 「なぜ、見直せないのか」(など道路関係の意見多数)

大きな行政課題として都市計画事業で決定した。この駅前地区計画を事業化しないと、道路ができない。
「放射線、環状線はほぼできあがってきたのですが、それを結ぶ補助幹線というものがまだ、できていない。都心部のほうで52% 区部においては、42%しかできていない。非常に遅れている。それを円滑に実施していかなければならない。10年以内にやっていくということで、54号線の位置づけというものは、東京都と世田谷区のマスタープラン。この場で延々と議論すべきことではありません」(と、担当者強調)富ヶ谷から上祖師谷まで通る道路で、調布へと抜ける道なのでここだけやめることはできない。区域内の方たちは、長年、建築規制も受けてきている。防災的要素も大きい。

 「もとは立体交差道路にするためにふくらんでいる道路部分が、そうではなくなったのに修正もされていないが、長年、住んでいる人がどかなければならない。納得ができない」

事業認定後には、いくらでもアイデアを出していただければ対応できる。

 「街づくりといわれても、道路で商店街が分断されてしまう問題がとても大きい。それをどうしていくのかプランが説明されなければ、賛成も反対もできない」

道路が新たな分断要素にならないようにと肝に銘じている。区が完璧だとはいえない。どうすればいいかは、いずれ区民参加のかたちで知恵を出し合っていただきたい。

 「将来像が駅前の高層ビルというのは、おかしい。今の若い人は大きなビルに来たいのではなく、横丁歩きを楽しんでいるのではないか」

区は決して、高いビルにすることを誘導しているわけではない

 「広い道路を作ってもあっという間にバイクや自転車置き場になってしまうのではないか。公的資金で生み出された小田急の土地は、自転車置き場を含めいろいろ利用させてもらいたい」

これまでの問題である自転車置き場対策は十分に考えたい。

 「駅前周辺地区計画については、住民にとって初めての話あいなのではないか?」
 
「街づくり懇談会」で昭和59年から年月をかけて検討してもらい、区長あてに答申をだしている

区が考える未来のシモキタ
世田谷区が考える未来の「下北沢駅前広場」を立体的な絵におこしてみるとこんな感じになります。小田急線が地下化し、見えている電車は井の頭線です。一昔前なら憧れの駅前かもしれませんが、今じゃ、ありがちな「駅前」風景・・・・。
 「それは商店街の人だけの参加で、傍聴もできなかった・・・」
 「シモキタの顔づくりとはどのようにするのか?」

駅舎については、コンペをやることなども考えていくことができる。

 「緑地帯ができるとかいろいろ噂があるが、どのあたりが、どうなるのか具体的に教えてほしい」

「緑ある街並み」という言葉は決まっているが、具体的には決まっていない。駅前広場の計画は今後つくっていく。

 「テナントが多くなっていて、実際に自分の店ではないところが多いと思う。どれくらいの割合になっているのか?」
 「外からの資本がさらに入ってくるのではないか」

下北沢は、テナント率が8割くらい。大きな資本を呼び込むようなことをしてはいけないとは思っている。住み続けることができる環境づくりのためのルールは必要。搬入のための車の時間帯規制なども考えていくべき。

 「大資本が入ってもいいから、ダイナミックなことを考えてもらいたい。駅近くも、以前は普通に住宅だったが、今では、いつの間にか隣にも店ができて深夜まで騒ぐというような状況。どうにもならないので、むしろ、再開発をやってほしい」(この意見には、地区住民からぱちぱちと拍手もあり)

 「家を建てようと計画して建築士に相談をしていたら、この計画のことを知った。うちは、大きなビルが建つようになるかもしれない道路の裏にあたる。今後、日陰になってしまうのではないか。いっそのこと、立ち退ける人はいいが、うちのように不利になってしまう人たちはどうすればいいのか。立ち退きになる人には、すでに説明があったようだが、うちにはなかった」

もともと、容積率は500%のところ。しかも、広い敷地がないと高い建物は立てられないので、そうそういっぱい建つとは思えない。ある程度敷地がまとまれば17階建ても可能になるが。

 「シモキタは、いまだにバブルがつぶれていない稀有な街。高層化することで、若者をひきつけている魅力を失い、街がつぶれるのではないか。それを行政が誘導するのはいかがなものか」

行政が誘導しているわけではない。むしろ、100mタワーを建てたいということを規制している。

 「魅力がある街と気に入って引っ越してくる予定だが、シモキタの未来像をどう考えているのか」

下北沢は住民の定着率が高い街。(未来像についての区からの答えはない)

 「下北沢の魅力は大きなきれいな店があることではなく、小さな店のひとつひとつが努力し、工夫をしてきたことではないか。小さな店を締め出すようなことをしないでほしい」
 「駅前広場計画のために跡形もなくどこかにいかなくてはならないところで店をやっている。その補償にどんなことをしてくれるかの代替地の提示もない段階。何もそういうことが盛り込まれていない。日陰になって残る方も困る。今、厳しい時代になって、そういう状況におかれて、ここで前向きの意見を出せといわれても無理がある。残る場所にあっても、魅力あった店が将来の見通しが立たなくてやめていってしまうんですね。この街は、戦前から、ずっと小さなお店一軒一軒が努力してできた街。修復型の街づくりとはいいながら、その修復すべきものがどんどん減っていっている。やめた人たちに戻ってきて店をやってくださいと声をかけてほしい。もう戻せないところまでいっているのでは。長いものには巻かれろという気持ちに正直なっている」

今は、補償金額の話ができる段階ではないのでご容赦いただきたい。

 「小田急の駅が地下化され、どんな街になるのかを見極めてからでも遅くないのではないか。やっぱり狭いところは地上げにあったり、空き地が増えたり、つまりはシモキタの魅力がなくなるのではないか。もっと街の皆さんの総意を聞いて考えてほしい。この計画は行政が街をこわす」(会場からぱちぱちと拍手)
 「いや、わしは、ダイエーのところに25階建てを建てようと要望をだしている!17階でも低い」(会場騒然・・・)
 「普通の人が暮らしにくい街になってしまうのではないか。メリット、デメリットを考えてほしい」
 「骨子案が、そのまま素案になってしまうのではないかと心配だ。拙速に進めてもらっては困る。工事期間の10年間で街が変わってしまうだろう。それらを含めて考えるべきではないか」

■下北沢の魅力を維持するプランがみえてこない



今は、乗降客は多くてもヒューマンスケールの小さな駅
会場からは、このようにさまざまな意見が出ました。実際に、ごく少数の地権者の方や商店街の方には、高層ビルのマンションができれば儲かるし、消費者も増えると考える方もいるようです。しかし、全体的には疑問を呈する意見が多く出されました。下北沢の魅力について、今後どのように維持していくかのプランがない、ということが大きな問題であることも浮き彫りになりました。

担当者がもっとも困っていたのは、道路に質問が言及することで、補助54号線と駅前地区計画を分けて考えてほしいと繰り返されました。また、少々、誘導的に聞こえたのが、建物の高さはこれでいいでしょうか、という司会者からの質問です。あるいは、高さについては、多少、規制ができる目論見もあるのかもしれません。

右肩上がりの時代が終わった今、いわば、少し昔の姿のままに残った街、下北沢。駅の地下化が決定され、新しく生まれ変わらなければならないとしたら、どんな姿が相応しいのでしょうか。もう少し、住民が参加して議論をする場が作られる必要がありそうです。

骨子案のパンフレットは、こちらで詳細を読むことができます。―続く

(文=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター、写真も)

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年02月15日 23時59分 | Comments (0)

2005年02月04日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その2

小田急線の地下化と道路・駅前地区計画がセットで始まった~
<2005年2月4日UP>

下北沢の商店街
シモキタでは、住民が望んだ通りに「地下化」が実現するものの、いつの間にか都市計画で「補助54号道路」が蘇って、地下化を目指して頑張ってきた方たちにとっては、一難去ってまた一難。まさか、道路計画がゾンビのように生き返るとは思われていませんでした。なぜいきなり道路計画?

 

 

 
■ゾンビのように生き返った道路計画

この1月には、世田谷区が「下北沢駅周辺地区計画」骨子案について、意見交換会を北沢タウンホールで4回開きました。駅のまわり、徒歩5分くらいのところに住んでいる人、地権者のみの限られた方たちが対象で大きい広報はありません。このときの意見を踏まえて「地区計画の素案」を作成して、素案の地元説明会を開いた後、「皆様のご意見を踏まえて『地区計画の原案』を作成するなど、都市計画の手続きに入ります」と資料には書いてありました。

ここでの、ポイントは、「原案を作成する」のあとに、「再び皆さんの意見をきく」という言葉が入っていないことですね。実は、多くの公共事業で手続き的には「住民の声をきく」ことにはなっているものの「素案=原案」になっていることが多いのです。

配布資料その1
しかも、「地区計画の策定は、平成17年度を予定しています」とありますから、進み方がかなり早くこれはとっても心配・・・。

しかも、説明会は、地図内囲みの駅から徒歩5分くらいの方たちだけにしか告知されていませんでした。世田谷区の広報誌にさえ載っていないのです。説明会場で、世田谷区街づくり課の担当者が強調したのは、「決まったことについて話し合う場ではない」ということでした。「決まったこと」というのは、補助54号線の道路計画です。

ちょっと複雑なのですが、小田急線を高架にする事業(地下化も含めて「連続立体交差事業」という)と、補助54号線、および駅前広場(世区街10号線)の道路事業はセットだと説明されています。「連続立体交差事業」として事業認可を受け、国の道路整備予算枠(道路特別会計)からの補助を受けて整備するには、「幹線道路が2箇所以上で交差すること」というのがあるのです。これらの基準は、最近少し変わったようですが、「連続立体交差事業」は「道路整備」の一環として行われ、「ガソリン税・自動車重量税」も使われますから、ともかく道路事業との一体感があるのです。

小田急線の高架にするか地下にするかについては、過密ダイヤで開かずの踏み切りになっていたこともあり、数十年の歴史ある課題です。下北沢では、長年の高架反対運動が実を結び、「地下化」することになりましたが、すでに工事が始まっていた地区について、2001年に東京地裁で「建設省の工事認可を取り消す」という画期的な判決があり、全国報道でご存知の方も多いと思います。しかし、その後、高裁では判決が逆転。全国からの注目も続いています(詳細は→コチラで)。

配布資料その2
配布された資料では、道路計画がわかりにくいので白くしました。真ん中で鉄道がクロスしているところが下北沢駅です。ずいぶんと駅近くに大きな道路ができることになっています。しかも、膨らんで見えるのは、もともとは小田急線が高架になる予定だったので道路も高架が予定されておりそのループのためだったものをそのまま下ろしたからだといいます。昔の計画が修正されずにまったくそのままだというのですから驚きます。

つまり、シモキタでは、望んだ通りに「地下化」が実現するものの、いつの間にか都市計画で「補助54号道路」が蘇って、地下化を目指して頑張ってきた方たちにとっては、一難去ってまた一難。まさか、道路計画がゾンビのように生き返るとは思われていませんでした。

昭和21年の都市計画道路が、再浮上したのは2001年のことです。そのとき、世田谷区では、小田急線沿線200m街区の住人や補助54号線沿道 街区1,300mの住人にチラシを配布して、3ヶ所の小中学校で説明会を開催。駅ポスターなども貼って広報に努めたといいます。

このとき、小田急線の計画と道路のことが一緒に説明されたようですが、なにしろ、ずうっと話題だった「高架vs地下化」が大きな課題。多くの人は、道路建設が一緒に始まるという意識はもてませんでした。その後、2002年には、都市計画の公告縦覧+説明会、と着々と行政の手続きが重ねられ、10月に「世田谷区審議会」、12月に「東京都審議会」を経て、2003年1月31日に「都市計画」決定がなされた、ということになっています。

総事業費は、小田急が14%、都市負担86%。そのうち、半分が国、残り半分のうち、70%が都、30%が世田谷区で、総事業費は、教えていただけませんでした。高そうですねぇ。区民が相当額を負担するはずなのに、広く伝えられてきていないのではないでしょうか。(しかも、もしかしたら、東京中でゾンビ道路計画があるということ?! これは、東京都にも聞いてみないと・・・)

・・・なんていう経緯を知っているシモキタの住人は、ほとんどいないでしょう~(^、^; わたしも、「世田谷区北沢総合支所街づくり課」の方にうかがってやっとわかりました。
とはいえ、商店街の方たちは小田急線問題から引き続き、話し合いを続けており、2002年には、世田谷区と東京都に道路を地下化するように求める対案を提出してもいます。

その文書には、「下北沢において最も商業集積が高い地域及び優良住宅環境地域を通過することから、長い間『無謀・実現不可能』との認識がされていた」と、書いてあります。まったくですね。でも、現在では、状況も変わるなか、商店街の方たちも一枚岩ではありません。ちょうど道路が通るところに位置する方、その近くの方、立場はさまざまです。これからお話を伺っていきたいと思います。

■まさか世田谷でこんなことが...

実は、わたしは、これまで熊本県にある、球磨川の支流・川辺川という美しい川に計画されている国営「川辺川ダム」計画について、8年ほど取材を続けてきました。地元の方たちは、ダム推進でも反対でも、球磨川・川辺川という熊本にある計画のために、東京・霞ヶ関の国交省に交渉をしに上京されていました。本来は、もっと熊本の地元の方たちが決めればいいことなのではないでしょうか。
そんな思いで国と県、市町村の関係を考えながら熊本に通い続けました。川辺川ダムについては、おいおい、お伝えしたいと思います。

公共事業のことや市民参加について考えてきたわたしが、暮らしている地元「下北沢」が、まったく知らないうちに、時代遅れとも見える計画で変わってしまうのは、残念すぎます。まさか、住民参加の先進自治体「世田谷区」でこんなことが起こるなんて思いもよりませんでした。

>下北沢フォーラム」のホームページ
「下北沢フォーラム」のブログ(今後、HPにする予定です)

どうして、こんなに急いで、ほとんどの住民に知らされずに計画が進んでしまったのでしょうか? 同じように思った方が、すぐ駅前に「『結』まちづくり計画室」をもって、世田谷区をはじめ各地でのワークショップなどのお手伝いをする仕事をしてきた荻原礼子さんでした。そんな仕事をしていた方でも、街がどうなってしまうのかという計画を知ったのは、やはり昨年だったとのこと。普通に行政が行う街づくりのワークショップさえやっていないとびっくりです!

ともかく、どんな計画になるのか市民に知られていないのだから広く知らせなければと、近所に事務所がある建築家で、「街づくり」の研究をしている明治大学建築学科の小林正美教授や在住建築家の二瓶さん、道路問題などの専門家に声をかけて、「下北沢フォーラム」を立ち上げました。

2004年末には、早速、ワークショップを始めて、1月23日には第2回が開催されました。小林先生の教室では、世田谷区が提案している街を立体模型にしてみせました。行政がすべきワークショップを自主的にやってみたのです。ともかく、大きな道路にも、10年も歳月がかかるという工事にも不安がいっぱい。そんな不安についての説明は、世田谷区からはまったくありません。次回以降、「地区説明会」についてと、フォーラムでの様子を併せてお伝えいたします。

商店街
商店街は楽しみながら歩く人でいっぱい
それにしても、「普通ならば2年くらいはかける市民参加の手続きを、たった3ヶ月でおしまいにするという急ぎ方は異常です」と専門家の荻原さん。1月の地区説明会が終わって、たった2ヶ月で素案を作成すると言われても、ちゃんと市民の意見を反映させて再び計画が練られるとは思えません。市民としては、腑に落ちないことです。

4つの商店街の代表者からなる「街づくり懇談会」の意見を元に、「下北沢駅前地区計画」は策定されてきたとのことが説明会では繰り返し強調されました。ということは、一般市民の声はまったく反映されてこなかったということですね~。どうも、このまま手続きが進むのではと、とても心配です。―続く

(文=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター、写真も)

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
<その1> <その2> <その3> <その4> <その5> <その6> <その7> <その8> <その9>

投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年02月04日 18時26分 | Comments (0)

2005年02月01日

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ・その1

歩くことが楽しい街「シモキタ」に昭和21年の道路計画が復活?!
<2005年2月1日UP>

花やさん
都心から近く交通の便も大変によい街、下北沢は、演劇と音楽の街として若者を魅了しつづけてきました。ところが、です!な、なんと、シモキタのこの状態は、昭和21年に造られた道路計画が遅れていただけで、今頃になって、やっと計画を実施します、なんていうのです。地元では早速、このまちシモキタを守ろうと、住民をはじめとする市民グループや、文化人が立ち上がりました。

■さすが「シモキタ」!

「下北沢」という街をご存知でしょうか? 新宿から小田急線で10分、渋谷から井の頭線で5分と、都心から極めて近く、二つの私鉄が交わる交通の便が大変にいいところ。演劇と音楽の街として若者を魅了しつづけてきました。本多劇場、すずなり劇場という有名な劇場から小さな劇場まであり、さらにライブハウスは30ヶ所くらいもあるのではないでしょうか。青空ライブをする若者たちも~。

駅前ライブ
駅前で三味線を弾いているミュージシャン
そして、なにより、歩くことが楽しい街として、「Hanako」をはじめたくさんの雑誌やテレビで紹介されてきました。作家の池波正太郎さんが好まれたというパン屋さんがあったり、小沢昭一さんがお気に入りのお寿司屋にいかれるところに出くわしたり(お休みの札を見て残念そうでした)、どこか街全体が劇場的といいましょうか~。

土日ともなれば、いつもお祭りのよう!縁日を歩くように、ちょっとうきうきした気分の若者たちでにぎやかです。駅を中心に、東西南北に小さい路地がたくさん。線路をまたぐ陸橋を渡ったり、ガードをくぐっての路地めぐりもお楽しみ~。

それらの商店街がおわるあたりから、住宅が増え始め、ふいに横丁を曲がった先からは、緑が豊かで閑静な住宅街になったりもします。もちろん、商店と住宅がまじりあっている地域もあります。歩くことが大好きなわたしは、下北沢という街を楽しみながら暮らしている住人のひとりとして、もしかしたら、「シモキタ」は車より歩行者を優先する、「持続可能な街づくり=サステイナブルシティ」の「自然発生的先進事例」なのではないかと思ってきました。空をさえぎる電線などが整理でき、もう少しのユニバーサルデザインがあれば、お年寄りにも車椅子の人にもやさしい、もっといい街になるだろうなあなんて・・・

署名活動
毎週土曜日、北口で街頭説明と署名活動を~
ところが、です! な、なんと、シモキタのこの状態は、昭和21年に造られた「都市計画」道路の「補助54号線」と「駅前広場」を含む 「区画街路10号線」が遅れていただけで、やっと計画を実施します、なんていうのであります。昭和21年の計画って言われても~(^-^; ということを知ったのは、昨年のある日のこと。道路計画に反対すべく立ち上がっていた市民グループ「save the 下北沢」の皆さんが駅前でチラシを配っていらしたから。

さすが「シモキタ」! 在住建築家の金子さん、ライブハウスが大好きで自分でも演奏しちゃうという歯医者さんの下平さん、ミュージックライターの志田さんらが立ち上がりました。こちらのサイトから、世田谷区がどんな計画をもっているか、そして、下北沢がどんなに魅力的な街か、さまざまなことがわかると思います。文芸評論家で編集者の仲俣暁生さんも、「下北沢再開発を考えるページ」を作って下さっています。

■ともかく、大きな道路なんです

ともかく、大きな道路なんです。今あるたくさんの商店街が幅26mという道路でまっさらにされてしまうというのです。これまでの下北沢のイメージは大幅に変わります。さらに、小田急線の地下化に伴った「駅前地区計画」によると、タクシー乗り場、バス乗り場をセットにして、いわば、あっちこっちで見かける駅前広場のようにします、ということなのです。

え~~。そんなの知らなかった・・・。市民の皆さんも、ほとんど知らないし、びっくり。これまで、「街づくり懇談会」という商店街の方たちが参加する会の意見は聞いてくださっていたようなのですが、ともかく、一般市民の声を聴きますという場が設けられたこともないという、けっこう、今どきとしては珍しい「市民非参加型」の街づくり。

世田谷区といえば、市民が作りあげた魅力的な公園「羽根木プレイパーク」を支援してきたり(下北沢の隣駅新代田から歩いて5分、梅が丘から3分)、そもそも、全国に先駆けて住民参加の街づくりを進めてきたことで有名ですよね。1992年には「(財)世田谷区都市整備公社・まちづくりセンター」が設立され、行政と市民・企業がパートナーシップを組んで街づくりをさまざまに手がけてきてとのこと。HPにはたくさんの事例があります。

そんな自慢できることが多い世田谷区のはずなんですが~(^、^; もしやして、これって過去の話になるのかしら?! わたしも、7年前に下北沢に引っ越してきたときには、先進自治体ブランドの世田谷区というイメージだったのですが。う~ん・・・。

住宅街
これも下北沢の街。案外、樹木が多い。
ともかく、いきなり知ることになった道路と駅前地区計画について、わからないことだらけです。世田谷区や東京都に聞かなければならないこともいっぱいあります。地元の商店街の人たちの意見や、街に暮らす人たち、訪れる若者たち、反対に立ち上がった方たち、色々な意見を伺いたいですね。そして、どんな計画が望ましいのでしょうか・・・

わたしも、これまでも公共事業問題に取材をしてきたジャーナリスト、そして住人のひとりとして、「下北沢」という街や「都市計画」などについて考えたいと思います。
全国に似たような「駅前地区計画」の事例や都市計画があるかもしれません。走りながらのご報告ですが、皆さんと一緒に考えていけたら幸いです。(ご意見は世田谷区役所へ、ぜひ!) ―続く

(文=高橋ユリカ・フリージャーナリスト、ViVa!コンテンツサポーター、写真も)

「サステイナブル☆下北沢」 by 高橋ユリカ
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投稿者: http://www.viva.ne.jp/  2005年02月01日 15時46分 | Comments (0)

2003年08月26日

つくばコンサート --地方都市で活躍する「音楽会系」草の根NPO 

地方都市で活躍する「音楽会系」草の根NPO

ノバホール外観
ノバホール外観
 ノバホールは、今日ではつくばコンサート実行委員会の主催する「つくばコンサート」や、つくば都市振興財団による「つくば国際音楽祭」が年間あわせて20公演ほどを開催し、他にも多数の公演がある。また複数のオーケストラ、多数の合唱団など地元のアマチュア団体が定期演奏会を開いている。秋は平日を含めてほぼ予約でいっぱいで、人口20万程度の地方都市のホールとしては驚異的な利用率といえよう。

■「つくばコンサート」の発足

 しかし、ノバホール建設1年目には音楽公演がほとんどなかった。そのため、一流のオーケストラを聴けるようにしたいという市民の要望が強くあったが、冒頭で紹介したように、ノバホールの定員はサントリーホールの半分。同じオーケストラの公演を開催するにしても、サントリーホールの満員ベースでやっと成り立つ公演は、当然ノバホールでは経済的に成立しない。そのため、寄付金・協賛金を得てチケットの値段を市民が求めやすいものに下げることが不可欠である。

ノバホールの内部
ノバホールの定員は1003人
 この状況を聞いた大手コンピュータメーカーの富士通が協賛してくれることになったのを機に、ホールの有効活用を求めていた有志が集まり、1984年に市民が企画・運営の全てを担当する「つくばコンサート」が発足した。同社は「金は出すが口は出さない」、「企業の宣伝色を前面に出さない」方針で「つくばコンサート」を協賛して今日に至っている。また、つくば都市振興財団からも、会場賃借料の支援を頂いている。

■市民による企画・運営

  「つくばコンサート」の企画・運営は「つくばコンサート実行委員会」が担い、毎月実行委員会を開き、誰でも企画運営に参加できるオープンな組織になっている。

 つくば市やその近隣の市民数十名からなる実行委員会で討議し、年間5~7回のコンサート企画を決定するほか、予算の作成、招聘音楽事務所との交渉、ポスターなどの作成、宣伝紙の編集・発行、演奏会当日の運営など全てを実行委員会が担っている。運営が素人であろうがプロであろうが、お金を払って聴きに来るお客様には関係ない。このNPOは素人集団の特性を活かし、「世界の音楽を私たちの手で」をキャッチフレーズに、企画を工夫してきた。

 このような素人企画が地方都市で根付くのは困難と思われたが、大勢の人々の熱意と努力と知恵が今日の活動を支え、素人集団のコンサート企画も1999年には100回目の記念演奏会、2003年には20年目を迎えるまでになった。「市民のために市民が企画」する、開催者としての利益は追求しない文字通りのNPOである。ただし、NPO法に基づく「特定非営利活動法人」としての認可を受けて活動しているわけではない。

 年数回発行する新聞「ホワイエ」には、自前の演奏会情報は当然として、ホール予定などの実用的なページも設け、また音楽の雑学コラムなどの様々な読み物も盛り込んでいる。

 チケットを積極的に購入したお客様だけで会場を満たし、集中度の高い大変よい雰囲気を保つ様努めており、演奏家にはホールの響きの良さ、熱心な聴衆の両方で好評を得ており、またお客様にも満足いただいているが、お客様の少ない日には、こんなにいい演奏会なのにもったいない、宣伝が足らないとお叱りを受けることもあり、この点では反省が必要かもしれない。

■これまで招聘した演奏家

公演案内のチラシ
2003年度後半の公演。クラシックからジャズまで幅広い。
 演奏会はクラシック音楽が大半を占めるが、年間1公演はジャズなどクラシック以外の公演に充て、また邦人演奏家の公演を年1回実施してきた。予算の関係で大物を次々に呼ぶのは困難だが、知名度には必ずしもこだわらずに実力があると私たちが判断した演奏家をその都度招聘してきた。

 これまでに招聘した大物演奏家では今はベルリンフィルに移ったサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団を98年に招聘したほか、ヤンソンス指揮レニングラードフィル、シノポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、シャイー指揮アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団などがあげられる。

 室内楽では弦楽四重奏の王道を行くスメタナ弦楽四重奏団とアルバンベルク弦楽四重奏団、現代曲では圧倒的な評価を得たラサール弦楽四重奏団、東欧の渋い音を残すバルトーク弦楽四重奏団などを招聘した。

 ソリストでは、本流の大物ピアニストのアシュケナージ、ショパンコンクール予選落ちの異色の大物ピアニスト・ポゴレリチ、東ドイツ難民キャンプで文字通り「発見」された異色のピアニスト・ウゴルスキ、世界的なヴァイオリニストのギドン・クレーメルなどがある。 その中でも極めつけの異色コンサートとしては、作曲家の高橋悠治と、妹でピアニスト高橋アキによる、20世紀音楽ばかりのピアノデュオがあった。一方で、バッハやベートーヴェン初期の時代の様式の楽器、あるいは当時の演奏方法を用いる古楽奏者も多数招聘している。

■あなたの街でも市民企画を!

 こうした市民企画が手探りながら成功して続いているのは、決してつくばの特殊事情ではなく、市民が力を合わせれば可能であるはずだ。

 みなさんの街にも、すばらしいホールはあるけれど音楽行事には残念ながらあまり活用されていないという事情があるかもしれない。そういう場合には、中心となる市民の運営集団ができ、その意義を認めて自社の宣伝効果も認めるスポンサーが見つかれば、あなたの街でも市民企画ができる。

 それぞれの地域に根ざした市民活動が発展する。文化は市民が自らつくり育てる。その代わり、その質を維持し高めていくために、市民が責任をもって関わっていく。私たち「つくばコンサート」の事例をひとつの参考としていただき、そういう活動が全国各地に広がり、発展してほしい。

(歌川 学/つくばコンサート実行委員)


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投稿者: staff  2003年08月26日 10時44分